2.OB会の活動

 創立期は故岩渕氏が中心になり、現役の指導にあたる。卒業生は随時グランドに来て、マンツーマン指導をする形が、旧制中学時代は続き、現役の試合には出来る限り応援に行くという状況であった。試合に集まったあと簡単なお茶飲みコンパをやったり、合宿の時集まって、現役とコンパをすることが随時あった。
 昭和10年代は神奈川社会人リーグに「湘南OBチーム」として参加、セントジョゼフ、オールブラックス等の外人チームとの親善試合も行った。戦後20年代、神奈川リーグ復活で、再び、「湘南OBチーム」として参加。また、年に1回は臨時に集まり、OB対現役戦を行っていた。OBチームとして関東大会にも出場し、大宮、水戸、日立等での試合もあり、23年には「鎌倉湘南OBチーム」として、第1回都市対抗で優勝を成就している。この頃、湘南OBは多士済々で、全日本代表組が多数あり、若手OB(20年卒以後)は試合に出してもらえず、第2OBチーム(東京キッカーズ)を結成し、試合をしていたこともある。優秀なメンバーが、各々に慶応BRB、早稲田WMWや東大LB等にとられて、湘南OBチームに集められず、故岩渕氏が何とかベストメンバーを集めてやりたいと期していたが、前記「鎌倉湘南OBチーム」として結集され、美事、東日本第1位となった次第である。昭和30年代後半からは、若手OBを中心に「湘南クラブ」として、各種大会、親善試合に出場し、藤沢市民大会では何度か優勝している。現在では昭和27年卒〜36年卒を中心に「ペガサス」、昭和42年卒〜45年季を中心に「アンテロープ」、若手OB中心の「湘南クラブ」があり、各々に活躍している。
 昭和20年代に、湘南蹴球祭を1月15日に毎年行うことになり、以来、盛衰を経ながらも今日まで存続してきた。昭和40年、安保(15年卒)山口(20年卒)桑田(22年卒)の呼びかけで、旧制中学のOB会を開き、洗心亭に40名程集まり、初めて名簿が作られた。新制高校との橋渡しは、故岩渕氏の定時制高校就任以来そのまま引き継がれ、現役への寄附も故人の呼びかけで、随時行われていた。この間、湘南イレブン、湘南サッカー便りという会報が発行されたこともある。昭和45年、OB会整備の動きがあり、組織、幹事、会費等につき幹事会が2回開かれたが中断し、昭和52年5月、故岩渕氏退職記念に総会の形式が成立したかに見えたが、これも整備が進まず、昭和55年3月、岩渕氏急逝により、改めて、偲ぶ会となり、昭和56年1月15日を以って正式OB会の発足ということになった。今後、毎年1月15日に蹴球祭及びOB会総会を開き、年度変りとし、経過、会計、年間活動報告等を行い、会費徴収にあたっては皆様方のご協力を得たいと思っている。

  湘南サッカー部OB会  会長 天野武−、(1回)/事務局 安保隆文(15回)/会計 柏利克治(41回)、山口晴夫(45回)/監査 近藤平八郎(26回)/幹事 若干名