中さんのつぶやき

1
「温故知新・古きを尋ね・新しきを知る」 2017.4
2
「プロとアマチュアの世界」 2017.7
3
「以心伝心」 2017.10
4
「あけましておめでとう」 2018.1
5
「春を迎える」 2018.4
6
「世界の中の日本」 2018.7
7
「友達」 2018.10
8
「謹賀新年」 2019.1
9
「春を迎える・平成31年3月」 2019.3
10
「新しいシーズンが始まる」 2019.5
11
「夏の過ごし方・現役の状況」 2019.7
12
「高校サッカー・冬の大会に向けて」 2019.9
13
「一区切り」 2019.12
14
「通算199回・・・コロナに思う・・」 2020.6
15
「通算200回 ありがとう・最終回」 2020.12
  「訃報 恪さんのご冥福をお祈りします」 2022.2


「中さんのつぶやき・番外」

          訃報 恪さんのご冥福をお祈りします        令和4年2月末日

 中メール「アジショナルタイム・三村恪一氏」と云うテーマで書いて頂いていた「恪さん」が2月20日に亡くなられた。御冥福をお祈りします。

私のお付き合いは約70年近くなります。私のサッカー人生の中で一番お世話になりました。この機会に「恪さん」の思い出話を書かせていただきます。

最初の出会いは私が高校2年の時「恪さん」は大学生です。初めて高校の全国大会に出場した時大学生だった恪さんに指導を受けました。その時生まれて初めて「キック、トラップ」を教わりました。その時彼は、日本代表で長沼、岡野、平木、八重樫、等と日本代表選手として活躍しました。その後も日本のサッカー界の指導者の中心的立場でした。

その後数十年間何も繋がりもなかった方が、私の湘南高校赴任後すぐに私の住んでいる茅ヶ崎にある東邦チタニュウムと云う会社の重役さんとしておられることを知りました。

その後私がサッカー協会の技術委員会を立ち上げた時お誘いをして、一緒に活動を始めました。
彼は自分でも云うように俺は「馬喰」のようなものだと云うように何処からともなく良い選手を探してきます。
・・・奥寺、麻田、小柴、植木、早野、福田・・・多くの日本代表選手を作ってきました・プロ中のプロです。

          重ねてご冥福をお祈りします・・・合掌・・・鈴木中
「中さんのつぶやき・NO15」

通算200回 ありがとう・最終回            令和2年12月末日

 中メールも今回で最終としたい。残念な気もするが小休止であり、また復活する気持ちが起きたら、書きたいと思う。
さて何を書こうか迷ったが、私の湘南高校28年間とその後の人生の中で、心に残ることは公私ともにお世話になったお二人の指導者の事を伝えておきたい。
 先ず第一に挙げられるのは,故人になるが香川幹一校長である。知る人ぞ知る名物校長であるが、私の中では約30年間、職場の長であり、師であり、個人的には仲人であり親父のような方であり,大校長であった。
 一方サッカーの鬼と古いOBが云っていた岩淵先生は私にとってはサッカーの師であり歴史あるサッカー部のOB会の要であり、すべて先生がOB会の壁となり支えて下さり、私も思い切って生徒達の指導が出来たと感謝している。
 28年間の指導実績は沢山あるが代表的なものを幾つか挙げてみよう。
〇昭和37年・3年牧村、2年長谷川、1年小泉、全国大会(西宮)
〇昭和41年・3年井出、2年関口、水戸開催、関東大会優勝
〇昭和64年・平成元年,3年・若木、全国大会ベスト16等の戦績がある。

この様な輝かしい戦績を残したことは勿論生徒諸君の努力の賜物であったと思うが偉大なお二人の先生の後押しがあったからだとも云える。

コロナの時代リモートの会合の時代、なかなか集まって話をすることが出来ないので私からも是非提案したいと思う。リモートのOB会を考えよう。

尚毎回協力していただき「アジショナルタイム」として原稿を掲載していただいた、三村氏は今回は「皆様に宜しく」と云うことです。尚この方は私にとっては大先輩であり、元日本代表のCBで私のサッカーの師であり古い仲間で、今年90歳を迎え元気にされています。

OB諸兄姉、長い間有り難うございました。良いお年をお迎えください。       令和2年12月末日

「中さんのつぶやき・NO14」

                通算199回・・・コロナに思う・・・        令和2年6月1日

 この「中さんのつぶやき」も20年近く書いてきた。199回では中途半端になるので200回で終わりにしようという事になった。私の人生85年の中で、大きな事件を上げれば少年時代に経験した「大東亜戦争」に次いで、今回の「コロナ」は2回目の大事件になる。子供心に深く刻まれた「戦争」経験は、その後の中学、高校、大学、そして教員時代の経験、教え子達との数々の繋がり、このまま静かに終わるかと思っていたが、この初めてのコロナ騒ぎである。
家に閉じこもって、世間様と遮断され、身内の子供や孫たちとも会えず、数か月になる、見えない敵との戦いも限界になってきている。適度の運動と云っても散歩と軽い体操程度の動きでは、マンネリ化し、体重は増えるばかりである。
さて長い人生の中での、初めて経験するライフスタイルへの対応と云おうか、テレワーク等と云う老人には初めてのことへの対応がある。そして老人にも解る範囲のテレビ鑑賞になってしまう。昔懐かしいNHKの教養番組,湘南女子OGのPカフや、時々放映される過去の試合の名勝負の再放送を見る位でしょう。
私達老夫婦の様にスポーツクラブへ通い泳いだり、ゴルフのクラブを振ったり、そしてゆっくりと風呂に入り、午後の時間を過ごし美味しく夕飯を食べ充実した毎日を過ごしてきた老人には早く回復してくれることを祈るしかありません。
さてこのような初めての人生経験の「コロナ騒動をどう乗り切るか?」大きなテーマについて老人なりの意見を書くことにした

