続・中さんのメール通信

2007年12月 横浜にて撮影

1

「2005・年頭の挨拶」

2005.1.11
2
「W杯アジア地区最終予選」 2005.3.3
3
「現役の活動状況」 2005.5.5
4
「サッカーの解説者に想う」 2005.7.7
5
「現役の(菅平)夏合宿報告」 2005.8.8
6
「国体について」 2005.9.9
7
「学校スポーツの行方」 2005.11.11
8
「2006年の抱負」 2006.1.1
9
「高校サッカー」 2006.2.2
10
「ワークショップに参加して」 2006.3.3
11
「湘南高校サッカー部の方向性?」 2006.4.4
12
「シーズン開幕」 2006.5.5
13
「W杯ドイツ大会観戦記他」 2006.7.7
14
「夏の菅平合宿」 2006.9.9
15
「ひとりごと・・」 2006.11.11
16
「2007 ・新年を迎え」 2007.1.1
17
「全国高校選手権大会」 2007.2.2
18
「老人のスポーツ」 2007.3.3
19
「新年度を迎えて・・・」 2007.4.4
20
「日本サッカーの現状」 2007.5.5
21
「オシムのサッカー」 2007.7.7
22
「サッカーの指導書」 2007.8.8
23
「猛暑・酷暑」 2007.9.9
24
「時の流れ・1」 2007.10.10
25
「時の流れ・2」 2007.11.11
26
「時の流れ・3」 2007.12.12
27
「年頭の挨拶」 2008.1.1
28
「サッカーの勝敗」 2008.2.2
29
「岡田ジャパンのスタート」 2008.3.3
30
「清水先生を送る」 2008.4.4
31
「2008年スペイン遠征報告」 2008.5.5
32 「近況報告」 2008.6.6
33 「本当にサッカーは面白い」 2008.7.7
34 「冬の高校選手権大会一次予選」 2008.8.8
35 「夏の合宿・遠征(時之栖⇒大阪遠征)」 2008.9.9
36 「還暦の祝い」 2008.10.10
37 「イレブンデー」 2008.11.11
38 「OB情報他」 2008.12.12
39 「日本サッカーの行方」 2009.1.1
40 「高校・大学の試合 」 2009.2.2
41 「岡田ジャパン2」 2009.3.3
42 「OBの活躍」 2009.4.4
43 「新年度スタート」 2009.5.5
44 「現役の活躍」 2009.6.6
45 「現役の活動報告」 2009.7.7
46 「世界のサッカー事情」 2009.8.8
47 「今は昔・・・」 2009.9.9
48 「サッカーの勝敗」 2009.10.10
49 「月日の経つのは早いもの」 2009.11.11
50 「脳の活性化」 2009.12.12

「続中メール・NO50」

「脳の活性化」            2009・12・12

 今回が50回目で一つの区切りである。そして(中メールと併せて100回になる)。

テーマに「脳の活性化」とうたったが、特別な事でもなくごく自然な事で、年をとったら頭を使い、身体を動かすことが大脳を活発にして衰えないと言う学説が最近の脳科学で明らかになってきたと言われている。だから豊かに日々を重ねるほど、脳が成熟するそうだ。

 別に私の学説でもなく、頭と身体を使うと言うことなのだが、絵を描くこと、文章を書くことが「脳の活性化」に繋がると理屈では解る。「絵」を描くにはそれなりの準備が必要である。天気が良い、気分が良い、体調が良い、即ちベストコンデションでなければ良い絵が描けない。そして体の良い状態で見ると、同じ物・者・でも美しく見えてくる。

 文章を書く場合、色々な資料を参考にする。新聞も雑誌も、サッカーの試合の観戦も、国際試合も、子供達の練習も、大学生・高校生の試合も、代表チームの監督の意見も、世界のTVでの情報を・・・あらゆるサッカーの世界の資料を参考にして、A4一枚の原稿が出来上がるのだ。それらの活動が「脳の活性化」に繋がるわけだろう。

 特に私の尊敬する「三村恪一氏」は何回かこの紙面に登場している。今回も「日本サッカーの将来は?」と言う原稿を頂いている。(写真掲載・三村氏の紹介であるが、中央大学OB、当時の日本代表CBで、私の高校時代のコーチだった。その後全日本選手権大会で、中大クラブと茗友クラブが当たった時の対戦相手の主将同士だった。懐かしい古いプログラムが出てきた。(昭和32年は中大クが天皇杯で優勝した。その時のプログラム掲載)

「1992年のハンズ・オフトからオシムまで、日本代表チームの歴代の外人監督は近代サッカーでの重要な戦術・技術を次々と植えつけた。
日本選手の優れた順応性は、オランダ、ブラジル、フランス、等の異文化サッカーに適応した。そしてどんな世界のサッカーにも驚くことはなくなった。
ワールドカップ本大会4回のうち、2回も代表を率いる日本人岡田監督のもと2010年は進化した日本サッカーで臨もうとしている。
“人もボールも動く”の合言葉で豊富な運動量と素早い攻守の切り替えを武器に、局面、局面での数的優位を作り出す「新日本流ショートパス戦術」とも言えよう。
南アフリカで“世界を驚かす”様な結果を出せれば、1936年ベルリンオリンピックで優勝候補スウエーデンを日本が破り、世界サッカー界の奇跡と語り継がれている、日本のショートパスサッカーは奇跡ではなくなる。
どうしても欲しいものは、借り物ではない日本流サッカーが世界と戦える自信と誇り。南アフリカでの貴重な財産を期待したい。」(三村恪一)

 さて先日「第64回国体サッカー・少年の部」で神奈川の少年選抜が優勝し、2連覇の快挙で、その祝賀会が行われた。過去の優勝した記録を調べると、昭和59年第39回奈良大会で優勝の記録が残っている。その時25年前の選手が、福田(浦和レッズ)神川(現明治大学監督)山本(桐陰学園監督)・・他の顔を思い出す。(その時の監督、本木先生、コーチ坂本先生、共に現在校長職で神奈川県サッカー協会の副会長の要職で活躍されている)

そして6年前の58回大会(静岡)で優勝したことも覚えている、大友先生(武相高校)が監督だった。彼も高校時代(日大高で)国体へ2回出場している。このように25回大会から選抜制度になり多くの選手が神奈川から輩出し、現在Jの選手として、又幅広く指導者としてサッカー界で活躍しているのは喜ぶべき事だ(優勝記念に描いたスタジアム掲載)

此処で少し今年の高校選手権大会神奈川県予選決勝戦の試合に触れておこう。前述した大友先生の指導する(武相高校)と桐光学園の決勝戦となり、武相高校が2−1で優勝し初の神奈川県代表となった。オメデトウと紙面を借りて祝福したい。試合内容についてはHP(神奈川の高校サッカー)をご覧下さい。

最近関東大学一部リーグ戦の試合を神奈川県で開催する事が多くなった。理由は幾つかあるが、先ず神奈川県在住のチームが、神奈川大学、東海大学、慶応大学、等が居てグランドを三ツ沢、保土ヶ谷、平塚、等有料で観客を収容できる会場があると言う理由がある。

11月22日最終日に・・・流通経済大学の優勝が決まった。こちらも詳細は大学リーグのHPに細かく試合内容は紹介されているのでご覧下さい。

 最終日に流経大3−0明治大、中央大2−1慶応大、の2試合を観戦した。残念ながら中央大の逆転優勝はならなかったが、終了後の閉会式を初めて見たが、何とも目新しいセレモニーで時代の移り変わりを強く感じた。得点王、アシスト王、ヘアープレー賞・・賞と沢山のご褒美があり今流の式典を楽しませてもらった。

 この続中メールもOBの皆さんが「止めないで続けろ」と言ってくれる。中にはニューヨークの教え子から、オランダの卒業生から・・・・OBは「もう辞めようか」と言うと無責任に「中さん、止めたら、ボケますよ」と言ってくる。そんな訳で又その気になってきた。そこで「続・続・中メール」を2010・1月から再スタートの予定である。

 そしてWEBギャラリー「湘南の画伯たち」も12月で閉館することになった。こちらは卒業生の大家に考えがあって閉館すると言うので、私は店子の身分だから「私も訳があり、閉館します」と言う事になった。そこで未だ間借りをしている、サッカー部OB会のこの部屋に居候をして「続々中メール&ギャラリー」として出発する予定となった。

 只「絵」を載せるだけでは面白くないので、今回からは希望者が居ればお譲りすることにした。サッカーの関係者なら,OB、現役、保護者、その他誰でもかまわない。その費用は「後援会」に入れて頂き「湘南サッカー部」の活動費として使わせて貰う予定である。

(必要経費・額縁代、郵送費等は含まれます)一作品一口1万円・何口でもかまいません。

申し込み方法  〒住所・電話・氏名 希望作品名・NO・希望購入口数・・コメント

1、メールアドレス・s-cyu@m6.gyao.ne.jp

2、官製はがき・〒253−0052 茅ヶ崎市幸町7-5-404  鈴木中宛

  (1,2、いずれかの方法で申し込み下さい)

決定通知は官製はがきで送ります。その後費用等は指定口座に振り込んでいただきます。確認後ご自宅に作品を送ります(藤沢・世界堂・から配送予定です)尚海外からのご希望があれば宅配便(佐川)でお送りします。今月掲載・NO200・201・の希望者があれば12月20日迄に申し込んで下さい。

以上話が長くなったが最終回と言う事でお許しいただきたい。

「三村氏と筆者・ニッサンスタジアム前」

「古いプログラム・昭和32年・第37回天皇杯・広島大会」

「国体少年の部・優勝記念・ニッサンスタジアム」鈴木 中作品・F10

「鈴木中・作品・NO200・湘南高校正門」

「鈴木中・作品・NO201・湘南高校グランドから」

「中メール・NO49」

「月日の経つのは早いもの」        2009,11,11

 神奈川県のサッカー場が今は大分増えたが、50年も前の話「東京 オ リ ン ヒ ゚ ッ ク」開催の為サッカーの会場として「三ツ沢サッカー場」が造られた。思い出の多いサッカー場だが、その頃から横浜市の所有物だった。だから大会を主管する場合は横浜市のサッカー協会と神奈川県サッカー協会が共催で大会を運営してきた。(掲載作品)

長い間、横浜市協会の専務理事だった「藤木隆明さん」が7月に亡くなられた。11月3日に「偲ぶ会」が行われた。彼とは長い間、大会が開催される時「三ツ沢」のグランドを使う時、「東京 オ リ ン ヒ ゚ ッ ク」「マラドーナのいた・ワールドユース大会」「清水東の優勝した、56年高校総体」「冬の高校選手権大会の神奈川県予選・そして本大会」と思い出は尽きない。

実は「三ツ沢競技場」が正式の名前だが、我々はサッカー場だと思っているが、ラグビー協会は、あれはラグビー場だと言い張っている。即ちサッカーよりも古くからラグビー場として使われていたと言う歴史があるからだろう。最近はスポンサーの関係から「ニッパツ三ツ沢競技場」と呼ばれる競技場になった。

「三ツ沢」の思い出は数多くあるが、平成元年に湘南が「冬の選手権大会」で活躍してから既に20年が経ってしまった。あの時の選手もそろそろ「四十雀・しじゅうから」になろうとしている。そして私の教え子達の多くが還暦を迎えている。今年も昭和42年に「西宮の全国大会へ出場した」43回生が11月に[還暦のお祝い]をする。

