湘南サッカー万才

22回生 桑田 孝

 中学、大学、会社でと25年間も、現役でサッカーをしていたので、憶い出深いことは沢山ありますが、何と言っても、忘れられず、一番嬉しかったことは、神戸一中に勝って全国優勝したときのことです。
 戦後初めての全国大会(S21年の第1回国体)で、中学の一般レベルは未だ低く、関東では敵らしい敵のいなかった我々にとり決勝戦で当った神戸一中は初めての強敵でした。神戸一中と言っても大したことはないだろうと思っていましたが、流石伝統の学校で、チームカは我々より上だったろうと思います。
 遠征前の最後の日の練習で、ポイント、ゲッターのCF小林君(当時早川)が足首を骨折、急きょBackの補欠だった村主君(3年)をCFにすると言った状況で勝てたのは、どうしても勝つんだという執念が、0−2、1−2、2−2からタイムアップ直前に1点入れさせたものでしょう。
 戦後のボールもない、靴もない、ユニホームもないという状況からスタートしたので、ボールもつぎはぎ、靴もユニホームも先輩から貰い集めるといった状態でしたが、練習量とチームワークは抜群/先輩も、現役と同じ位の人数が何時もグラウンドに集る熱の入れようで、監督の大埜さんやコーチの早川さんには特に世話になりました。
 湘南のサッカー部を作り育てた岩渕さん、赤木校長、香川先生、浅沼先生、大勢の先輩を含めたオール湘南の執念が夢にまで見た神戸一中を破って優勝させたものと思います。
 中学、大学時代で思い出す事と言ったら、サッカーのことだけ、友達も、付き合う先輩も、後輩も、サッカー仲間だけ。今でも春秋の旧制高校OBサッカー大会には必ず参加する位のサッカー気狂いになった原因は、湘南に入り、サッカー部に入ったからです。お蔭で、良い先生、先輩、仲間に恵まれたと心から感謝しています。
 今、下の息子が、湘南に入っていますが、子供の時サッカーしか、知らなかったのに、(名古屋に勤務した時、野球を知らなくて、近所の子供に馬鹿にされたそうです。) 中学から、バスケット部に入って、バスケットに明け暮れています。
 親子二代、湘南のサッカー部員になれなかったことが、残念です。

湘南サッカー万才!
何時の日か、また、後輩諸君が全国優勝してくれるのを祈ります!!