「コロナウィルスとの共存」
〇どうやらまだすべてが解っていないコロナについて老人はどうすれば良いのか。解らない相手ではケンかが出来ない。逃げるが勝ちである…
〇適度の運動をして、コロナと共存するしかしょうがない。
〇逃げているばかりでは駄目である、若者は時間が出来たのだから人一倍努力して物事に対応するべきである。
〇特に湘南のサッカー選手は、今がチャンスだと思ってこの時期にハードなトレーニングに励むことを進めたい。
正月の高校選手権大会の開催は実現出来ると思う。湘南にとってはチャンスであるその気持ちになって冬を目指せ・・・と声を強くしたい。
〇そして最後になるが「コロナの新しい文化」と云う今までに無かった、インターネット革命がやって来たとも云えよう、我々老人にはついていけない、オンラインと云う手法による文化が生まれ、若者たちにはPC、とスマホを駆使した新しい文化が育って行くのだろう・・・
我々老人も只眺めているだけでなく何とかテレワークについて行けるよう努力しなければならないと思っている。

「中さんのつぶやき・NO13」

                一区切り              令和元年12月1日

 今年の高校サッカー冬の大会の神奈川県の代表が予想に反し“日大藤澤高校”が夏に全国制覇をした“桐光学園”を破り、優勝をした。アマチュアの高校生のサッカーは全く分からない。確かに湘南と比べ力はあると思うが。決して届かないレベルだとは思わない。諦めずに湘南も上を目指して欲しいと思う。
一方湘南の現役は新メンバーに変わり、来年度に向けて、関東大会予選のための、地区の関東大会予選が始まった。何試合か行い勝ち進んでいる。そして間もなく又次の1年生が入って来る。毎年言い続けているが本当に高校生活は早い、選手たちは毎日を大事に集中した、選手生活を期待して止まない。

 この文章も大分長い間のお付き合いになったが、マンネリ化もしてきたし、この辺で一休みしたいと思う。湘南のグランドにあまり顔を出さなくなったこともあり現役選手の状態を把握できないで、湘南高校サッカー部の事を書くのは少し気も引けるので、現役の情報は関君に任せ、この辺で少し休みを取りたいと思う。
今年のチームの実力は県の16位の力はあったと思う。最後の選手権予選は日大高校にPK戦で敗れたが良いチームであったと思う。


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 この正月の高校サッカー選手権大会の応援歌のタイトルが『つなげ』であることをテレビで知った。その歌手を担当した16歳の少女は『サッカーはボールをつないでいくでしょう』と。まさか日本スタイルのサッカーを皮肉って、この応援歌の作者は『つなげ』とタイトルを付けた訳では無かろうが、何故か日本サッカーの勝負での弱さを感じた。
ボールコントロール技術が上達したからか、あるいはディフェンス能力が落ちたからか、相手ゴール前まで何本ものショートパスをつないで、そして何もしないで、再び味方ゴールキーパーまでショートパスをつないで戻す場面を何回か見せられると、攻撃とは何か?を考えさせられる。『拡大』ではなく『ボール支配率』なのだろうか。セットプレー以外に得点の可能性は低く、ドリブルで突破できる選手がいない。U−22のブラジルとの親善試合で、指導者は「ボールを動かし、ゴールにもって行くサッカーに意識統一して勝った」と評価した。
もう一方で11月の対タジキスタン戦にその戦い方の危うさを見せられた。決してマスコミの評価の“アウェイ戦”の苦戦ではなかった。

「中さんのつぶやき・NO12」

        高校サッカー・冬の大会に向けて           令和元年9月1日

 この夏は老人には非常に厳しい暑さの毎日だった。この酷暑の中、甲子園の高校野球は毎日のようにTV放映され楽しませてもらった。高校野球も50校のうち1,2校が公立校で、殆どが私立の常連校だと聞いている。只この暑さの中での開催は?選手の体力への負担は?心配しているのは私だけではないと思う。
 冬のスポーツと云われているサッカーは如何だろうか?こちらもカツて上位を占めていた有名校(藤枝東、浦和南、・・一中)等の名前が消え、ここ数年・・・(青森山田、桐光、前橋育英・・・)等の名前に代って来た。
神奈川県の予選の顔ぶれも、夏の総体全国優勝の桐光学園、日藤、東海大相模、等私学の常連校、ベスト8に厚木北、座間、等が顔を出し・・・湘南がどの位食い込んでゆくか楽しみにしている。
 さてサッカー界もプロ化が進む中で湘南高校が進むべき道は?私は別に、驚きも、心配もしていない。湘南のサッカーがプロを目標にしているわけでは無い。今迄どおり大学への進学を目標にして、高校生としての良いサッカーを求めて行けば良い。3年生は高校生活最後の挑戦をして価値ある大会にして欲しい。
このように湘南サッカーが頑張っているので応援を惜しまない。二次予選の活躍を期待したい。楽しみな9月である。
先日OBのペガサスから40週記念の原稿を頼まれた。書いたものの中心は湘南のOBは〇は出すが口は出さない・・これが現役指導の中で一番ありがたかった。今は亡き岩淵先生との 長い間の約束事だった。

「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 サッカーは攻撃するにしても守備をするにしても“予測”することが何よりも、ベースとなると云っても過言ではない。しかしJリーグのチームから少年チームに至るまで、色々なカテゴリーのチームが“こまかくつないで、つないで”の日本調スタイル全盛の現代は”予測“する価値は段々と影を薄くするようである。指導者の口から”予測“の言葉を聞くことも殆どなくなっている。
 かって、フットサルの日本代表チームをコーチした、スペイン人ミゲル、ロドリゴは「日本は、特にゴールデンエイジの選手の練習は選手に考えさせない形を作ったボールコントロール練習ばかりだ。2秒先の事を考えられるよう心を鍛える指導をしなければいけない」とのコメントが忘れられない。予測が優れている選手が相手にいれば、例えば中村憲剛選手のパスも中々活きたものとはならないだろう。どんなスタイルのサッカーをやるにしろ予測があれば動きのタイミングやスピードやポジショニングなど個人のプレーは随分変わる。予測をベースに相手チームのパスカット、からのカウンター、シュートのこぼれを走って得点、相手にとってより有効なスペースを消すポジショニング、等々チームとして勝負に直結する。選手に対して予測の大切さを云うことは出来ても予測力を向上させるトレーニング方法は難しい。しかしミゲル・ロドリゴの言う2秒先の事を考えねばどころか、45分先のことを考えてのサッカーはやりたくないものだ。