 さて今年の「選手権大会神奈川県予選」だが県内の決勝戦が11月21日に平塚で行われる。代表決定戦の会場が変ったのは今年「三ツ沢の改修工事」が行われる為である。この原稿を書いている時点では準決勝戦が桐光学園−秦野と日大藤沢−武相で決勝戦は何処になるか楽しみにしている。(高校サッカーHP参照)

 こうして「三ツ沢サッカー場」に係る思い出を書き出すときりが無いが、高校サッカーに関しては「高体連サッカー部」の数々の仕事、委員長、部長に始まり、「サッカー協会」の仕事、技術委員、国体監督、審判、そして最後は理事長、会長、とよくも飽きずにやってきたと思う。そして卒業しても「名誉会長」の肩書きだ・・まだまだサッカー 、 サ ッ カ―だ。

 最近続々とW杯の予選が終わり、代表が決まってくる。世界各地域での最終予選のTV放映が観戦できる時代になってきた。何処の代表決定戦を見てもレベルの高さは素晴らしい、良い時代になってきた。無理に南アまで行かなくても本大会を日本でTV観戦出来る時代になってきた。1998年フランスのツールーズで君が代を歌ったのが懐かしい・・・

 今年も残り少なくなってきた。来年のスペイン遠征の計画が既に出来上がっているようだ。2003年に第1回を計画したが、湾岸戦争のため中止、2004、2006,2008と3回実施してきた。何れも成功裏に終わっている。私も2回付き添いで行ったが、大変楽しい経験であった。今回も是非OBのどなたか協力して欲しい。第1回目の宿舎が記憶に残る、ビルバオの宿舎だった。(ゴルリッツの国民宿舎掲載)

月日の経つのは早いものだ・・・この「中メール」も2001年書き始めてから今回で99回目になり、次の100回で一つの区切りとしたいと思っているが・・・「続、続、中メール」はどうするか?迷っている、此処で一休みするか?企画を代えて何か新しいものに挑戦するか?多くのOB達の期待に添えるように努力したいと思っている。

鈴木中・横浜市サッカー協会「藤木隆明氏」の御霊前に捧げる「三ツ沢競技場」

2004年スペイン遠征・宿舎・ユースホステル(ゴルリッツ)

県サッカー協会からの表彰「楯」色々な仕事をやってきた。 

「中メール・NO48」

 「サッカーの勝敗」           2009・10・10

  今回のテーマである[勝敗]であるが、本当の真剣勝負の試合(本大会)、練習試合(今回のオランダ戦・ガーナ戦)、親善試合(キリンカップのスコットランド戦)と言うように代表の試合にも色々の試合があるが、私が此処で言うのは真剣勝負の「勝負」の事を言っている訳で、高校生の選手権予選にも通じる話だと思う。

現役の高校冬の選手権大会二次予選は、心配していたインフルエンザの影響は?相手日大藤沢のホーム・人工芝の問題は?毎年影響される「体育祭」と重なる時期の問題は?等々余計な事を抱えながらの大会であったが総合的に見ると、予想通りの結果だったと言えるかも知れない。日大藤沢に0−2で敗れた。(HPに掲載)

内容は湘南のペースだったが、点が取れずに涙を飲んだ。結果は相手GKに全て阻まれベスト32で全てが終わった。もう少し上に行ける力はあったと思うが3年生の最後の試合となってしまった。入学の時から接触の多かった学年なので、複雑な気持ちが残るが、彼らもこれからの人生に良い経験だったと、大いなるエールを送りたい。

世界のサッカーはブラジルに代表されるように堅い守りと、エースストライカーが居なくては出来ない事だ、どちらも居ない日本はどうすれば予選リーグで1勝出来るか考えて欲しい。先日行われたオランダでの試合を外国人の記者が「何で日本の選手はシュートをしないのか?」不思議なサッカーをやっていると書かれていた・・・

 最近朝日新聞に「決定力・考」と言うテーマで4,5回書かれていたが、サッカーの得点出来る選手はどうすれば育つか?と言う100年も前から世界の指導者が苦労して考えている事を、また持ち出して来た。子供の育つ「環境問題」「指導方法」「得点場面のデーター分析」「戦術」「運動量」「思考回路」「文化」等々、岡崎、大黒、高原、大久保、本田、森本・・・W杯本番は誰で戦うのか?中盤の選手はダレでも出来るような気がするが・・

 代表の試合でもその大会の歴史や伝統、国民性等などを考えるとワールドカップよりも、ヨーロッパ選手権大会(ユーロ)のほうが面白いとも言われている。日本の試合の中でもプロの試合よりもアマチュアの、高校選手権大会、関東大学リーグ戦、が私は夢があるので面白いと思っている。

 サッカーと言うゲームを本当の真剣勝負として経験してきた一人として、最近強く感じることだが、Jリーグが出来て10数年経ち「普及発展」は成功したように思うが、なかなか世界のトップと仲間入りが出来ない現状を今後どう打開するのか、本気で考える時が来たような気がしている。次のブラジル大会へ向けての準備をしなければいけない。

今回の「中メール」は10月10日(以前は体育の日・私の父の命日)に発行予定だった。私の父は日本一の剣道家で[剣の道]即ち何時も真剣勝負をしていた。切るか切られるかの、サッカーも「真剣勝負」で臨むなら「大和魂」のある良いサッカーが出きるかも知れない。

鈴木中作品・思い出のスペイン遠征・プレンシアの宿舎前の河口(ピレネー山脈を望む)

湘南高校・グランドから見た風景

「続中メール・NO47」

「今は昔・・・」           2009・9・9

 今年の夏は天候不順、地震、台風、大雨、土砂崩れ、水害、等々、あまり良いニュースが無い。幸い暑さの中で行われている夏の高校野球は明るくて、見ていて楽しい。TVの中で懐かしい場面が映し出され、池田高校、PL学園、浪商、早実、等の優勝場面、オールドフアンは喜んでいる。朝日新聞後援,NHK放映、なんと言っても夏の日本一の娯楽だ。

それに対抗したのか、サッカーの高校選手権は冬に行われ、毎日新聞と民放・・社の放映こちらも正月休みの娯楽としては最高だ。指導者の懐かしい顔が浮かんでくる。藤枝東(故長池)習志野(西堂)浦和南(松本)帝京(小沼)、国見(小峯)、鹿児島実(松沢)等々一緒に飲んでサッカーを語った仲間だった。相変わらず皆さん今も元気の様子だ。

先日今年度日本サッカーの殿堂入りの4人の方が発表になった。親しくしていた、審判の「丸山義行氏」国際審判員、中央大学OB、今でも大学リーグを見に行くと必ずお会いする。私より数年先輩だから間もなく80歳になる筈だ。色々審判の事を教えてもらった懐かしい方、その功績が認められた事は喜ばしい事だ。

この夏は湘南のグランドにあまり足が向かない。理由は簡単、あの「体育祭」の準備をしているクレージーな生徒達の(髪を染めて踊っている)姿を見るのがいやだからだ。

自分達が半世紀も前に[仮装行列]を、「体育祭の仮装」と言うマスゲームに変えてきて、今日のようになったのだから私の責任の様な気もするので余計足が遠のいてしまう。

同じように半世紀も前から実施されている「縄跳び」「湘南体操」「持久走」「水泳」等、体育科の授業で行われているものは、何時見ても嬉しく心に響いてくる。「縄跳び」と言う単純な種目も、一重、二重、三重、飛び、前で交差、横で交差(サイド・クロス)、斜めで交差、旋回、左右に旋回、秋から冬にかけて見かける、懐かしい景色である。

 この縄跳びが[広島の学校]でもかなり行われていると言う話を聞いた。その原因は毎月この中に素敵な水彩画の掲載をお願いしている「倉岡氏」が湘南から広島県へ転勤した時に持って行き、普及発展したと言ういきさつがある。

 1960〜80年代、学校行事の中に「文化講演会」と言う、各界の名士を呼んで[講演]を全校生徒が聞く非常に生徒達にとっては人気のある行事だった。たまたま私が生徒会の担当だった時に、私の父の関係で[落語家の故柳家小さん師匠]にお願いをして、話を聞いた懐かしい思い出がある。(写真はその時に小さん師匠が描いてくれた色紙である)

 今は昔話になってしまうが、色々な学校行事がそれなりに充実し、只勉強ばかりでなく、部活動も学校行事も神奈川県一、日本一、を自負して胸を張っていたような気がする。今でも、そう言う学校であって欲しいと願いながらグランドに顔を出したい。

 さて現役のサッカー部であるが夏休みは「U-18・リーグ戦、練習試合」を通してもうワンステップして欲しいと願っている。具体的には「中盤のパス」が課題だと思う。私は正しいパスサッカーが勝利の近道だと思っている。このチームには、トップに点の取れる選手がいるのだから・・

 早いこと、強いこと、相手の逆を突くこと、即ち相手をいなす(かわす)、楔を入れる、パスがもう少し上達すれば、もうワンランク上のサッカーが出来ると思う。パスが出来るサッカーはどんな相手でも打ち破る事が出来る。身体が小さくても、身体能力が低くても、パスの威力には叶わない・・サッカーの原点だ。

先日朝日新聞にメキシコのサッカー事情が掲載され、クラブ組織が確立されて子供から大人までパスで崩すサッカーが確立され、強化体制が一本化され経済的にも恵まれあまり選手が国外に流失していない、自慢の代表が今年はW杯最終予選で苦しんでいるようだが自分達のスタイルで世界のトップを狙っている。

「柳家小さん師匠・色紙」

「鈴木中作品・浜降祭神輿」

「倉岡誠親作品・ギリシャ旅行・」

「続中メール・NO46」

「世界のサッカー事情」           2009・8・8

 今更私が世界のサッカー事情を報告しても始まらない。最近のマスコミは居乍らにして世界の情報を教えてくれる。50年も前の話になるが私が大学でボールを蹴っている頃は全く世界の情報が解からなかった。新宿の丸善書店に外国の文献売り場があったがそこへ行ってサッカーに関係する洋書を買い込み辞書と首っ引きで訳した記憶がある。

 当時サッカーに関する日本の書籍は「竹腰重丸氏・多和健夫氏」の書かれたものしか無かった。竹腰さんは当時の日本代表監督であった。(ノコさん)とよばれ代表選手に親しまれた(東大OB)である。多和先生は教育大学体育学部・球技研究室の私の恩師である。当時サッカーを知識として学ぶ術は皆無と言ってもよいだろう。

 昭和37年ドイツから招聘したクラマーさんがドイツの指導法を持ち込み、日本サッカーが変貌したと言ってよいだろう。東京オリンピックの強化のため、最初に藤沢の体育センターで代表選手の合宿をした。丁度その前年に私が湘南に赴任した関係から最初の合宿のお手伝いをした。練習中水分補給、アイシングの為の「氷」の準備(台町の氷屋で購入し毎日運んだ)

 芝生のグランド、合宿所、監督室、ミーティングルーム、8ミリ撮影、今では当たり前の合宿生活が当時は全てが初めての事、今尚残る懐かしい「グリーンハウス」食堂がある。

最近はイングランド、プレミヤリーグ、スペインリーグ・・・毎日のようにTV観戦できるようになって来た。世界のサッカーからもっともっと学んで欲しい。

 湘南サッカー部が来年1月に「90周年」のお祝いをやるそうだ。そこで提案したい、次の「100周年」に向けてグランドを「人工芝」にする運動をしたらどうだろう。雨中のどろんこ試合、その為の準備、後片付け、近所迷惑の砂埃、怪我、戦術等々もうその時代は終わったような気がする。是非県立高校・人工芝・第1号に向けて努力したいと思う。

