私とサッカー

                     24回生  小田島 三之助

 「サッカーの条文は全部で17条、これですべてを表現し規制されている。ところが、実は18条がある。それは良識でありジェントルマンシップである」、この言葉に感動し湘南中学にサッカーを見に行き夢中になり始めたのが小学六年生の時、これから私のサッカー人生が始まった。
 まさにサッカーは私にとって人生である。「サッカーは脚本のないドラマである」映画も芝居も小説もTVドラマも素晴らしい演技カとその表現は人を笑わせ泣かせ喜こばせ感動させてくれる。しかしそれはあくまでも脚本によって作られた約束事だ。ところが、スポーツは違う。充分に体を鍛える、常に体調を整え、試合に充分な基本技、個人技を積み、戦術が実行出来るレベルまで行くのが大変だ、強く上手でなくてはレギュラーになれない、なれて試合に出られても、偽りは許されない、自分の調子を偽ったり積み上げが不足のままだったら試合は敗ける。どう展開するか、どうやったらどう終るかの台本はない、その上嘘がつけないのである。この嘘のつけないことがたまらなく好きだ、仮りに試合でバックアップする時しなかったり、フォローする時、サボッたり、所詮手抜きである、サッカーで一番いけないことは自分のゴールに球を入れてしまうこと、次に手を抜いて動かなくなることだ。サッカーは予測が最も大切だ、仕掛けの為のリズムを生み出すことが手を抜いては出来なくなる。遊びの試合がつまらないのは、トレーニング不足と、自分のポジションの役割を果さない手抜きがあるからだ。サッカーは男のスポーツの極め付けだ、私は少年の頃から50才の今までこの嘘のつけない、努力をしないと直ぐに落ち込んでしまうサッカーがたまらなく好きだ。私は西部劇とか時代劇が割合好きだ、それらの主役達は、絶対に生きのびられない剱や弾丸の嵐も、場面が一変すると又現れて出て来る。この公然とつける嘘がうらやましい程だと思っていた。
 サッカーから学んだことは多い。「かって出来たから、いつでも出来るさ」というまちがった甘い考えを過信といい、「これだけ積み上げて毎日を努力しているのだから、きっとやれる」と云う信念を自信だと私はサッカーから学んだ。
 現在会社の仕事の中で、色々なことに直面するが、自分で考えているより遙かに自分がねばり強く、何事にも何度も乗り超えているのを不思議に思う時がある。ひょっとしたら、サッカーの練習や、合宿の方が辛かったのではないかと思う。特に湘南のサッカー部は昔から学業にも優れた文武両道の諾先輩が多く、数々の事を教えて頂いた。私を育ててくれた最も大切な基本は湘南中学時代にあったと思っている。