「中さんのつぶやき・NO11」

「夏の過ごし方」現役の状況           令和元年7月1日 
               
 現役部員は関東大会一次予選で勝ち残ったので、総体2次予選、冬の選手権大会2次予選に残ることが出来,すでに総体2次予選は報告の通り終了した。
ベスト4が日藤、東海大附属,桐光学園、三浦、になり、代表が桐光学園・東海大附属・の2校になった。湘南と比較すると、今は力の差はあるが夏を過ぎると、この数か月で差を詰めることは出来ると思う。対厚木北に1−3で敗れたが決して悲観する内容ではなかった。秋までの計画が組まれ、3年生は最後の生活スケジュールを立てやすくなり、安定したチームつくりが出来るので今後の進歩を期待したい。又新1年生の中にも期待できる有望新人がいると聞いているので、楽しみにしている。県内の高校の分布を見るとベスト32校では、公立、私立が、5割になりベスト8になると、公立校が残るのは、1,2、校になってしまうが、湘南もぜひそこまでは勝ち上がって欲しいと思っている。戦術的な話は顧問の先生に任せるが、高校生がトーナメントを勝ち上がるのは忠実なデフェンス力と基本どおりの攻めで、少ない得点で勝負を勝ち取るチームになれば代表の座も夢ではなくなると思う。特に1年生に云いたいことは、高校3年間はあっと言う間に過ぎしまう。生活設計をしっかり立て、他人より努力して、時間を大事にすること、そして一年生の中からレギュラーに入る選手が多くなることを期待している。最近特に強く感じることは、世間では何か新しいものが生まれ進歩しているような雰囲気があるが、サッカーの本質は変わっていない。即ちこの100年間、ルールの変更点は若干あるが基本に忠実なサッカーが勝敗を決めて行くと思っている。湘南のサッカーが又日の目を見る令和の時代を期待したい。

「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 トウーロン国際大会(22歳以下)の日本チームの第1戦対イングランド戦が6月1日フランス・オーバーニュで始まった。このゲームで大会の常勝国イングランドを2-1で破った日本代表の活躍が関係者に大きな話題になったようだ。この大会での最終結果は決勝戦で対ブラジル代表戦となり1−1の引き分け、PK戦5−4で敗れ準優勝で終わった。テレビ放映で見た範囲であるが2020年・東京オリンピックが23歳以下の構成であることを考えると活躍の期待に充分つながるものであった。トウーロン国際大会公式サイトでは次のような評価があったので参考までに記したい。
“イングランドは、より魅力的な勤勉なサムライブルーに驚かされた。日本がこのようなプレーをするとは全く予想していなかった。日本は何とセンセーショナルなプレーをしたのだろうか。日本代表は、コレクティブなプレーでイングランドを上回り、プレーのリズムが悪かったイングランドは戦術面でも日本を下回った。日本は最近テクニック面で優れた選手を輩出している。”また、イングランドのシンプソン監督は次の様なコメントをした“日本チームは戦術面とテクニックな面でとても良かった。攻守で相手の逆を作り出す方法を知っていた”2020東京オリンピックの代表選手としての選出争いも、ますます烈しいものになるに違いない。

「中さんのつぶやき・NO10」

「新しいシーズンが始まる」           令和元年5月1日 
               
 新シーズンが始まり現役は既に報告があったように、関東大会県予選が終わった。結果については、ベスト32位の様だが、まあまあだろうと思っている。
尚ベスト16に残った公立校は、厚木北、座間、川崎市橘、の3校であったが湘南も指導方法、選手の意識の持ち方次第では、トップを狙うのも不可能ではないと感じている。あくまでも最終目標は冬の高校選手権であるから、これからの練習を大事にしてほしいと願っている。現役の選手にいつも云うことであり、特に新1年生は、高校3年間はあっと言う間に過ぎてしまうので、毎日を大事に過ごして欲しいと思っている。特に夏の過ごし方が大事である。

 思い起こせば昭和から平成に代った年に「湘南」が全国にコマを進め活躍した年である。その年が私の「湘南高校」最後の年となった。あれから早30年が過ぎた。その間教職の仕事では、教頭、校長、そしてサッカー協会の理事長、会長、等々全力投球の人生だった。自分でも感心するほど充実した人生だったと自己満足している。「令和」はどんな年になるだろう。昭和、平成、と約80年間生きてきて、多分最後になるであろう「令和」は短い期間かも知れぬが、何とか実りの多い、楽しい、老いの生活になることを、願っている。

 さて新しい日本代表の見ると、随分と様変わりしてきた。私が感じている代表選手の、特徴の一つに、「スピードとバランス」を上げたい。特にゴール前での狭いエリアで、競り合いの速さと安定した姿勢だと強く感じている。
思いつくまま名前を上げると、堂安、中島,南野、原口・選手を期待している。
このことは次の「アジショナルタイム」にお任せしよう。


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 Jリーグで得点の多くが、輸入外国人選手であることは、いささかがっかりである。J−1からJ−3まで55クラブで構成されているJリーグで登録されている外人選手は200人を超えている。攻守で肝心なポジションを外人選手頼みで闘っているチームが多い。スペインリーグで2部に落ちたことのないユニークな存在のチームがある。「ビルバオ」である。バスクの血が流れる、地域で育った選手だけで闘っているのだ。これだけ多くのJリーグチームが誕生してきているのだから“日本流ビルバオ”が出ても良いのではなかろうか。
そうは言うものの神戸でプレーするイニエスタ選手に日本人選手が忘れかけていたサッカーの基本中の基本である“トラッピング”を見せてもらった。何気ないトラッピングからの対戦相手にとっては失点に直結の痛い痛いパスを出されている“トラツピング”と云う技術の本来の意味は敵を惑わすと云うことだ。「足元から足元へつないでつないで」だけで得点は難しいのではなかろうか。。