 現役の夏の活動状況はU-18のリーグ戦、選手権一次予選は危なげなく3試合勝ちあがり、9月の二次予選(32校・ ト ー ナ メ ン ト)の組み合わせも決まり、次の準備に入った。(HPを見てください)

遠征試合は、7月,30、31,日、1日(時の栖)でAチームは各県のトップクラスの高校との試合(対相洋高(神奈川)、対富岡高(福島1位)、対日大三島(静岡)、対大垣工業(岐阜)は内容の濃いゲームだった。主催者側も良い相手を当てて頂き、見ていて楽しい試合が多く、選手権2次予選に向けてかなりプラスになったと思う。

全ての試合が「天然芝・人工芝」で技術習得の為にはベターだ。又宿舎も完備され生活条件もよく、食事・睡眠、全てベターだったと言えよう。尚Bチーム,Cチーム、もそれぞれ対戦相手があり50名の部員全員が3〜4試合を経験し、こちらも成果が上がったと思う。そしてその後8月2,3の二日間、強化合宿(山中湖・忍野八海)で走り込みを行い2次予選に向けて準備をして来た。三年生最後の夏を悔いないよう全力投球して欲しい。

「試合風景・(青)Bチームに先生の指示(白)Aチーム見学」

「鈴木中作品・ハイカラな合宿所と人工芝グランド」

「倉岡誠親作品・ギリシャ旅行・カランバカ」

「続中メール・NO45」

「現役の活動報告」        2009・7・7

こんばんは。きょうの総体二次予選は、1−2で湘南工科大付属に敗れました。
試合は、湘南工科大の人口芝で小さめのグランド。すべりやすく、狭くてプレスがかかりやすいので、慣れているホームが有利。前半10分で、正面からのシュートをGKのミスがあり0−1。これで、試合の流れが相手に傾きました。前半は両チーム、いくつかのチャンスがありながら、得点できず、0−1のまま終了。後半は両チームともにシュートチャンスも増えるが、膠着状態が続く。後半33分に、相手が左サイドでためを作り、ふりむきざまのシュートを決められて0−2。これで、ほぼ勝負は決まった。このあと、終了直前にMF津田のCKをボランチ大川が打点の高いヘッドできれいに1点返すが、そのまま80分の試合は終了。相手の2点は、防げるはずの点であっただけに、悔やまれる結果になってしまいました。勝てば、選手権予選は2次予選からだったので、残念です。この試合で引退の3年生がいるようですが、詳細はわかりません。おそらく、数名を入れ替えて、チームをつくりなおし、選手権予選にのぞむことになります。(48回・関佳史記)

 
応援は学校側から川井校長、顧問の二人の先生(曽根・中東)多数の保護者、生徒が、そしてOBは井上会長(36回)相羽副会長・植松(41回)加納(43回)浅倉(45回)榊原(46回)関・青木(48回)澤田(50回)篠塚(54回)等〃、熱心に有り難う御座いました。

皆様の期待に添えず敗れましたが。選手はよくやったと思います。次回を期待しましょう。

 大会結果はHPに載っていますが、神奈川の代表が日大高校、桐蔭高校になりました。

準準決勝、準決勝の試合を見ましたが、何れも高校生らしい試合で楽しませてもらいました。これは将来ものになりそうだと思われる選手が何名かいましたが、今後どう育てるのか、進路等の面倒をどのように見て行くのか、課題は沢山ありそうです。やはり何と言っても玉際に強い、早い選手は育ててやりたいですね。

 次の大会は、3年生の最後になる冬の選手権大会一次予選が7月末に行われます。もう一皮剥けて、代表を狙えるチームになるだろうと思っています。3年生が10名残ったようです。高校生活最後の大会になるので悔いの無いように、先ずは一次予選を勝ち上がって欲しいと願っています。そしてU-18リーグ戦、夏休みの合宿、遠征試合が計画され、9月に二次予選が行われます。

 現役の活動情報は(48回・関佳史君(TVK)勤務)がきめ細かくメールで、報告してくれます。彼のアドレスに連絡すれば解る様になりました。私のこの「中メール」も間もなく100回を迎えます。一応今年一杯で一区切りとしたいと思っています。又何かアイディアをだして次を考えたいと思います。(関 佳史 seki6644@yahoo.co.jp

 さて同じ日「日本代表」が南アフリカ行きの切符を手にしました。後一年沢山の金を使って強化すると思いますが、「世界のベスト4」と言う高い目標が簡単なものでないと言う事を日本の指導者・選手は実感して欲しいと思います。代表1番乗りですが、代表32チームの中で最も弱いチームかもしれませんが、先ずは一勝を夢見たいと思います。

 この5,6月は42回生と遊ぶ(ゴルフ・ヨット)機会が何回かありました。彼らも「還暦」を迎え、色々の面で人生の次のラインに入ってきて余裕が出てきて、一番良い時かもしれない。「古希」を過ぎた爺と何とかお付き合い、していただき感謝している。

特にヨット遊びで始めてみるアングルを捉えての「お絵描きは」「感謝・元気・脳の活性化」のために(ボケ防止の)スケッチは本当に楽しく、気持ちよく、満足しています。

「江ノ島・南側から」素晴らしいアングル・F4・鈴木中作

「ギリシャ旅行・スケッチ 」 倉岡誠親作

「続中メール・NO44」

「現役の活躍」         2009・6・6

五月中は連休から月末にかけて 「高校総体・一次予選が行われた。200校以上の加盟校があり、1次予選でベスト32(実質・27校)に絞られ、6月に2次予選が行われる。ここまで勝ち上がるには4〜5試合勝たなければならない。その間に色々なドラマがある。高校生にとっては大変な経験であり、3年生は一生の思い出となるだろう。

こんばんは。総体ブロック決勝、対湘南学院戦は5−5から、PK戦で勝ちました。次は、6月7日(日)の湘南工科大付属で、時間場所は未定です。これに勝つと、選手権は2次予選からです。以前に1−4で負けている相手で、開始早々に2点先取され、だめかなというところでした。18分に真中にパスを通し、2トップの一人、2年の宇喜田が返して1−2。直後に左サイドを崩されて、相手CFに振り向きざまに決められて1−3。ところが、26分に左サイド深く、左バックの榊原が入り込みセンターリング。混戦になるも宇喜田が落ち着いて押し込み2−3。30分には、ボランチ大川からの縦パスをCF瓜谷が右足で逆サイドに地を這うようなシュートをきめて3−3の同点。ここで35分の前半終了。後半は湘南が優勢。後半15分に、瓜谷が右サイドを突破して、逆サイドの左MF津田まで長いセンタリングを通し、シュートがこぼれるところを自らつめて4−3と逆転。後半、27分には、MF大川のループパスを瓜谷が頭で押し込み5−3。このあと、湘南は2回GKと1対1になるが、決められない。逆に、後半34分、CKから頭で押し込まれ5−4。ロスタイムに、またも頭で押し込まれて5−5と、まさかの同点で70分を終了しました。延長は、両チーム、チャンスは作るが決め切れず、PK戦で湘南が勝ちました。両チームとも、前からのプレスがきかず、中盤がずるずる下がる状態でしたが、湘南は後半から修正ができて、試合は支配できました。5−3で残り2、3分までもっていきながら、同点にされ冷や汗ものの試合でした。大味でノーガードの打ち合いのような試合でしたが、とにかく勝って上にいけたので、まだ、試合は続きます。試験中でコンディションが悪く、突然真夏のような気温で、足がつって交替が数名でました。そのような状況で、よく頑張ったと思います。次の試合まで2週間ありますので、調整して、よい状態で試合に臨んでもらいたいものです    (48回生・関佳史氏記)

 このような試合経験を通して、3年生は最後の選手権予選を迎える。確かに時代とともにサッカーは新しくなってゆくが、昔も今も基本的なものは変っていないだろ。そのことを頭で理解し、身体で覚えて、正しいサッカーを身につけて、卒業してゆく。

1、 旺盛なる闘志(相手に負けない強い気持ち)(サッカーの教科書の1ページ目にある)
2、 相手より先にボールを奪う、競り合いに勝つ、体の使い方、足の運び、間合い・・等々
3、 正確に止める、蹴る、(パス)4、戦術、戦略、システム、戦い方、

 もう少し説明を加えたい。日本のサッカーは世界に追いつけ追い越せと、普及発展に努めてきた。そしてある程度Jリーグを頂点としたサッカーは成功したかに見えるが、前述した3、の部分ボールを扱う技術は進歩したと思うが、1,2、の相手より先にボールを奪う技術が諸外国に比べ劣っているように思える。

この事は色々原因があるだろうが、豊かな日本の子供達が恵まれた環境の中で楽しくのびのびとサッカーを学んできたものと、ストリートサッカーで常にボールを奪い合いながら求めてきた貧しさの中で育ってきたサッカーとは、自ずと違ったものになってくるのだろう。玉際の強さ、相手より先にボールを扱う、スピードや体の使い方、そしてシュート力は世界レベルにはなかなか追いつけない現実を真剣に考えなければならない。

 私もサッカーの指導を始めて早50年一貫して上述の理論が正しいと信じて「正しいサッカーとは」「湘南のサッカーとは」クラマーさんに習った「旺盛なる闘志」「武士の心」・・

(武士が十一人)(志)を高く持ったサッカーに徹しようと思っている・・現役の総体・2次予選の活躍を期待したい(6月7日・9時30分対湘南工科(会場、昔の相工大付属高校)

作品・鈴木中作・F4号・42回生湯浅君のヨット上からの眺め「雄大な烏帽子岩」

作品・倉岡誠親先生・スケッチ・「江ノ島」

「続中メール・NO43」

「新年度スタート」              2009・5・5

春休みから、4月中の公式戦、新一年生の状況等、新年度のスタートの報告をしたい。
今年は春から楽しみな報告が出来そうだ・期待して見に来て下さい

八千代カップ2009 平成21年4月1日〜3日
グループリーグ・グループA 
4月1日 八千代高校グランド
△ 湘南 2 - 2 宇都宮白揚、 ● 湘南 0 - 5 八千代 (前半25分までは互角の勝負、しかし後半10人になって崩れてしまった。悔しい!)
4月2日 八千代高校グランド○湘南 2 - 1 大阪桐蔭、 ○ 湘南 4 - 2 千葉英和 

平成20年度高校選手権大会出場校(大阪桐蔭、宇都宮白揚)に対しても湘南らしいサッカーを展開し、堂々とグループAで2位。翌日の3位決定戦(対 柏レイソルユース)へ。
順位決定戦 4月3日 柏レイソルグランド(人工芝)

● 湘南 1 - 1 (延長戦 0 − 0、 PK戦 3 -4 ) 柏レイソルユース
 前半先制するが追いつかれ、延長戦の後のPK戦で惜しくも敗戦。4位となる。
優勝は、決勝で真岡を2-0 で下した八千代高校。(46回卒・榊原(旧姓阿部)記)

「関東大会予選報告」

1回戦不戦勝・二回戦○湘南1−0山手学園 3回戦○湘南2−0保土ヶ谷 

4回戦○湘南1−2座間 接戦でレベルの高いゲームであったが、後半1−1で次の点をどちらがとるか、やや技術的に高い座間がゲットして次回に進んだ。湘南会場で井上会長他多数OBの応援があったが残念な結果で終了した。尚直ぐに全国総体予選が始まるので、こちらも期待したいと思う。HPに組み合わせが出ているので、ご覧下さい。

