湘南サッカー部OB会会長

天野 武一

 この度、私どもは、岩渕二郎追悼記念事業の一環として、記念誌「湘南サッカー・半世紀を経て」を編集発行すること及び母校湘南高技のグラウンドに練習用のシュート坂を設置することを企画して、美事にこれを達成しました。これはひとえに故人の死を哀惜しその業績をしのぶ安保隆文、相羽克治両君のお働きを中核とするOB諸君らのご尽力の賜でありますが、同時にまた、母校サッカー部の鈴木部長先生はじめ学校側のご理解、ご協力と、岩渕未亡人のご諒承を煩わしてはじめて実現したものであります。まことに感謝にたえません。

 さて、サッカーOBにとっては、まずこのような記念誌をつくること自体が、はじめての経験でありました。それだけに事に当られた各位には、たいへんなお骨折りをかける結果となったのであります。それにつけても、私は、故人が少年時代からその生涯をかけて、母校のサッカーのために情熱を傾注し尽くした気性を知る仲間のひとりとして、懐かしく往時の面影を回想するとともに、なお現在に至るOB諸君の温かい友情を眼前にして、一種の感動を覚えざるを得ないのであります。特にこの記念誌の表紙をお画き下さった石川滋彦画伯は、ここにご紹介するまでもなく、早くから画壇に名を馳せた俊秀であられますが、湘南中学在学中は故人とともに鎌倉から通学し、サッカー部員として球をけり合った仲間でありました。今回、この友の作品に接したことは、故人にとってどんなにうれしいことかを想うとき、私どももまた、石川画伯のご厚意に対し、ありがたく御礼を申し上げなければなりません。

 次は、シュート板のことであります。私は、このときにあたり、シュート板を母校にプレゼントするというアイデアのすばらしさに感心しました。そして、故人がその足でこれに向って球を蹴りつけることができたらさぞ喜んだであろうと、すぐそれを思いました。虎は死して友をのこし、人は死して名をのこすと申しますが、どうやら岩渕二郎は死してシュート板をのこしたのではないかと、声をかけたくなるのであります。願わくは母校の先輩、後輩の諸君、このシュート板に向って球を蹴りまくって下さい。かって母校蹴球部が全国制覇をなしとげた当時の初代校長赤木愛太郎先生は、「蹴って蹴り、蹴りに蹴ったり日本一」と読んで、その優勝に痛快の声をあげられたものでした。

 ともあれ、これらの企画の実行に際してお寄せ下さった関係各拉にご熱意とお力添えは、ただ感謝のほかありません。そして、本当にご苦労さまでした。ここに、各位のご自愛とご健闘をお願いして、ごあいさつといたします。