「中さんのつぶやき・NO9」

「春を迎える・平成31年3月」           2019・3 
               
 がんの告知。最近TVを賑わした俳優の堀ちえみさんの舌がんの告知について、私が30年前に経験したことから、いろいろ感ずることが多かった。これから彼女が経験するであろう,手術後の事であるが私の経験から心配することが沢山あることを強く感じている。それはそれは手術後の事を語るには大変なことになるので想像に任せしたいと思う。只時代は進歩したので良い方向になることを祈り、頑張って欲しいと祈るのみである。

 「高校サッカーのこれからのあり方」
今回書きたかったことは高校サッカーの今後の在り方についてである
今や高校サッカーはプロの予備軍になりつつある。選手権大会の優勝チーム「青森山田高校」が素晴らしいチームであるが、私は高校生の模範となるチームだとは思わない。又あのレベルのチームからプロに通用する選手を期待するが、このレベルがプロのレベルと思ったら大間違いである。高校生のチームはあくまでも高校生であり、日本の高校生はプロサッカーの予備軍ではない。私は将来日本のサッカー界を担う選手が活躍する高校サッカーを期待している。そんな選手が湘南高校から巣立つことを夢見ながらグランドに足を運びたいと思っている。

 「神奈川教員チームのサッカーに思う」
私も八十路を過ぎ早3年になる神奈川の教員チームの代表を引き受けて?…年になるかな、社会人リーグの2部から下に落ちないので、今年も代表者を引き受けて応援したいと思う。素晴らしいことだ。アマチュアのサッカーの発展のため、ホームグランドの「カモメパーク」と「保土谷サッカー場」へは足を運びたいと思っている。

「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 Jリーグ創設以来、“日本サッカーへの世界サッカー人の関心”はヨーロッパ並みに高まったようだ。
国内でのトップと思われるゲームには、4万人を超す観客が集まりサッカー大国への道を歩いている。ボールをつないで、つないで攻める日本調サッカーは代表チームも同様であり“うまさ“での勝利の追求であり、その結果はサッカー大国に近いのに、FIFAランク50前後の壁は依然として破れずにいる。
タイトルのかかった国際ゲームを闘い勝つのにはプレーに“烈しさ、大きさ”がどうしても必要だ。2019年開催のアジア大会でも代表チームに“烈しさ”は見られなかった。
ワールドカップ予選を勝ち抜くために、アジア大会の結果は活かされねばならない。“うまさ”でまだ伸びるかもしれないが、指導者の闘い方の方針は、容易に変わらず、選手選定も“うまさ”に目が行くことを危惧する。jリーグの選手構成に“うまさ”を見せる外人選手が増加することを考えると、東京オリンピックで“日本はうまい。だけど勝てない”の評価で終わらない事だけを祈るものである。

「中さんのつぶやき・NO8」

「謹賀新年」 遅くなりました2019年・年の初めの挨拶です      2019・1 
               
 本来ならば年頭に出すものですが、1月遅れになりました
理由は色々ありますが、12月中旬から一か月の入院治療が大きな理由です。
さて元号も代る日本の現状の中で我々老人はどう生きて行けば良いのだろう?ただ黙って静かに消えてゆくべきか、それとも今までのように強気に生きて行くべきか?どうもこれだけ早く変化する世の中について行くのは難しくなるだろう。そして体力が心配である。長く入院生活をすると、まず感ずることは
なんと世の中に病んだ老人の多いこと、・・・そして元気になって外を歩くとなんと元気な老人の多いこと・・今や老人ばかりである。

 そして公立の高校がどう変化してゆくのか想像もできない時代になってしまった。湘南高校サッカー部の事は心配だがどうも今年の全国大会を見た感じではプロの予備軍になってゆく高校生の中で湘南高校がどのように発展してゆくのか楽しみである。思い返すと30年前平成と元号が変わった時、湘南が全国へコマを進め活躍した年である。(若木、田村、小林,善木、木村、・・・・)彼らは何歳になるのだろう?
 さて今年の正月は本当にテレビ漬けの毎日だった。新しい日本代表のアジアカップの闘い(後のアジショナルタイム・三村恪一氏)にお任せしよう)私の感想は新生ジャパンどんどん変化してほしい。

「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 アジアカップ戦を闘う日本は“アジアの強さと烈しさ”のサッカーに対して日本スタイルの“うまさ”で闘った感が強かった。アジアのレベルは間違いなく向上している。対ウズベキスタン戦等は、相手のシュート技術が少しでも高かったら大敗に終わってもおかしくなかったろう。
ワールドカップのゲーム等は予選レベルが特に激しいサッカーが多い。例えばどちらのボールとも云えないルーズボールの奪い合いの局面での体全体を使った烈しさが勝負を分けている。
“うまさ”で闘うにしては、もっとそのポジションの役割を明確にして、その“個”の能力の向上が必要なのではないか。例えばサイドからのクロスの精度であり、キープではない突破のドリブルであり、鋭いターンのステップの“寄せ”であり、バックスピンのかかったスルーパスのキックなどである。
これまでの代表選手に入れ替わって南野選手や堂安選手など将来を思わす選手の活躍が見られた。しかし、サッカーはいかに経験値が重要な要素をしめるかも示してくれた。持てる力の半分も出せなかったのではないか。

「中さんのつぶやき・NO7」





「 友 達 」                2018・10・1 

 最初に現役が冬の選手権大会2回戦で東海大相模高校に3−2で敗れた試合について感想を残しておきたい。試合の内容は関君が報告されているので省くが、見ていて気持ちの良い試合だった。敗れて悔いはないと云えばうそになるが、久し振りに良い試合だったと褒めてあげたい。最後の試合になった3年生は敗れたことは悔しいと思うが、涙したこの経験は、一生の宝物であり、数年後のOBになってからの心の中に残る試合だったと想像できる。そしてこれからも大学で、社会人になってもサッカーを続けて欲しいと願っている。
 