こんばんは。きょうの関東大会予選ブロック決勝は1−2で座間に敗れました。前半に右サイドを破られ、いったんクリアしたボールをボレーでシュートされて失点。後半中頃に、CF瓜谷を起点にしてうまく押し込み、同点。しかし、終了間際に、またもや右サイドをやぶられ、センタリングからきれいに頭で決められ勝負がついてしまいました。試合全体は座間の支配率が高かったですが、逆に湘南としてはカウンター攻撃が機能し、勝機のあった試合だけに残念でした。湘南が攻めている時間に1点が決まれば試合の流れは引き寄せられる状況だったと思います。きょう勝てば総体はシードで中央大会からだったのですが、総体は下から勝ち上がらなければなりません。2回戦からで5月5日(時間、会場は未定)に試合です。詳細は下記です。(4月27日メール通信・48回・関佳史君より)
http://www.kanagawa-fa.gr.jp/h_school/inhaiyosen09.htm

「新一年生の状況」

サッカー部入部希望者が22名、殆どの選手がある程度サッカーが出来るようだ。只正しく本物のサッカーを教わってきた選手は皆無と言ってよいと思う。しかし来るものは拒まず、先ずは学校生活に慣れることが先決である。一応2,3、年生のチームは出来上がっているので、新人で上に上がる選手がどのくらい出てくるか今後の楽しみである。老骨に鞭打って一年生に「サイドキック」でも教えに行こうか?と思っている。

さて前々回「日本のサッカー」について2014・ブラジルW杯に向けて前途が暗い話をしたが・・もはや小学生に正しいサッカーを教えなければ日本の将来は暗いと心配しきりである。何とかしなければならない・・・Jユース、大学、もレベルは上がっているが世界のサッカーに追いつくにはどうすれば良いのだろう?

鈴木中作品・今年は横浜開港150年何回か「みなとみらい」を描きに出掛けた。

倉岡氏作品・先日上京の折「江ノ島港から」

「続中メール・NO42」

  「OBの活躍」               2009・4・4

前〃回に紹介した細川周平君(48回生)が、「第60回・読売文学賞を受賞」した。(2月18日・表彰)この賞の内容についてはさだかでないが、HP(読売文学賞)をご覧いただきたい。対象作品は「遠くにありて、つくるもの」で、研究翻訳賞・部門の表彰である。大変素晴らしい賞らしい、サッカー仲間でお祝いをした(3月15日)

またこの日同期の鈴木啓介君の受賞のお祝いを追加した。「第61回・日本化学会賞」と言う、この世界では大変権威のある表彰だとその道のOBの方から、絶賛の報告を受けた(添付・研究内容)は素人の私には何も解らないが、知る人ぞ知る表彰らしい。又昨年世界でも評価の高い「フンボルト賞」ドイツでの表彰も受賞された。

さて周平先生のこの作品が先日我が家に送られてきた。読んで感想をという事らしいが、これだけの内容の、ブラジル移民100年の記録を読み上げるのは私にとっては大変な作業だったが、私の実の弟(5年前サンパウロで没)と、高校時代の親友が、移民して現地にいるので大変興味を持っていたので、何とか努力して目を通すことが出来た。

お祝いの会で話をしたが(うどん)が日本で食べると食欲の問題であるが、ブラジルで食べると、郷愁の問題になる。という一文を読んで、郷愁、言語、芸能を手がかりとして、ブラジル移民100年の、日系移民の文化を再考するという大変な仕事と長年にわたっての現地調査から生み出した移民研究の集大成に敬意を表したい。

 一方化学の世界の話はお祝いの会でも紹介されたが、私としては内容についてはイマイチ理解出来なかったが、今年ノーベル賞を受賞された福井謙一先生・野依良治先生も受賞されている大変な賞のようだ。そして54歳という若さで受賞されているのも彼の優秀さを示すものであるという報告があった。

3月20日(祝) 筑波付属0-1湘南・定期戦が行われた.OBの交歓試合も和やかに行われた。このような「定期戦」をこれからも大事にしようと何時も思う。戦後昭和22年から62回と続いている歴史ある試合はそれなりに、大きな意味がある。中断してしまった浦和高校の定期戦も是非再開を願っている。(色々両校の学校事情の違いがあるようだが)

 今年は海外遠征の休みの年になる。春休みは(4月1,2,3)千葉県の八千代高校のフェスティバルに出掛けた。試合結果は後ほど紹介できると思うが、八千代、大阪桐陰、宇都宮白楊等・・全国区の強豪校に胸を借り、かなりハードなスケジュールを消化して、実り多い遠征になった。私も2日間参加して、最近の高校事情を見学し勉強になった。

 関東予選の組み合わせは高体連HPを見ていただきたい。神奈川県代表が2校でトップの2校は出ないので、湘南も可能性がかなりありそうだ。小林新監督も1年が過ぎ湘南にもやっと慣れ、今年がグッド・タイミング年になるかも知れない。現役選手との繋がりも上手く出来上がり、ひょっとするかもしれない予感がする。

今回の作品は受賞された二人のご希望で 「湘南の海 」2点を贈呈した。併せて二人の紹介

「続中メール・NO41」

「岡田ジャパン2」              2009・3・3

 1年前に「NO29・岡田ジャパンのスタート」を書いてから、いよいよ最終目標の試合になってきた。即ちW杯アジア地区最終予選の対オーストラリア戦が2月11日・横浜で行われた。この一戦が今後を占う大事な試合と見て期待して観戦したが、結果はご存知のように0-0の引き分けで勝ち点1に終わった。

 多くの評論家は結果論で書いていたが、私は予想どうりで心配していたような結果になってしまったので、今回の南アへの観戦は諦めている。多分参加はできるだろうが、本大会の結果は予選リーグ全敗になるのではないかと思うので、次回のブラジル大会を期待して、今から冥土の土産の大会と考え「喜寿の記念」に備えたいと思っている。

 と書いたがむしろ次の4年後2014年の大会の方がもっと大変かもしれない。即ち若手の強化はやってはいるが、諸外国の方が先を行っているのではないか、と心配している。この試合の前に行われたフィンランド戦で5-1の大勝に終わり、いろいろの選手起用を試みているが、次の世代を担える有望選手は見当たらなかった・・。

 さて肝心の話だが「岡田ジャパン」の今後の見通しと日本サッカーの将来性について私は非常に悲観的な見方をしている。海外で活躍している選手起用もさることながら、将来を宿望される若手選手の輩出が遅れているような気がしてならない。具体的に上げれば、福島の「サッカーアカデミー」は失敗ではないのか?

 試合の数日前にNHKが岡田監督との単独インタビューを行い彼の決意を放映した。

監督は本音で「本大会ベスト4」の高い目標を挙げていたが、確かに目標は高く、選手達への期待度も高かったが、どうなのか?監督の言う「新皮質・旧皮質・大脳の構造」について、選手たちは理解できているのだろうか?

日本サッカー協会は新しく強化組織を発表した。川渕体制から犬飼体制に田嶋専務理事の下、原、大仁、布、・・新メンバーは岡田の言う「大脳の構造」について理解できる若い選手が育てられるか。期待して見て行きたい。旧川渕体制で学校スポーツを否定しながら実は学校に頼ってきた現実がどう変るか見守ってゆきたい。

ここで2月の現役の活動状況だが、毎週(土、日)は練習ゲームを行って来た。寒い中何回か観戦したが、かなりレベルの高い相手とのマッチで、勝敗は別にして実力は県内のベスト16位なので、あと数名直ぐ使える強力な新人が入れば、かなり期待できるチームになると思われた。(試合相手・武相、厚木北、流経大柏附、慶応大学A・C)

 特筆すべきは、慶応義塾大学が先方の人工芝のグランドで、トップチームが胸を貸してくれた。45分ハーフで得点は7-0の負け試合であったが非常に気持ちの良い内容の濃い試合で生徒達も感激していた。当日は古いOBの小林忠生氏(24回)・現総監督の福井民雄氏(41回)も観戦されて、お世辞抜きで上手くなったと褒めてくれた。

もう一つ報告したいのは、今年も筑波大学とYCAC(横浜外国人クラブ)の105回目の交歓定期戦が行われた。(40歳以上・30歳以上・現役C)の3試合、実りの多いゲームだった。試合後の交歓会も「人工芝G完成のお祝い」「記念品の交換」等和やかに歓談、彼らのスポーツの歴史を大事にする気持ちを強く感じた。

上記の慶応義塾大学の関東大学1部への返り咲き、と人工芝グランドの利用効果や、活用法、筑波大学の歴史ある定期戦の重み,YCAC(外国人)のスポーツへの取り組む姿勢等々非常に勉強になった。そして彼等は口を揃えて言う 「日本には世界に類を見ない歴史ある、学校スポーツがあるじゃないか 」もっと大事にすべきだと・・。

作品・「YCAC・人工芝・グランド完成」 鈴木 中作 (F6縮小)

「江ノ島 」 倉岡誠親作(上記定期戦の日に神奈川へ来られたが会えなかった)

「続中メール・NO40」

「高校・大学の試合 」             2009・2・2

今年の全国高校選手権大会決勝戦は鹿児島城西高校2−3広島皆実高校で広島が初優勝を飾った。1回戦から多くの試合を観戦して感じた事は、純粋の高校生のチームが少なくなってしまった。少し解り易く説明すれば、学校対抗でありながら中身はプロのJリーグで育った選手が非常に多くなり,Jリーグのユースには行けない人の大会になってしまったと感じたのは私だけではなかった様だ。

又このような言い方は間違っているかも知れないが「ある高校」のメンバーの殆どの選手が他府県(東京・神奈川)の出身選手だったり、又地方の有名校にその県の出身選手がいないのが当たり前になってきている現状を見るにつけ、何とかならないか、と思うオールドフアンが多いのではないかと感じるのは可笑しいだろうか?

87回の歴史ある大会が時代の流れに沿って変化するのは当然の事だが、やはりこの中から次の時代を背負う選手が育って欲しいと願うのは私だけではないと思う。勿論Jリーグから育つ選手もいると思うが、日本を背負う選手は高校、大学、で育つ選手も大事だと思う。いや選手として育つ事も大事だが、 「指導者 」として優秀な人材が育つ事も大事な事だと思っている。

私は湘南高校から日本代表が生まれる事も夢見ているが、湘南高校の ク ゙ ラ ン ト ゙で蹴った人達が日本の社会のあらゆる層でサッカーを育ててくれれば、世界の中に日本サッカーもより発展してゆくと思っている。そんな事を夢見ながら、時間があれば ク ゙ ラ ン ト ゙に足を運んでいるが、いつも「7回目の選手権大会出場の可能性あり・・」と選手たちには言っている。

1月の現役の試合は新人戦の中央大会が行われた。64チーム16ブロックの試合は、ホームで、1回戦が対城山高校1-2湘南、2回戦対横浜創英高校2-1湘南、が破れて県のベスト32で終了した。残った学校はそれぞれ実力が互角と見て良いだろう。贔屓目に見てベスト8位の力はあると見てこれからの補強と強化に期待している。

次に大学サッカーだが是が又様変わりしている。インカレのベスト4、が流通経済大学3−3筑波大学PK勝、九州産業大学2-4中央大学の勝、中央対筑波の決勝(せめてもの伝統校対決)で優勝は中央2-1筑波で終わったが、日本は大学サッカーと言う、世界に例のない組織でボールを蹴っているので、この伝統と歴史のある世界一の組織を使って世界と戦うのが得策であり、日本人らしさだと思っている。

今年の正月は高校と大学の決勝戦を楽しく観戦したが、非常に学生らしい、レベルの高い試合を見ることが出来た。戦術的には力のある2トップをどう押さえるか、中央大学の勝因はディフェンスの活躍で守りきっての優勝であり、広島皆実高校も相手2トップを押さえきり総合力とチーム戦術が勝り優勝した見ごたえのあるゲームだった。サッカーは「守る技術」が勝敗を決めると言っても良いのではないだろうか?

