私の湘南高校半世紀(サッカー人生)  鈴木 中
 

1961年昭和365月に京都から突然の赴任だった。当時の名物校長香川幹一氏に呼ばれ、初めて見る湘南の地にやってきた。その頃まだ藤沢駅前は静かな田舎町という感じで、駅前旅館が2軒(稲毛屋・角若松)だけだったと思う。東海道線沿いでは大船の観音像が新しく出来上がったばかりだと記憶している。あれから2011年で満50年が過ぎた、記念すべき年になった。

 

湘南の教員生活が28年、その間の事は「湘南サッカー実戦譜」19899月に発行された、記念誌に多くの卒業生から激励文を頂いた。あれからでも既に20数年になる。管理職荏田高校教頭・ 平安高校・海老名高校校長を経て退職、神奈川県サッカー協会理事長・会長・名誉会長で現在に至っているが、その間さまざまな形で湘南高校サッカー部とは縁があって今日まで続いている。

 

「中メール・続中メール・続々中メール」を124回、浅倉君の協力でOB会のHPに掲載して10年が過ぎた。また趣味で描き出した「水彩画」も約10年、正式に記録した作品も約300点に達した。卒業生のHP(湘南の画伯たち)に乗せた作品も200点ほどになった。色々の節目を迎え、いよいよ「喜寿」 77歳になる。そこで何らかの形でひと区切りをまとめたいと考えるようになった。

 

昨年ある会合でサッカーの講演を頼まれ、自分の「水彩画」をスクリーンに出しながらサッカーの話をしたところ、非常に好評だったのでこれに味をしめ「中メール」「 水彩画」 を一つにする手法を使って「自分史」的なものを一冊の本にまとめることにした。プロの画家でもなく、プロのもの書きでもない私が、思いつきだけでやるのは無謀というもので、まして何も判らぬ老人が一人で粋がっても無理な話だと解かってはいるが。

 

この話をある酒席でOBに相談したところ、「書くのは恥ばかりだが、サッカーの指導は日本一を自認するプロだと思っている。」という事で実現に動き出した。内容はあくまでも77年の節目を迎えた「サッカーのプロの指導者」がまとめたものであり。それは古い理論かもしれないが、誰よりも日本の教育の原点にたち、 日夜苦労をしながら実践を通しての経験から生まれた、味のある内容にしたいと思いながら書いたものなのでご理解願いたい。

 

大きく分けると「サッカーの技術指導に関すること」 「ワールドカップに関すること」「日本サッカーの批判」「日本サッカー協会の組織」 「アマチュアのサッカー・大学・社会人・高校・女 子・少年」「湘南高校現役の状況」「湘南高校スペイン遠征報告」 「海外のサッカー事情」「 湘南高校サッカー部の活躍」 「私の生き方」「健康について」「老後の問題」「その他」「中メール」 120回分の中から、何回分かを選出、作品約 50点、参考資料数点を掲載した。尚OB諸氏からの原稿を数人にお願いし快く引き 受けていただいた。最初に御礼を申し述べたい。