 世の中には色々な友達関係があるようだ!!
8月のお盆休みに、恒例の「還暦・古希」の集まりを実施して、多数卒業生部員が参加した。集まりは盛大に行われ。還暦の52回生が(志水・八木の時代)中心になり半世紀前の高校生に帰り本当に楽しそうだった。古希の42回生は(和田君が中心になり、関東大会優勝の話でかなり盛り上がっていた。私も若き日が思い出され本当に楽しいひと時を過ごした。60歳、70歳になっても先輩は先輩、後輩は後輩、先生は先生だが、その中の人と人との関係は「友」と云う関係かも知れない。垣根を払った関係は本当に楽しい繋がりである。この勢いを、私が卒寿、そして,傘寿、古希、還暦、の集まりが出来るまで続けたいものである。多くの教え子のOBが私より先に鬼籍に入る人が多くなり、少し残念だが・・・
いまや人生100年の時代何とか次の目標まで頑張りたいと思っている。
そして自分の仲間の集まりもあった。小学校・中学校・の同期の集まりも開かれた。こちらは全員82、83歳戦中戦後の集団疎開を経験した生き残りである。
担任が米寿で元気なので、毎年集まるが、本当に長い間の、愉快な集まりである。そして大学のサッカー仲間の同期会、かなり皆さん疲れてきているが、それぞれみな達者である。これは本当の仲間かもしれない…インカレの優勝や、天皇杯の決勝大会、リーグ戦の事、サッカーの大学時代の苦労話、毎年同じ話で盛り上がっていた。友達と云っても色々な人間関係がある。本当に楽しい仲間ばかりである。
そして長い集まりは「多摩に会」と云う高校同期の仲間である。この付き合いは60数年になるが・・・高校生活を共に過ごした仲間である。友情、・・・それはそれは文章にできない色々なことが思い起こされる仲間である。



「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

                     今回はお休みです

「中さんのつぶやき・NO6」



「世界の中の日本」                2018・7・1 

 ワールドカップロシア大会の予選リーグが終了した。監督の交代劇で始まった・西野ジャパンの闘いはどうだったか?期待された初戦の世界ランク格上のコロンビア戦・試合開始直ぐに相手DFのハンドでPKをもらい香川が決めて、その後11対10人のゲームは2-1で勝利して初めて南米からの勝利をもぎ取り、歴史に残るゲームだった。第2戦の対セネガル戦、2-2で勝ち点を取り、最終戦対ポーランド戦0-1で敗れたが・・方式に救われ、久し振りに予想に反し予選突破し決勝ランドに進んだ。要因は沢山あるが、やはり不協和音の出て来た、監督交代が大きなものだったと考えられる。日本協会の決断を褒めるべきだろう。国と国が戦う、生きるか死ぬかのサッカーは自ずと違う・・このことが理解できる監督と選手と、意思の疎通のとれたチームでなければWカップは戦えない・・・そんなことを強く感じた6月は、TV観戦で寝不足の毎日だった。

 表題の世界の中の日本と云うテーマであるが・・勝敗は別にして初戦は、ロシアの片田舎のスタジアムに黄色ばかりのコロンビアのサポーターばかりが目についた。世界レベルのサッカーと日本のサッカーの違いを感じたのは私だけか? にわかサポーターが増えたことは、喜ばしいことかもしれないが・・・

 そんな大騒ぎの中で高校総体の2次予選が行われ現役は早々と敗れてしまったが、次の冬の大会のシード権があり9月の予選までじっくりと腰を落ち着かせこの夏は強化練習が出来るのが楽しみである。
さて話が変わるが最近白内障の手術をした。突然世界が明るくなって来た「絵」を描く意欲がわいてきた。しかし技術と体力が付いて行けない?作品を他人様にお見せできるのはいつになるやら?乞うご期待!!


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

  今年のロシアワールドカップは、いくつものゲームが新しく採用されたビデオによる判定方式によってPKであるかどうかで勝負がついてしまうことが多発した。サッカーの本質が変わってしまった印象で始まった感が強い。1点を争うゲームであるのがサッカー。ディフェンダーは、失点しそうな局面をどう守れるか、特にペナルティーエリア内での体をはって競り合いの強さを全面的に使わない限り役割を果たせない。
今迄ならば、レフリーはその時いたポジションや角度によってたとえPKに値するようなプレーがあっても明確にファウルと認識できない限り、ホイッスルは吹かなかった。運、不運、がゲームの勝負にどうしても影響するのがサッカーにはあるものと思い込んでやって来ただけに、この違和感はどうしても残りそうだ。何とも味気なく人間味を無くした新ルールの開設と云うのが個人としての感想だ。シュートのボールが完全にゴール内のラインを越えたかどうかなら、昔からゴールしていた,いやしていないで世界のビッグゲームで大きな話題となった歴史を思い出すので、この新方式の採用もありかなと思い直して見続けた。現にフェアプレーポイントの新設が日本をトーナメント戦へと進出させた。ルールの変更はサッカーを間違えなく変えることを世界に示せた。まさかFIFAの指示があった訳ではあるまい。

「中さんのつぶやき・NO5」



                  「春を迎える・・・・」              2018・4・1 

 暖かな桜の季節がやって来た。今年の冬はいつもの年より寒さを強く感じた。
「迎春」は年賀状の挨拶文だ。4月初めに使うのは、季節外れかもしれないが、歳と共に厳しさをより強く感じたからだろうか?やはり体力の衰えか?ひざの痛みやら、腰の痛み、の回復が遅い・・そして残念な報告であるがOBの訃報が多く聞かされた。42回関口真、44回桑本卓、46回石井邦和、君の通夜に参列して同期の仲間の思い出話を聞くたびに、心の痛むことが多かった。

 暖かい桜の季節を迎え、いつもの年より何故かうれしさがある。湘南の通学路の桜も満開を迎えた。3月末に筑波大付属高校との定期戦を終えてサッカー部の新2,3、年生46名が3月末から4月にかけてスペイン遠征に出かけた。遠征計画の内容は(ミュンヘン、ビルバオ、マドリード)、ドイツ、スペイン10日間、現地でのトレーニング、練習試合と観光の旅、引率の竹谷先生,OBコーチの町田君、その他・42回・相羽君・60回・若木君らが帯同した。ほんとうにご苦労様です。(別途報告あり)