はっきり言ってJリーグが全てだと言うのは間違っている。日本代表選手は高校で鍛えられ、大学で本物のサッカーを学び、大事な学生生活の中で本物のサッカーを身に付けた選手が本物ではないかと思っている。勿論Jからも育って欲しいが、日本には明治100年の歴史がある。学校スポーツと社会体育の両立が、今後の課題となるであろう。

(広島皆実高校全国制覇の喜び・元広島高体連教諭・倉岡誠親先生)

 首都圏開催になって初めての広島県の優勝、念願だっただけに広島県の指導者、元指導者は心より喜んでいます。広島皆実高校は1992年体育課が出来て優秀な選手が取れるようになり力をつけきたチームです。

 今回の優勝監督の藤井君は、私が広島国泰寺高校で3年連続で全国大会に出場した総監督時代(湘南高校も全国大会に出場し、練習試合でお世話になった次の年に入学)の生徒です。彼は高校時代、成績も良く、明るく素直で、忠実なディフェンダーでした。立派な指導者に成長してくれたと喜んでいます。今回の優勝は、監督の力も大きかったが、それ以上にサンフレッチェの県内に存在する下部組織の選手育成の大きな力になったと思います。しっかりとした個人技でゲームをコントロールでき、見ていて安心できるチームでした。これからも広島県が全国レベルのサッカーを維持してくれることを祈っているものです。

「作品・平塚競技場・これからも大学の試合で多く使われるだろう」鈴木中作F
(来年度は神奈川県の関東1部大学・慶応大学・東海大学・神奈川大学を期待する)

「作品・倉岡先生・彫刻・ねんりんピック・鹿児島・2008・(無想)

「続中メール・NO39」

「日本サッカーの行方」        2009・1・1

 あけましておめでとう御座います。OB諸兄姉ならびに湘南高校サッカー部関係者にこの紙面を借りて、年頭のご挨拶と致します。今年も宜しく御願い致します。今春の年賀状に替えさせていただきます。添付の年賀状にてお許し下さい。

最初に現役の報告ですが、暮れにU-17の3試合が行われました。対光明相模原3−1、対浅野5−1、対秦野総合2−0、の3勝は自分達のペースで試合を進め完勝のゲームで楽しく見せてもらいました。続いて冬休みに入り25日〜29日千葉県の大会、北相地区の大会で10試合を消化して、正月休みに入りました。又新年に入ると新人戦の県大会(64校)の試合が行われます。結果については(HP・高校サッカー通信)をご覧下さい。

又暮れにはFIFAクラブ世界選手権大会(トヨタカップ)が行われました。勝負を争うガチンコ試合、興味深く観戦させてもらいました。特に準決勝のマンU5-3ガンバ大阪の試合は楽しませてくれましたが、得点差ではガンバの善戦と言えますが、内容ではかなり個人の力の差を感じました。特に競り合いでの場面、得点力ではかなりの差を感じたのは、私だけではなかったと思います。そしてサッカーの歴史を痛感しました。

さて新年号なので「日本サッカー・・」について、書かせてもらいました。12月15,16、日の朝日新聞に、犬養日本サッカー協会会長、オシム氏、等の提言がありましたが、概ね正しい論評だと感じました。私の尊敬する先輩「三村恪一氏」の一文を此処に紹介させて頂きますが、氏は昭和30年代の日本代表選手でDFの中心選手でした。

「日本サッカー協会のミュージアム開設に当たって」我が家のミュージアムも展示に値する記念品、有無の捜索を依頼されて5周年を迎える。

殿堂には日本サッカーのその時代の担い手や英雄の掲額の顔が並ぶ。是誰なんですか?見学者の声に日本サッカー文化至らずの感深し。

サッカー先進国の歴史は、祖父から父へ、父から子へ語り継がれる。マラドーナやペレの輝きは少しも衰えを失わないし、ベッケンバウアーの光は年毎に増す。その国の劇的な勝利の事も、屈辱の敗戦の歴史もしっかりと伝えられる。

日本的サッカーはどんなサッカーなのか模索に悩み続けるこの20年間。いかなるシステムをとるにせよ烈しい実践で発揮できる個人の能力に大きな片寄りがあることにこそ悩まねばならない。語り継がれていない、日本サッカー界の姿がそこにある。(三村恪一)

彼の言わんとするサッカーの歴史が未だ確立されていない状況が、日本サッカーの現状で、やれシステムだ、外国人監督だ、と言うのではなく、過去にスエーデンを破った、メキシコで勝った、胸をはれる歴史があるじゃないか、その上に立ってしっかりとした新しい日本のサッカー文化とは何なのか、勤勉実直な動きの早い、大和魂を基盤にした、是だと言うサッカーを、茅ヶ崎の地で月に一度は語り合って行きたい。

「作品・二人の年賀状」(鈴木 中・倉岡誠親)

「続中メール・NO38」

「OB情報他」             2008・12・12

 先月号でサッカー部OBの集まり「還暦の祝い」を報告したが、その会で最近マスコミを賑わしている話がいくつか紹介された。39回、岡本行夫氏(元首相補佐官・朝日新聞)41回、植松二郎氏著(テーブルの出来事・レストラン短編集・幻冬舎・出版・発売)48回、細川周平氏著(遠きにありてつくるもの・みすず書房・毎日新聞紹介)等々(写真参照)

 この中の植松二郎氏の小説について少し追加説明をしたい。物書きは大変な仕事だと思うがこの 「短編集 」は私ごとき素人にも解りやすく、楽しく読ませてもらった。何となく底に流れる物語が、江戸古典落語に通じるような、「人情噺」でほろりとする「落ち」があり解りやすく、現代風なのか?若者にオバサンにうけるかも知れない。

 さて現役の方は新人戦とU-17 の試合が毎週のように行われ新チームも「ナイスゲーム」をやっているので、楽しく観戦させて貰っている。対大船高2−3、対日大藤沢高0−1、対鎌倉高1−2、最終戦対大清水3−2で敗れ地区準優勝、次は県大会である。 ヘ ゙ ス ト8以上を期待しよう。全国高校サッカー大会も代表が出揃い本大会の組み合わせが決まった。

 毎週行われる大学リーグが今回も平塚会場だったので寒い中を観戦した。今年の筑波大は非常に調子良くこの日も3−2で東京学芸大を破り、3位を確保している。勝因は簡単、点を取れるツートップがいるからでこの二人が、今年の関東大学1部リーグの得点王を争って1,2位で終了した。サッカーは点取り屋がいれば勝つ事が出来るスポーツである。

 しかしそうは言っても簡単に点取り屋は作れない、筑波大のように点取り屋がいても、ディフェンスが「ざる」ではそれ以上に相手に取られてしまう。だから「守る」事を教えるのがコーチの仕事で、守れないチームは優勝出来ない。多くの部員を抱えどの大学も進歩しているのは応援合戦だ。次は「チアリーダー合戦」になるだろう。

 この日「Uー19」のアジア大会 ヘ ゙ ス ト8の試合をテレビで見た。韓国に3−0で完敗、良いところが全然見られなかった。何が駄目かを解説者は説明できていなかった。「駄目ですね・・・」だけを言うなら解説の必要は無い。相手との競り合い、体の使い方、マン、マークの守り方、ジャンプの時の体の使い方、スピード等々どれをとっても相手が上だった。

 このレベル、年齢でこれだけ韓国と差がある事をサッカー関係者が 「一大事 」だと感じていないことが大変な事だ。Jリーグの関係者は日本人選手のレベルアップが出来ていないことを解っているのだろうか・・Jリーグの楽しさ面白さは外国人選手で成り立っている事を自覚できているのだろうか?大学リーグを見るにつけ寂しく感じているのは私だけでは無い。

「続中メール・NO37」

「イレブンデー」            2008・11・11

 古い話になるが私の高校時代(55年前)に11月11日をサッカーの日と決めてこの週の休日を「イレブンデー」として,OBと一緒に一日ボールを蹴った思い出がある。その後も毎年この日には集まることになっている。昨年創部60周年に集まった時、昭和28年1953年全国大会出場のメンバーが全員集合した(写真はその時の出場記念のメダルである)

 この出場記念メタルであるが、その後湘南が出た、1964年42回大会、1966年44回大会、のものと一緒に大事に保管してある。しかし1988年66回大会のものは持っていない。理由は色々あるが毎日新聞社後援の大会が首都圏開催で日本テレビに代わったためか、理由はさだかでない。選手18個・監督1個、がその理由かもしれない。

 OBの集まりで同じ学年でも持っているものと、持って無いものがいるのは、後になり、指導者としてはつらい思いがある。私が高校時代にサッカーを教わった先生は、広島高師卒の理科の先生だった。当時埼玉が強かったのは、埼玉師範の卒業生が県内の学校に赴任して小中高全てにサッカーの指導者が多くそれが後にサッカー王国に繋がったと言える。

 日本サッカーの歴史は色々あるが現在のJリーグの発展も過去のよき指導者の力の結集と言っても過言でない。浦和レッズのサポーター然り、静岡県のサッカーの歴史を見ても学校スポーツが基盤になりよき指導者がいたからであろう。同じく広島が御三家と言われたのも広島高等師範学校の力があったからだろう。

「漢の高祖も・」サッカー小唄、この歌も元はと言えば「広島高師」の寮歌だったようだ。漢の高祖も秀吉も・天下取らなきゃ只の人・まして凡夫な俺じゃもの・ボール蹴らなきゃ只の人・・・練習疲れてすやすやと・ボール枕にゃうたた寝の・夢路たどれるイレブンの・心は一つじゃないかいな・一度はヘディング・二度はパス・三度のシュートにひかされて・またもやりたや蹴球を・思えば心が・スットントン・・(イレブンデーに歌った・・)

「うつむくなよ振り向くなよ・君は美しい・・」阿久 悠・作詞作曲 

戦いに敗れても・君は美しい・・今ここに青春を刻んだと・ ク ゙ ラ ン ト ゙の土を手に取れば・・・
誰も涙を笑わないだろう・・誰も拍手を惜しまないだろう・・又合おう何時の日か・・・君のその顔を・忘れない・・・高校サッカーが首都圏開催になったとき、今は亡き阿久悠さんが「敗者を讃える歌」を作ってくれた。

「写真・高校選手権大会参加賞」1、自分(31回) 2、湘南(42回・44回)

鈴木中作品 新宿副都心ビル
(国立競技場・最上階観覧席ブース・裏側の景色 2008・1・10、高校選手権決勝戦の日の作品)

倉岡誠親作品 北欧旅行スケッチ

「続中メール NO36」

「還暦の祝い」             2008・10・10

今年の高校選手権大会2次予選のプログラムの「チームプロフィール」に湘南のところは「選手権出場6回」文武両道の校風とサッカーが校技の伝統校、7年ぶりの2次予選進出、と書かれてあった。おおむね正解だが「文武両道」「サッカーが校技」「伝統校」・・・はどう理解すればよいのか、人様々であろう。

