中さんのつぶやき

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「温故知新・古きを尋ね・新しきを知る」 2017.4


「中さんのつぶやき・NO1」



「温故知新・古きを尋ね・新しきを知る」              2017・4 

 暫らく一休みしていたメール通信を「つぶやき」と言うタイトルで再開した。毎月書くのは少々シンドイので3か月に1回で年間4回にして、内容の濃いものにしたいと思っている。三村さんには日本代表について、を中心に少し多めに書いてもらう予定である。二人とも八十路を過ぎた老人だが、戦後の日本サッカーを背負ってきたサッカーキチガイである。共にクラマー直伝のサッカー育ちだ。さて私はやはり現役の情報を中心に、思い付きのことが多くなると思うが,OBの活躍も見させてもらい苦言も呈したいと思っている。
最初に報告するのは卒業生の大学進学情報だがこの結果は世間に胸を張れると思う。東大、京大、北大,名大、阪大、早稲田、慶応、等数名の合格者が報告されているが、更に東大・京大合格者は入学後もサッカーを続けると云う報告を受けている。既に終了した春休みの現役の活動情報と関東大会予選についてだが関君がメールにてかなり細かく報告してくれているので、私は「八千代遠征」について報告しておきたい。この遠征は隔年で行われスペインに行かない年に千葉県の八千代高校に遠征している。八千代高校の初代の校長が私の大学の後輩でもあり、湘南高校に対して色々配慮してくれている。伝統ある学校と組み合わせて貰い、また宿舎等も大変良くしてもらっている。この遠征では、栃木県の真岡高校・愛知県の刈谷高校地元の八千代高校等と胸を合わせてきた。試合結果は・8校中7位だったが・多くの収穫があったと思う。ここ何試合かの観戦した感想だが、やはり一番大事な「蹴ること」「止めること」の基本の部分がしっかりと身についていないのでそこそこの事は出来るが一番大事な事が出来ないため、勝負の最後の所で負けてしまう結果だった。多くの先輩たちも感じていると思うが、ボールが蹴れない、パスが不正確,点が取れない。サッカーで一番大事な事が出来ない事だ。古いサッカーと云われるかもしれないが、強い正確なキック、パスアンドゴー・相手の裏を取る強い低いゴロのキック、ライナーのシュート・・・クラマーさんのサッカーが出来ていない。まだ遅くない・私は過去の人間だがOB諸氏はまだまだ蹴ることが出来ると思う。グランドに出て一緒にボールを蹴って欲しい。まだ間に合うと思う。そして新1年生もかなりの希望者が入部してきた。大事に育ててほしいと願っている。 
レギュラーの2,3、年生はすぐに総体予選が始まる、そしてまた選手権予選だ。もうワンランク上を目指し悔いのないような高校生活を送ることを願っている。頑張ろう!!


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 1953年、日本サッカー協会は、将来のサッカー界を背負う人材育成を願ってドイツ・ドルトムントで開催の国際学生スポーツ週間に関東、関西の大学から17名を選抜して派遣した。
サッカーと同時にヨーロッパ文化に触れる行事、例えばドイツで一般家庭での一週間を超えるホームステイや地下数百メートルでの石炭採掘やプロチームの密度の高いきびしい練習に参加など約2か月間の遠征であった。
日本サッカー協会の英断は、実を結んだ。日本サッカーの師匠デトマール・クラマーさんの来日を機に上記遠征メンバーであった 平木隆三、長沼健、岡野俊一郎(いずれも故人)の3人が生涯をかけて、今日の日本サッカー隆盛の原動力となった。現代では世界のビッグゲームやヨーロッパサッカーの一流プロリーグは毎日のようにTV放映で見ることが出来る。しかしオールドフアンにとっては、毎週土曜日の“三菱ダイヤモンドサッカー”が世界への目を開かせてくれる大きな窓となった。日本サッカー史に残る「三菱ダイヤモンドサッカー時代」と云っても良いような気がする。
金子実況アナウンサーと岡野俊一郎解説の名コンビの放映ビデオは数多く我が家のサッカー棚に残る。また棚には岡野俊一郎を通した日本サッカー史とも云える自叙伝がある。自らの生い立ちから始まりFIFAやIOC、JOC関連の数知れぬ海外活動が記録されている。本のタイトルは“雲を抜けて太陽へ”である。
デトマール・クラマーさんが日本について本を書こうとしていたが、残念ながら未刊に終わりその予定していた題名が前述の”雲を抜けて太陽へ”であった。
“今は日本のサッカーは雲の中にいるような状態だが、努力をして雲を抜ければ明るい未来が待っている”と確信していたクラマーさんの思いを、せめて俺の本の題名に使わせて貰ったんだと岡野俊一郎は言っていた。
中学、高校、大学年代にリーグや大会のゲームで「CF岡野」との数多くの
「デュエル」が思い出されてならない。