 新しい4月を迎え現役サッカー部は今後どのように活動してゆくのか?私学ばかりが表面に出てくるが、公立校はどうなるのか?私はあきらめていない、しばらくは、湘南らしさを表現できる時代は続いていくと思う。新2,3年+新1年60数名で臨む新年度は、私学の中で湘南らしさを発揮して活躍して欲しいと願っている。
いよいよWCロシア大会が6月に始まる是非ロシアの観戦へと思っているがどうなるか?代表選手が決まる、コロンビア戦がカギを握る、楽しみである!!
さてもう一つの私の仕事である神奈川教員クラブの関東社会人リーグ戦が開幕する・・・何故か代表者の仕事から離れられない。唯一全国で、教員クラブで活躍しているのは、神奈川県だけかもしれない・・もう少し大事に育てよう。


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 何をおいても勝たなければならない日の丸をつけた、タイトルのかかった国際ゲーム。プロのプライドと生活をかけてやっているJリーグ。重くて永い伝統を背負ってやっている大学リーグ。プロや大学のスカウトを片目に故郷の名誉を競う高校選手権。年を追っていずれも同じようなゲームスタイルとなって定着してきたようだが、果たして日本サッカーの進歩なのだろうか。
ボールを持った方のチームは、ボール保持をミスするまでボール回しをし、ボールを持たない方のチームは積極的にはボールを奪いにはいかない、こんな日本式のサッカーでは(ハリルホッジ代表チーム監督)が「1対1のデュエルに勝て」と常に要求しているが1対1の局面は殆ど出て来ないのは当然だ。とし本当は、「セットプレーの時のデュエルには体を張って勝て」と指示されているのかも知れない。
私の大好きだった作詞作曲家だった平尾昌晃さんの生前の映像をテレビで見た。自分の作った歌を歌わせる歌手に「決して声で歌わないでくれよ、心で歌ってくれ」と頼んでいる事だった。
私にはサッカーで云えば、こんなことにつながった「声で歌わないでくれよ」は「ボール扱いだけでプレーをしないでくれよ」そして「心で歌ってくれよな」は「何としても相手に勝とうとする1対1のバトルの局面での執念の強さを出してね」だった。

「中さんのつぶやき・NO4」



「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」      2018・1・1 

 2018年最初の「つぶやき」である。最近年のせいか。自分では何でも一人で出来ると思っていたのだが、人様の手を借りる事が多くなって来た。特別何も言わないが、心の中でありがたいことだと感謝している。

 高校選手権大会神奈川県予選で桐蔭学園が桐光学園を破り県代表になったが、湘南に勝った桐蔭が優勝したのは驚きである。その差はわずかだったと思うが、県予選の様子を見ているとベスト8以上の私立の学校がすべて人工芝のグランドを持っている。つまり公立高校が1校も入っていなかったと言うことである。今やサッカーは芝のグランドでやるスポーツになって来たのかもしれない。
私の最後の願いは「湘南高校のグランドを、芝生に・・・」である。
最近のサッカー界を見渡すと本当に様変わりしてきている。只体の大きさや高さで勝負が決まることが大きい要素の、バレー、バスケ、ラグビー、等に比べサッカーは世界と戦えるスポーツである。その中での戦い方はどうすれば良いのか指導者が工夫することが、大事な事であり楽しみな事である。新しい有能な指導者の出現を期待して止まない。先日県の指導者講習会に呼ばれ,話をしてきたがもう私たちの時代は終わったのかと強く感じた。これまで日本サッカーの基礎を作り上げた故人、クラマー、長沼、岡野、平木、八重樫、相川・さん・・等の功績も、名前も忘れられてゆく時代となっているのが現状である。
神奈川教員クラブと言う、関東社会人リーグのチーム代表者を今年も引き受けようと思っている。願いは“良い指導者の出現を”夢見ているからだ。

 ワールドカップ本大会の組み合わせが決まった。コロンビア、セネガル、ポーランドのH組である。勝つことが出来そうな相手はいないが戦いやすいグループだ。しかし勝負は解らない。いずれにしても楽しみな6,7月のロシア大会である。今年こそ良い年にしたいものだ。


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

1917年12月、日本代表は宿敵韓国に1−4で完敗した。
“魂のこもっていないプレー”は日の丸をつけた選手が絶対してはいけないことだ。ゲームを見ている間、ただ一言この言葉が頭を一杯にした。まして、監督が常に要求している“一つ一つのデュエルに勝て”の強い指示は、一体どこに消え去ったのだろうか。ボールを持った敵に寄せれば簡単に抜かれるから、離れて前に立つ。パスしても動かない。どう動けば良いのか分からないからなのだろうか。そんなボール回しサッカーで、敵をくずせるとでも思っているのだろうか。日本サッカーの近代化を一歩進めたイングランドから学んだ“プレッシャーライジング”の言葉も今はすでに古語となって捨てられてしまったのだろうか。“前に立って”プレッシャーは作れることではあるまい。
CBは、どんなプレーをしなければならないのか、どんなプレーをしてはいけないのか、そこに選手の全てを見る思いが強かった。ゲームとしてパス攻撃が出来ないのなら“俺がドリブルで抜いてやる”とばかり走り回った一人の新人選手がいたのが唯一の救いだった。