 表題の還暦の祝いを「42回生」が11月に行う。厳密に言うと昭和42年卒業は彼らが2年生の時、関西で開催されていた全国高校選手権大会、44回大会に出場したメンバーが全員集まるらしい。当時の彼らの上の3年生、下の1年生が集合40名ほどの「爺」が集まるそうだ。それぞれ一流大学を出て、一流企業のトップのメンバーばかり、中には医者が数名、文武両道の伝統校だったのだろう。(当時の写真掲載)

 さて2次予選の試合1回戦対逗葉高校戦は3−2の勝利だったが、前回報告書を書いてくれた(46回榊原氏)の2世が素晴らしい2点目の左足シュートで勝ち上がり、2戦目は負傷の選手が増え、残念ながら横須賀高校戦に0-1で破れ涙を呑んだ。此処までの勝ち上がりは上記の伝統校の底力で勝ち上がったような気がする。

 久し振りの2次予選の為か応援も多く、勿論数十名の保護者に加え,OB会の面々井上会長、牧村副会長(40回大会出場)相羽副会長・加納ドクター(44回大会出場)その他多数のOBの応援を得て、レベルの高い試合を見る事ができたが、やはり敗れて精一杯やって悔し涙の選手を見ると、やるせない気持ちになった。次回を期待しよう・・・

 一緒に観戦した「三村恪一氏」との会話の中に出てくるのは、「高校サッカーは素晴らしい」「湘南のサッカーは見ていて楽しい」「やはりサッカーは頭の良い子のスポーツだ」こんな感想が聞かれる。9番の身体の使い方が良いね・・5番は将来大学で通用するね・・等々・・二人の爺が勝手な事を話しながら、楽しく観戦させて貰えて感謝している。

 その後大会も進みベスト8が出揃った。桐光―法政二、桐蔭―座間、弥栄―淵野辺、厚木北―日大、が10月19日、準々決勝が行われる。桐光が本命のようだが実力は紙一重、公立の座間、弥栄、厚木北、の健闘も高く評価できる。特に関東大学リーグ戦のプログラムを見ると、勝ち残っている学校の選手が数多く載っているので、大学リーグの観戦も興味深く、この秋の休日は楽しみが一杯である。

そして「大学リーグ」は1部が神奈川大学、2部は東海大学、と慶応大学が活躍している。神大が地元出身選手を中心に関東1部で頑張っている、平塚会場の試合を見る機会が多くなり、又私の母校筑波大も見る機会が出来て足を運んでいるが、未だ何となく将来の夢を託すという意味から大学サッカーはそれなりに楽しく見させてもらっている。

湘南は選手権が終り、次のスタートを切り新メンバーで10月の練習試合が始まった。土・日はなるべく湘南の ク ゙ ラ ン ト ゙に足を運んでいるが、小林監督も新メンバーの構成に苦労しているようだ。これからが彼の腕の見せ所か・期待しよう。10月の試合は対相洋、横浜創学館、旭、横浜東が計画されている。その間にU17の試合が入る様だ(HPを見て応援をお願いします)

 彼岸を過ぎると一気に涼しくなった。外に出る気分も晴れやかにこの秋は大いに好きな「絵」の世界に挑戦しようと思っている。今回掲載の「湘南の ク ゙ ラ ン ト ゙」は正面の新校舎と、「歴史を語る、楠の古木」彼らの還暦のお祝いに贈る予定である。

(尚/Web キ ゙ ャ ラ リ ー(湘南の画伯たち)ヤフーで検索)「風の便り・にご感想をお寄せ下さい」

写真・43年前の紅顔可憐な美少年たち

作品・鈴木中・「 ク ゙ ラ ン ト ゙から見た・湘南高校全景」

作品・倉岡誠親・「北欧旅行・客船からスケッチ」

「続中メール・NO35」

「夏の合宿・遠征(時之栖⇒大阪遠征)」        2008・9・9

現役のサッカー部は、監督が変わり新しく夏の行事として(遠征合宿)が実施された。応援参加したOBの報告を載せたい。(46回生・榊原和久氏)

 「サッカー部夏合宿(時之栖スポーツセンターフェスティバル)報告」

 
7年ぶりに高校選手権大会の二次予選出場を決めた湘南サッカー部は、8月5日(火)〜9日(土)の期間、夏合宿にでかけた。この夏合宿は、二部に分かれていて、前半は日本代表サッカーチームも合宿をすることもある富士山の麓にある時之栖で“時之栖スポーツフェスティバル”に参加し、後半は関西まで遠征をして兵庫県丹波市にあるアスコザパークたんばで“大阪 北陽カップ”に参加するというものです。

9月6日(土)から始まる二次予選、対逗葉戦を控えた湘南現役チームにとっては、かっこうの強化合宿となるものと考えられる。顧問の小林先生にうかがったところ、合宿前半の対戦相手は湘南がゲームの主導権をとれるもの、後半は、インターハイにも出場した関西の強豪校大阪桐蔭や、関西の雄北陽高校、そして大学のチームと、湘南イレブンがゲーム中に耐えに耐え、機を見てカウンターをしかけ得点を取ろうと努力するというゲームスタイルを取らなければいけないチームということであった。

 鈴木先生と私は、前半の“時之栖スポーツフェスティバル”の湘南イレブンの試合を見ることができたので、そのレポートをします。3年生が6人チームに残り、1年生も数名加わってチームの雰囲気も良く、二次予選目指してチーム力アップに努力をしていました。

 “時之栖スポーツフェスティバル”の湘南の戦績は以下のようで、天然芝、人工芝のグランドで、暑さの中、よくパスをつないで頑張り、全勝の成績でした。
8月5日(火)湘南 A 2−0 琴丘(兵庫) 8月6日(水)湘南A3−2八幡(滋賀)
湘南 A 9−0 松坂(三重)  Bチームも5試合か組まれ全て勝ちゲームでした。

 これまでの“中さんメール”にも書かれているよう主力3年生の一人のけががまだ完治せず、また、選手権一次予選のブロック決勝でレギュラーのFWが剥離骨折をしてしまい、苦しい台所事情でしたが、小林、曽根両先生のご指導の賜物でチーム全体としての底上げが着々と進み、代わりに出場した選手が伸び伸びとプレーをし、湘南の勝利に貢献するのを見て、とてもうれしい思いをすることができました。また、若手OBの高橋君(GKコーチ)、篠塚君(フィールドプレーヤーコーチ)が、一生懸命現役選手を指導してくれていて、その熱心さに頭が下がる思いでした。

 以下、アスコザパークたんばで“大阪 北陽カップ”の試合結果だけを記して、サッカー部夏合宿報告を終わりたいと思います。

アスコザパーク(大阪 北陽カップ)
8月7日(木)〜9日湘南 A1−4大阪学院大学A 湘南 A1−2大阪産業大学B 
湘南 A2−1大阪桐蔭B 湘南 A0−1大阪桐蔭A   (46回生 榊原(安部)和久)

 
思い起こせば、夏の合宿は長い間(学校内合宿)か(体育 セ ン タ―・グリーンハウス合宿)と決まっていた。暑い耐暑訓練で冬の大会予選の為の体力と精神力向上の為の鍛錬の合宿であり、それなりの成果を上げてきた訳である。その後清水監督の考えで 「涼しい菅平合宿 」が続き今回の「遠征試合合宿」に変わって来た。

勿論私の頃からも 「遠征試合 」は実施していた藤枝、静岡、清水、広島、京都・・等OB達は思い出多い事であろう。又古い昔は 「国体 」も単独高校出場で秋田、岡山遠征、等懐かしい話も残っている。思い出多い体育 セ ン タ ーグリーンハウスも是非 「描き残そう 」とこの夏は何回か脚を運んだ。(今回の作品添付))(併せてハイカラな「時の栖」の合宿所を載せた)

このメールが出る日には2次予選一回戦の結果が出ていると思う。(協会HP参照)

今月は是非これだけは書き残したいと思う、「なでしこジャパン」のオリンピックの活躍について少し感想を述べたい。ここ数年「なでしこリーグ」に関係してきた事もあり、今回の頑張りについては心から喜びを表すと同時に、男性の意気地なしには 「成田空港へ行ってトマトを投げつけたい 」気持ちも書き残して置きたい・・・

 何故日本の女子がオリンピックに力を出せたのか1、オリンピックに向かう姿勢の違い。2、男性に比べサッカー環境全てに恵まれていない、3、技術、体力が、世界のトップレベルに近づいている。等々いくつかの理由が考えられるが、それにしても結果については賞賛できる。今は無き故長沼健さんがメキシコの「第3位・銅メタル」の報告会で、日本男子は今後メダルを取れないかもしれない・・・と言われたのを思い出す。

 特に此処一発の勝負どころで勝てる強さは「僕ちゃん」達より 「なでしこ 」が強いのはうなずける気がする。高給を貰い、大事に育てられた、Jリーグの選手は何か勘違いをしているような気がしてならない。W杯と言う別の目標があるからと言うのは言い訳にならない。

「戦争を知らない子供達・・・」そんな歌を思い出す。

ヨーロッパが力を入れないのは 「ユーロ 」と同じ年にオリンピックが開催されるので理解できるが、日本が2010・W杯の南アフリカ大会に行けるかどうか?心配しているのは私だけではないと思う。北京 オ リ ン ヒ ゚ ッ クに出場した南米の凄さは見ての通りであった。

鈴木中作品  「グリーンハウス南側 」

「時の栖・ハイカラな合宿所」

倉岡誠親作品 「北欧旅行・客船からスケッチ」

「続中メール・NO34」

「冬の高校選手権大会一次予選」         2008・8・8

  8が重なる記念すべき日(北京 オ リ ン ヒ ゚ ッ ク開会式)に、夏休みに入って行われた、現役の正月の選手権大会一次予選の勝ちあがりを報告できて喜んでいる。私の記憶だとこの「中メール」を書き出した「2001年」に一次予選を勝ち上がって以来かもしれない。NO11号(7月26日)に「一次予選突破オメデトウ」と書かれてある。

 大会前の練習試合は対神奈川大学B5−2湘南、対産能大B4−2湘南、対サレジオ高校0−3湘南、対二宮高校1−4湘南、の試合でコンデションを整え予選に望んだ。幸い組み合わせにも恵まれ2回戦平塚学園2−0、3回戦津久井浜4−0、4回戦慶応藤沢2−1で勝利を収め9月に行われる二次予選に勝ち進む事ができた。新監督の小林先生・曽根先生の指導力に敬意を表したい。(組み合わせはHP高校サッカー通信に記載)

2次予選に勝ち上がったのが7年ぶりの様だ。本大会に駒を進めてから早20年になる。

ユーロで優勝したスペインが44年ぶりとか・・諸外国の捉え方は何十年ぶりでもおらがサッカーは、世界一だと自負して負けてもびくともしていない。イタリヤ、フランス、ドイツ、ロシアもトルコも然りである。私は湘南高校のサッカーは日本1だと思っている。

  「中さん・湘南が勝たなきゃ日本のサッカーは駄目だよ 」と言われた「健さん」(長沼さん)が鬼籍に入られた。大好きな大先輩だった。個人的にもお世話になり、同時代の「元さん」(木村さん)「研さん」(芳賀さん)も亡くなられ。謹んでお悔やみ申し上げます(合掌)神奈川の先輩は 「恪さん 」(三村さん)だけになってしまった。寂しい事だ・大事にしよう。