「中さんのつぶやき・NO3」



「 以 心 伝 心 」                2017・10・1 

 このシリーズ3回目になる。あくまでもサッカーの技術の中で大変重要な事を言っているつもりである。パスの技術の中で最も大事な事は「以心伝心・云わず語らず」意志が通じなければ、ボールは繋がらない。だから同じチームでの外国人との間でもナイス・パスは生まれる。それはチーム戦術の理解と、あるレベルの基本技術があればできることだと思う。半世紀も昔話になるが当時はWMフォーメーションの時代で、湘南高校が忠実な4人のディフェンスラインで関東大会を戦い優勝した楽しい思い出がある。(42・43回生)が先日「古希」を迎えた集まりがあり。楽しそうに当時を振り返っていた。私にとっても古き良き時代の楽しい思い出である。今年のチームが夏合宿を茨城で行い一日参加して見て来たが、基本的な技術はかなり出来ているが、チームとしての、意思の疎通が,不完成だと強く感じた。チームになる。チームとして完成する。「以心伝心」のあるチームには遠かった。
 冬の選手権大会2次予選の結果であるが既に報告されているので細かいことは省くが、ベスト16、前まで勝ち上がったことは、高く評価できる。未熟であれ3年生は良き思い出の多い湘南の生活だったと想像している。古き良き時代のOB達が数名応援に来られ、期待に沿えず敗れてしまったが、湘南高校が只勉強だけをする、大学進学のみを追い求めるなら湘南の魅力は失われてしまう。来年もその先も冬の高校選手権大会へ出場できる夢を追い続けて欲しいと思っている。そして一生の思い出となる湘南のサッカー部だったと思えるような、結果を期待している。老人の夢かもし知れないが・・・
 W杯ロシア大会の出場資格を獲得した日本代表についての批判は専門家に任せるが、ロシアまで行って、本大会の観戦を考えてはいたが、諸事情を検討して、今回は見合わせようと思っている。いろいろ理由はあるが、冷静に考えるとまだ世界で対等以上に戦える力はないと見るのが妥当ではないかと思う。
 今年は母校の筑波大学が天皇杯でJのプロチームを3回も破り大健闘したが、本当に楽しい試合を見せてもらい感謝感激であった。わざわざ茨城の鹿島スタジアムまで足を運び、ベスト16で、J1の大宮との試合は2-0で、残念ながら敗れたが、学生らしい闘いを見せてもらい、楽しませてもらった。
「以心伝心」が出来た大変すばらしいチームだった。有り難うと云いたい。


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 ワールドカップは国の名誉をかけて闘う四年に一度の大会である。とにかく勝つことを第一とする。従ってプレー技術の高さや名選手の美技を楽しむ、その国のプロリーグとは明らかに違う戦い方になる可能性もありである。日本サッカーのボール技術は、特にJリーグ発足を期にして急速な進歩を見せた。ボール技術の高さは勝利するための一大要素であることは間違いないが、これまで日本が出場したワールドカップで“うまさ”で勝つことは出来ないことは経験したはずである。昨年度のイングランドリーグを制したレスターの徹底した守備重視の戦い方や、ロシアへの予選で日本に完敗したオーストラリアが、スケールの大きなキックアンドラッシュともいえる従来のスタイルを捨て、後方からも細かくつなぐサッカーで選手の個性を全く活かせなかったことは、ワールドカップ本線でどんな戦い方をすれば良いかを示唆する事例であったように思う。
今回の予選を通じて、日本が更なる力を発揮するテーマは“体の使い方”だと感じた。特にボールが双方の中間にあるようなルーズな状況での体をぶつけ合いながらの“ファウルをしないでのマイボール化”の技術に多くの選手が意図を持ったプレーをせず、偶然に任せているのではの感が強かった。
まして、勝負に直結するような肝心な場面ですぐ倒れてしまう弱さは、ワールドカップ本戦では致命傷となってしまう確率が高いのではなかろうか。
ワールドカップ本戦では、代表がそのゲームを『ピッチのどの地域で相手ボールを奪いに行こうとしているのか』そして『それをどうシュート体勢まで持って行こうとしているのか』我々、見るものにも感じることができるような強い監督力を期待する。

「中さんのつぶやき・NO2」



「プロとアマチュアの世界」(正しい姿勢・バランスと足さばき)     2017・7 

 プロ野球のニューヨーク・ヤンキーズの田中マー君は日本を代表するNO1のプロ野球選手の一人だと思う。彼が使っているグラブの中に「気持」と書いてあった。素晴らしいと思った。私は同じような意味で「姿勢」と云う言葉をよく口にする。少し補足すると「気持」にプラスしてサッカーで大事な事、すなわちバランスのとれた体裁き、足さばきを意味している。剣道の世界では「自然体」を意味する。それが独楽の絵につながる。
理解してもらえるかどうか疑問であるが,分かりやすく説明すると、正しく止める、正確にパスする時の体の安定した動きを強調したい。不安定な状態でいくらプレーしても、次のシュートなり、パスへの動きが安定していなければ、良いプレーとは言えない。大変高度な話になるが、子供達へ是非伝えたい。サッカーの基本技術の中でも一番大事な事だと思う。

今や日本のサッカーの世界も15歳のプロ選手が現れる時代である。
高校、大学でサッカーをやる人達は何を目標にすればよいのだろうか?皆が皆プロ選手を目標にしているわけでは無い。まして湘南高校の選手たちは、プロ選手を目指しているわけでは無いと思う。サッカーの発展はトッププロのレベルアップと同時に、アマチュアのサッカー選手の質を高める目標もあるだろう。
他の種目に見られるように、陸上競技ではケニヤからの選手を集めて記録を狙う種目もあり、また相撲の世界の様にモンゴル人ばかり活躍する世界もある。勿論ブラジル人や韓国人選手が活躍するプロのサッカーチームがあっても良い時代だ。プロとアマチュアの問題を真剣に考える時代かもしれない。
 さて湘南高校の現状は如何だろう、関東大会予選はベスト32、夏のインターハイ予選は二次予選1回戦で敗れたが,良く健闘したと思う。代表になった東海大相模・日大藤澤高校との差はそれ程ないと思う。夏の練習で十分に差を詰めることは可能だと思う。夏合宿を期待している。そして冬の選手権予選は2次予選からの出場権を獲得して、秋の予選から始まる。3年生が人生の中で最高のパフォーマンスを発揮できる大会だと思う。最高の経験になると思っている。これからが大事だ、3か月の集中と進歩を期待しよう!!


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 過日、フットサルの日本代表チームのコーチ、ミゲル・ロドリゴ氏のゴールデンエイジの選手のトレーニングについて、小さなアドバイス記事があった。私の過去やって来たサッカー指導について強烈な批判を受けたような感があった。ロドリゴ氏の指摘の概要は次の様なものである。

 日本はゴールデンエイジの選手のトレーニングを単に形式的に習慣的に、只やっている状況が多いのではないか。考えながらやっていない。選手が素早く状況判断することは何より大切。少なくとも2秒先のことを考えて予測してプレーできなければだめだ。指導者が要求していないのではないか。そして失敗を恐れずにリスクを伴ってもプレーを積極的にやることは選手が成長して行く上で大変大切なことなのだ。その意欲をもってプレーし、そして失敗したことを叱ってはいけない。
 若い選手のトウーロン国際大会でのゲームを見ても“ジャパンズ・ウエイ”の進歩発展は現状のままキャリヤーを積んでも容易に期待できそうにない不安感に苛まれる。“ジャパンズ・ウエイ”最大のテーマは、つなぐパスの質の問題。相手に最後に重圧をかけれる局面が少な過ぎるのではないか。
攻めの基本である“攻撃の拡大”に挑戦せずボールを失わないことに重きを置けば、有効なオープンスペースも数的優位もすぐ失うことになる。
 そして、守備の基本である“相手攻撃の圧縮”は相手に寄せれば寄せる程プレッシャーは高まる。距離をとって“前に立つ”だけなら相手チームのサイドからのクロスやシュートの精度を高めさせることになる。ミゲロ・ロドリゴ氏のアドバイスは選手のプレーに臨む心の姿勢に指導者はもっと目を向けろと云うことだろう。
「中さんのつぶやき・NO1」



「温故知新・古きを尋ね・新しきを知る」              2017・4 

 暫らく一休みしていたメール通信を「つぶやき」と言うタイトルで再開した。毎月書くのは少々シンドイので3か月に1回で年間4回にして、内容の濃いものにしたいと思っている。三村さんには日本代表について、を中心に少し多めに書いてもらう予定である。二人とも八十路を過ぎた老人だが、戦後の日本サッカーを背負ってきたサッカーキチガイである。共にクラマー直伝のサッカー育ちだ。さて私はやはり現役の情報を中心に、思い付きのことが多くなると思うが,OBの活躍も見させてもらい苦言も呈したいと思っている。
最初に報告するのは卒業生の大学進学情報だがこの結果は世間に胸を張れると思う。東大、京大、北大,名大、阪大、早稲田、慶応、等数名の合格者が報告されているが、更に東大・京大合格者は入学後もサッカーを続けると云う報告を受けている。既に終了した春休みの現役の活動情報と関東大会予選についてだが関君がメールにてかなり細かく報告してくれているので、私は「八千代遠征」について報告しておきたい。この遠征は隔年で行われスペインに行かない年に千葉県の八千代高校に遠征している。八千代高校の初代の校長が私の大学の後輩でもあり、湘南高校に対して色々配慮してくれている。伝統ある学校と組み合わせて貰い、また宿舎等も大変良くしてもらっている。この遠征では、栃木県の真岡高校・愛知県の刈谷高校地元の八千代高校等と胸を合わせてきた。試合結果は・8校中7位だったが・多くの収穫があったと思う。ここ何試合かの観戦した感想だが、やはり一番大事な「蹴ること」「止めること」の基本の部分がしっかりと身についていないのでそこそこの事は出来るが一番大事な事が出来ないため、勝負の最後の所で負けてしまう結果だった。多くの先輩たちも感じていると思うが、ボールが蹴れない、パスが不正確,点が取れない。サッカーで一番大事な事が出来ない事だ。古いサッカーと云われるかもしれないが、強い正確なキック、パスアンドゴー・相手の裏を取る強い低いゴロのキック、ライナーのシュート・・・クラマーさんのサッカーが出来ていない。まだ遅くない・私は過去の人間だがOB諸氏はまだまだ蹴ることが出来ると思う。グランドに出て一緒にボールを蹴って欲しい。まだ間に合うと思う。そして新1年生もかなりの希望者が入部してきた。大事に育ててほしいと願っている。 
レギュラーの2,3、年生はすぐに総体予選が始まる、そしてまた選手権予選だ。もうワンランク上を目指し悔いのないような高校生活を送ることを願っている。頑張ろう!!


「アジショナルタイム・三村恪一氏〈略歴〉」

 1953年、日本サッカー協会は、将来のサッカー界を背負う人材育成を願ってドイツ・ドルトムントで開催の国際学生スポーツ週間に関東、関西の大学から17名を選抜して派遣した。
サッカーと同時にヨーロッパ文化に触れる行事、例えばドイツで一般家庭での一週間を超えるホームステイや地下数百メートルでの石炭採掘やプロチームの密度の高いきびしい練習に参加など約2か月間の遠征であった。
日本サッカー協会の英断は、実を結んだ。日本サッカーの師匠デトマール・クラマーさんの来日を機に上記遠征メンバーであった 平木隆三、長沼健、岡野俊一郎(いずれも故人)の3人が生涯をかけて、今日の日本サッカー隆盛の原動力となった。現代では世界のビッグゲームやヨーロッパサッカーの一流プロリーグは毎日のようにTV放映で見ることが出来る。しかしオールドフアンにとっては、毎週土曜日の“三菱ダイヤモンドサッカー”が世界への目を開かせてくれる大きな窓となった。日本サッカー史に残る「三菱ダイヤモンドサッカー時代」と云っても良いような気がする。
金子実況アナウンサーと岡野俊一郎解説の名コンビの放映ビデオは数多く我が家のサッカー棚に残る。また棚には岡野俊一郎を通した日本サッカー史とも云える自叙伝がある。自らの生い立ちから始まりFIFAやIOC、JOC関連の数知れぬ海外活動が記録されている。本のタイトルは“雲を抜けて太陽へ”である。
デトマール・クラマーさんが日本について本を書こうとしていたが、残念ながら未刊に終わりその予定していた題名が前述の”雲を抜けて太陽へ”であった。
“今は日本のサッカーは雲の中にいるような状態だが、努力をして雲を抜ければ明るい未来が待っている”と確信していたクラマーさんの思いを、せめて俺の本の題名に使わせて貰ったんだと岡野俊一郎は言っていた。
中学、高校、大学年代にリーグや大会のゲームで「CF岡野」との数多くの
「デュエル」が思い出されてならない。