 何年か前に茅ヶ崎で「健さん・恪さん」と話をした事がある。其の時「健さんが・サッカーは「武士」のスポーツ、即ち戦う11人の武士(さむらいが十一人と書く)、と言われたのを思い出した。クラマーの「大和魂」の話も懐かしく聞かされた。

 現在の日本サッカーで面白いのは高校サッカーだけだ。大学リーグ、Jリーグ、技術的に見るべきものは何も無い・・TVで世界のサッカーが観戦できるご時勢に、同じへたくそな日本のサッカーを見るのなら高校サッカーが一番面白い。へたなりに一生懸命・全力投球する姿が好きだ。だから正月の国立にあれだけの観衆が集まるのがうなずける。

 高円宮選手権、U18大会も結構だが、歴史の力は誰にも動かせない・・キャップテンと自認して学校スポーツを切り捨てた人がいたが、歴史を変えることは出来なかった。彼の功績は評価できるが・・「奢れるもの久しからず・・」そんな文句が聞こえてくる今日この頃である・・・次のプレジデントに期待しよう・・

「写真・予選現役メンバー慶応藤沢戦・試合前のスナップ写真 」

「作品・鈴木中・フランス旅行 」(生徒と別れ美しい田舎町・リヨンで・・・)

「作品・倉岡誠親・北欧旅行・スケッチ 」

「続・中メールNO33」

「本当にサッカーは面白い」            08・7・7

ユーロ2008(ヨーロッパ選手権大会)を今年は全ての試合をTV観戦した。誰もが口をそろえて言う。何でこんなに面白いのか・・・ワールドカップも面白いけれど、また違った楽しさを味あえる事ができる・・一口では言い切れないが「歴史と伝統に培われた、サッカー文化」があり「お国柄」があるからだろう。

只サッカーの高度な技術にプラスされた国民性とか歴史と言っても解からない人が多いと思うが、高度な戦術の中に含まれる「ヒデング魔術」のような監督采配あり、過去の国と国の戦争に纏わる歴史があり、リーグ戦の戦い方と一発勝負の ノ ッ ク ア ウ ト方式の ト ー ナ メ ン トの戦い方もある。南米やアフリカ・アジア等が入らないから面白いと言う見方もある。

予選リーグでの戦い方から、群を抜いていた、オランダが1?3ロシアに敗れ、クロアチア1?1トルコにPKで破れ、ポルトガルが2?3ドイツに破れ、イタリヤ0?0スペインはPKでスペインが ヘ ゙ ス ト4に上がった。準決勝はトルコードイツ、ロシアースペインになった。これまた色々の意味で面白さ、興味深さがある歴史に残る試合になった。

 準決勝の結果はドイツ、スペイン、が勝ちあがり順当と言えばその通りだが、ドイツはトルコに3?2で実力を見せ付け、ミラクルターキーも此処までだった。スペインはロシアに3?0で完勝、パスで崩し、いなしてスルーパスからシュートの得点で、監督の采配も見事に当たり、魔術師ヒデングのロシアも完敗で散っていった。

 決勝戦は大変興味深く世界中が注目の1戦になった。したたかなドイツ、技とまとまりの出てきたスペインの一戦は予想通り見事な試合であった。勝負強さを見せ付けたドイツであったが、やはりサッカーは技術と戦術が勝負を決め、その上例年には無いまとまりを見せたスペインの優勝は、価値ある「賞賛に値する優勝」だったと言えるだろう。

 さて昨年DVDを紹介した「三村恪一さん」が今年出版した「守備力」と言う本を見ながら、ユーロを観戦して感じた事は、カンナバーロが居ない「イタリヤ」の敗北を見てこれだけ進歩した近代サッカーも最後は[GKを含めた守備力]が勝敗を決定しているように感じたのは私だけではないだろう。添付の「7月1日発売・守備力」をご覧下さい。

 3時半起床のWOWOWのTV観戦に合わせた6月の生活を元に戻すのは時間が掛かるかもしれないが、70歳を過ぎた爺が連日興奮して観る「サッカーの魅力」をどう説明してよいか判らない。只言えることは「サッカーと言うスポーツ」は「麻薬」のように犯されてしまうと辞められない魅力あるスポーツである事は確かである・・・以上
「守備力」スキージャーナル社・著者・三村恪一氏

鈴木中・作品・「サンテ、ティエンヌ駅」スペイン遠征の帰り生徒と別れてフランスで・・・

倉岡誠親・作品「2008・6月・北欧旅行・スケッチ」

「続中メール・NO32」

「近況報告」                2008・6・6

 今回は近況報告をしたい。先ず現役はインターハイ予選が5月3日からはじまった。1回戦対上鶴間高校は7-1で圧勝したが、雨の試合で一人怪我人が出た。2回戦対大津高校戦は先取点を取られながら、良く反撃し後半に逆転で2-1の辛勝であった。3年生の中心選手3名を欠きながら新2年生のメンバーでよくやったと言えるだろう。

 さて3回戦はシード校、対武相高校戦は期待をして見ていたが、予想通り押し込まれたが良く守り好試合であったが、1-2で勝負は取れなかった。敗因を挙げればきりがないが、やはり基本的な個人の能力差があったと見てよいだろう。又組み合わせに恵まれなかったことは、前回の関東予選の結果から致しなかったと言えるだろう。

若手OB諸氏が沢山応援に来られ、新顧問の「小林 ・曽根」先生と顔合わせも出来、久し振りの現役のサッカーを見て納得して帰られた方も居られたようである。怪我をした中心選手が回復しベストのメンバーで選手権予選に望んで欲しいと思っている。応援(榊原(旧姓阿部)48回 ・2年生の息子がFwで活躍中、澤田50回、吉田、中嶋、関48回、渡辺63回 ・ ・他父母10数名)

現役の親の代OB46〜49回生(54歳)が5月に茅ヶ崎で集まりを持った。呼ばれて参加したが皆さん、私の30歳台頃の教え子だが、この時代は「優勝 ・代表」等の結果は残っていないが、湘南でのサッカー生活の強い思い出や、生甲斐等は人一倍強く持っているように思えた。まだまだ身体も動く年齢なのでシニアの大会で頑張って蹴っている人も多いようだ。同時期の方は是非参加して欲しいとこの紙面を借りてお願いしたい。

春休みの「スペイン遠征について」色々の方の意見を聞いているが、今後の事については早急に方向性を出したいと思っている。勿論学校が主体的にやる事なので、全て学校に任せるが今までの経緯から、OB会の意見も出して検討して欲しいと思っている。今回の遠征で世話になったOB諸氏の意見も参考にして欲しい(写真・スペイン遠征に帯同したOB)

私は「歴史と伝統」と言う意味からも、ヨーロッパの100年を越える歴史に培われたサッカー文化に直接触れるだけでも、価値のある事業だと思うし、又学校間交流等も今後の課題として、湘南生には貴重な経験になると思っている。

只あくまでも「新顧問」の小林 ・曽根先生の考えを優先して欲しいと願っている。

このことは前にも少し触れたが「夏の合宿」「父母会のあり方」「OB会との関わり」等新しい「曽根 ・小林・先生」が一番動きやすい体制が大事で前向きに検討して欲しいと願っている。この時期「父母会も行われ・OB会も」あり、より良い方向で今後の活動計画を立てて欲しい。

既に私は過去の人間なので、あまり積極的に現役には係れないが、何らかの方法で前向きに接して行きたいと思っている。それはどんな方法が良いのか、目下思案中であるが期待してみて欲しいと思っている・・次回7月号には答えを出せると思う。

「写真 ・スペイン遠征 ・加納(43回)関(48回)・鈴木・バルセロナにて」

「写真・成田出発の時・篠塚・関・鈴木・清水先生」

「作品・スペイン ・ビルバオ・が誇る巨大な(グッゲンハイム美術館)」

「作品・倉岡先生・新緑の広島宇品灯台 」

「続中メールNO31」

「2008年スペイン遠征報告」          2008・5・5
48回卒 関 佳史

 3月26日(水)から4月6日(土)まで、10泊11日の湘南高校サッカー部、スペイン遠征に同行しました。3回目の今回は、諸事情により、学校主催の行事という位置付けとなり、公式の学校訪問が組み込まれます。また、旅行中に11年間務められた清水先生が二宮高校へ異動することが発表されるなど、あわただしい中の旅行でした。

 生徒39名に、学校からは清水先生、OB会からは鈴木中先生が団長、ドクターで加納さん(43回)が同行、関と篠塚コーチのほか現地で渋谷君が加わりました。このほか、この旅行をコーディネートする嶋貫さん(清水先生の同郷で、元読売クラブ)という強力な助っ人が
この企画の核心を創っています。そして、JTBからも1名添乗で参加。

 旅行は、4つの試合と各地の見学・観光で構成されおり、サッカーの試合での強化、サッカー文化の吸収のほかにも、初めて海外の文化に触れるという意味で充実した内容になっています。サッカーの試合だけやり、少しの買い物時間が与えられるというものではなく、テーマに添った、見学、学校訪問、フリータイムでの自分たちでの行動計画など、国際感覚を養う端緒としては、うらやましい限りのプログラムで、湘南高校の生徒だから、受け止めてこなせるレベルであると思います。

 今回、ベースとした宿はビルバオ近郊のプレンシアという町のスポーツ合宿施設です。プレンシアは、大西洋岸の海辺の入り江の奥で、丘に囲まれ、葉山のようなリゾート感覚ののんびりした町ですが、地下鉄でビルバオまで約40分と交通の便も悪くはありません。初戦は、このプレンシアの地元チームで、県リーグの1部です。この相手にはA、Bチームともあぶなげなく勝利しました。バー、300名程度の屋根つきスタンドの人口芝グランドで、子どもからお年寄りまで200名くらいの観戦の中での試合でした。日本では考えられない状況の中での試合で、地域に根付いたサッカー文化の深さを再認識しました。

 このあと、3月31日から、3日間で3試合を行いますが、こちらはハードな相手でした。今回初めて対戦するレアル・ソシエダ、毎回対戦しているアスレチック ・ビルバオのユースの2チームは、スペインを6地区に分けた地域リーグに所属し、この年代では最高レベルです。

 昨年、レアル・ソシエダは、リーガ・エスパニョーラの2部に落ちましたが、ずっと1部におり、リバプールのシャビ・アロンソを輩出したチームです。バスクでは第2の都市・サンセバスチャンを本拠として、財政的に苦しいチームは、この地方でNO.1のA・ビルバオによい選手を持っていかれることの繰り返しだそうですが、練習施設はビルバオに劣らないものでした。ここのユースとは、雨で水を含んだ天然芝のグランドで0-6の負けでした。初めて当たる本当にハイレベルな相手で、大柄でプレーの幅の広い選手への対応が難しく、慣れない芝の状況もあり、厳しい試合となりました。

 翌日は、Aビルバオ戦。Aビルバオはバスク地方のシンボルとなるチーム。以前はバスク人しか入れず、1部から落ちたことがない強豪です。最近は、バスクで生まれれば、人種を問わず受け入れる方針となり、相手のユースには黒人選手もいました。

こちらは、ビルバオ空港そばのレサマという町の練習場でのゲーム。相手チームのレベルにも慣れ、人口芝のコンディションもよく、相当に対応ができるようになり、湘南チームは、内容としては相当に進歩していました。90分ゲームで、相手は3チーム用意し、30分ごとに交代するという変則マッチで、体力的にハンディがあり、結果としてスコアは0-7でした。

3連戦の最後となるのが、パルセロナの県リーグ1部所属のユニオン・エスポルティーバ・コルネリアというチーム。試合当日の朝5時、ビルバオを出発してバスで600km先のバルセロナに入るという強行日程で、疲労の中での試合となりました。相手は、前2戦に比べると格落ちで、最初20分は0-0でいい勝負かと思われました。しかし、運動量が落ちてきたところで失点を重ねて、終わってみれば0-5というスコアでした。この試合では、シュート ・チャンスも相当に作りだすことができ、大きなスペイン人のプレーの幅にも慣れてきたところです。伯仲した内容になったためか、相手が体をはってきて、湘南側で1名の骨折者がでました。加納さんの速やかな対応で、措置をしていただき、負傷者はその後の旅程にも車イスを手配して参加することができました。

レアル・ソシエダとの試合があとから決まったこともありますが、(試合を受けてもらったことが大きな名誉であり、大きな実績)、結果としては、3日で3連戦はきつかったかも知れません。Aチーム4試合、Bチーム3試合で2勝5敗という結果でした。

試合以外でも、各地の見学や学校訪問は充実した内容でした。

ビルバオのあるビスカヤ県の見学では、第二次世界大戦でナチスドイツから空爆を受けたゲルニカを訪問し、本で読む世界史よりも目でみて歴史を理解してきたと思います。世界史を学ぶ前である生徒も多いはずですが、単一民族国家の日本では考えられないことが、海外では起こることが実体験できたのではないかと思います。

サンセバスチャンでは、「イカストラ エキンツィア」という学校を訪問しました。ここは3歳児から高校年代が通う学校ですが、すでに日本の学校との交流実績があり、準備は周到でした。同年代の高校生が用意した質問を英語で行い、湘南生が答えるということで1時間近く交流を行いました。湘南側は準備をしていませんでしたが、帰国子女の生徒が通訳を行い、両者のコミュニケーションがうまくいきました。おそらく湘南生も英会話の必要性を感じたことと思います。

 同じく、サンセバスチャンでは、チョコ(日本では美食クラブと訳されているそうです)の訪問を設定していただきました。食へのこだわりの強いバスク人が、男だけで集まり、とびきりの食材を持ち寄って自分達で料理を作って楽しむクラブです。ここでは、地下の特別の部屋で、手づくりのパエリアをご馳走になりました。

 このほか、リーガ・エスパニョーラのレアル・ソシエダのホームゲームに招待され、1部昇格がかかるゲームを観戦。Aビルバオの本部にも、今回初めて訪問をしました。こちらは、ビルバオの中心街にある一戸建てで元高官の別邸で中国風の門や内装を持つ、エキゾチックな建物です。一般に公開されているものではなく、特別に案内をしてもらいました。

最後には、バルセロナ、パリで自由行動時間をとり、自主的に計画をたてて観光を行ない、無事に日程を終了しました。高校生にとっては、大変貴重な体験であったと思います。

2年生12名、1年生24名のほかに参加した女子マネージャー3名の頑張りも特筆に値するものでした。

 さて、本隊は4月4日(金)に、パリを出発して帰国。鈴木先生と関は週末、松井選手のル・マン戦観戦のため、パリで1泊し、リヨン経由でサンテ・ティエンヌへ向かいます。炭鉱の町、サンテ・ティエンヌは、80年代にはプラティニを擁してリーグ優勝した名門チームで現在リーグ5位。熱狂的なファンの応援が物凄い状況です。アウェイのル・マンは松井の組み立てから1点先取するも、4−1で逆点されて敗れました。

 鈴木先生は、サッカー、お絵かきの両方で堪能されたことと思います。また、関は、前神奈川県サッカー協会会長の鈴木先生の付き添いということで会社の理解が得られ、長期の休暇をとることができました。このような機会に、得難い体験ができたことに感謝しています。

 清水先生が異動になられたあと、厚木北高校から転任された小林先生が監督、もともと湘南におられた曽根先生が部長という態勢で、今後の部活動が運営されます。小林先生は、海老名高校卒(鈴木中先生が校長のとき在学)、(日大・清水先生の後輩)という経歴です。曽根先生は、サッカー経験はありませんが、相模大野高校でサッカー部顧問を長く務められたとのことで、お二人での指導となります。4月中にはOB会事務局とのコミュニケーションの場をつくり、スペイン遠征の今後についても相談をしていきたいと考えています。

「追伸 ・鈴木中」

以上関君の遠征報告に全て述べられているので、私からは先生はじめOB諸氏に遠征でのご苦労に対して深く感謝の意を表したいと思います。併せてこの行事が今後も継続できる事を強く期待したいと願っています。只帰国後直ぐの関東大会予選は新3年の主力選手2人の怪我の為、2回戦で敗れ、大変残念な結果になったことを報告します。

写真「出発時 ・成田空港 ・集合写真」

作品「プレンシア ・宿舎」と「アスレチック ・ビルバオの練習グランド」を載せました。

倉岡先生「広島城の桜」 日本の桜と城は世界に誇れるでしょう。

「続中メール・NO30」

「清水先生を送る」            2008・4・4

 今回は予定を変更して「清水先生を送る・言葉」にしたい。湘南高校の歴史を記録するこの10年間「腐っても鯛」は守られてきたと思っている。独特の清水流・セリフは現代の湘南生にとっては理解できない事があったかも知れないが、頭の良い生徒達はさらっと流して良い学習をして巣立って行ったと思う。

 先生は「藤沢西高校」を約10年間で強くして全国の大会に数回、駒を進め、多くの優秀な選手を輩出した。そして県の国体選抜の監督等も経験され、その後「秦野南高校」を経て「湘南」に来られた。全国でも名前を知られた指導者として活躍されて来たが、今回神奈川県の高校教員の勤続11年の規約に該当して転勤と言う事になってしまった。引き止めるべく努力もしたが、二宮高校への異動となった。

 先生には後数年の教員生活であるが、是非悔いのないように「有終の美」を飾るように努力して欲しいと願っている。又健康には充分注意して最後の職場で頑張って欲しいと思っている。特に神奈川県サッカー協会技術委員会での今後の活躍を期待して、是非大局に立って日本のサッカー界をリードして欲しいと希望している。

 さて後任の「小林修太郎」先生には大きな期待をしている。私が湘南を去ってから20数年になるが、「藤塚先生・清水先生」で全国でも名門と言われて来たこの学校を支えて来た。

若さと高校サッカー現場の指導を充分経験して来られた小林先生に期待する事は、自信とプライドを持って指導される事であろう。頑張って下さい。

 そしてOB諸兄姉にお願いする事は「○は出すけれど・口は出さない」今まで通り、あたたかく見守ってやって欲しい。若さと情熱で又三ツ沢の ク ゙ ラ ン ト ゙に駒を進める可能性は充分あると思う。保護者の皆さんも何か要望がある場合は「中爺」に話して下さい。期待しないで任せて欲しいと思う。皆さんで協力して湘南高校サッカー部を育てましょう。

 現役の活動状況だが卒業生を送り出し、新2・3・年生はスペイン遠征を前にして多くの練習試合を(土・日)に行って来た。高校生相手では希望が丘高校、厚木北高校、大学生は慶応大学・国士舘大学・神奈川大学のB〜Cチームに胸を借り、良い練習が出来たと思う。

奇しくも遠征の前々日に「小林先生率いる ・厚木北高校」と練習試合を行い、先生には充分湘南のサッカーを理解し、又引継ぎもスムースに行われたと思う。是非これまで大きな成果を上げてきた海外遠征も続けられるようこの紙面を借りてお願いしたい。2年後の遠征に清水先生をご招待してはどうだろうか?

尚第61回の筑波付属の定期戦はホームで16日に行われ現役戦は3ー0で湘南が勝ち、28勝21敗12引き分けの記録が残った。OB戦も数試合和やかに行なわれ無事終了した。このような定期戦は両校にとっても大変有意義な交流であり、卒業後も大学で、職場での繋がりが出来て行く多くの話を聞き何時も嬉しく思い、今後も長く続く事を願っている。

清水先生にはスペイン遠征終了まで、ご指導頂きました。
最後になりますが「清水先生」本当にご苦労様でした。有り難うございました。 鈴木 中

私の作品 思い出の「三ツ沢競技場」全国高校選手権大会と、

2002ワールドカップ決勝会場「日産スタジアム」

倉岡先生作品「アンコールトムのバイヨン」

「続・中メール・NO29」

「岡田ジャパンのスタート」            2008・3・3

 代表戦最初の試合が、W杯アジア2次予選4-1タイの試合になった。幸いに結果は、完勝であったが、内容はイマイチであったと思う。確かに大量4点は国際Aマッチでは見事であるが、多分岡田氏自身は不満足だったと思う。私の想像であるが、自分達の速いパス展開から崩してゆく場面が少なかった。

又相手の攻撃で同点にされた場面、時間帯、GKの頭越しの守備、等々反省材料の多い試合だったと思う。結果として楽勝だから是で良しとは言えないであろう。敢えて苦言を呈するならば、GKは経験と守備は第一人者であり、アジアでは通用するかもしれないが、世界には通用しないだろう。同じ様な事だが、「トップの二人」をどう見るか、アジアでは通用するが世界では駄目だと思う。

 続いて行われた「東アジア選手権大会」初戦に格下と言われた「北朝鮮」に1−1の引き分け試合は、確かにボールキープは日本が圧倒的だったが、最終的には崩せなかった。相手チームに点を取られる気はしなかったと、言われてしまった。続く中国に1-0の勝利は流石と思われたが、優勝を決める韓国との試合は1-1の引き分けで優勝できず、今後に禍根を残した。

 なぜ私がこのような見方をするのか、世界のレベルを詳しく知っているわけではないが、最近は、スペインリーグ(リーガ)、イングランドリーグ(プレミヤ)、等手軽にTVで見ることが出来る。一方いくら辛口の苦言を呈しても、最近はJFAの公式の役員では無いので、モノが言い易くなったとも言える。

 先日見たプレミヤリーグのマンチェスター・U1-2マンチェスター・シティーの試合は凄かった。お国柄とはいえ、あれだけの速さ、パスの長さ、コントロール、体格と フ ィ シ ゙ カ ルの強さ、どれを取っても世界レベルのサッカーは全く日本のJリーグのレベルとは遠くかけ離れている。特に違いを上げれば得点に結びつける技術が高いので観ていて非常に面白い。

又M・シティーのCB(リチャード)は未だ19歳ながら黒人特有のパワーで得点王の相手CF(ロナウド)を完全に防いだ恵まれた体力には驚いた。その他シティーのTOP(バッセル)中盤(ベンジャミ)等々黒人独特の技術水準の高さには驚かされた。そしてこの両チームよりさらに上を行くアーセナルのチーム力は底知れぬものを想像出来る。

 日本がここで世界のトップに標準を合わせても意味が無いので、岡田は先ずはアジア地区最終予選に的を絞るだろう。その時に「勝か負けるかの戦争」をどう戦うかボール回しの上手い事など問題ではない。オーストラリア、韓国、北朝鮮、中国、その他最終予選に残ってきた中近東のチーム,等を考えた時に、本大会が行われる南アフリカが遠く感じられる。

さて今回は現役の1部昇格の入れ替え戦を期待してそのことを中心に書く予定をしていたが1回戦、対相洋高校戦0-2で完敗、多くのOBの期待に沿えず、又次回に望む事になった。2部での戦いは実力的には県内の ヘ ゙ ス ト32〜64の力でこの辺のチームが、年間のスケジュールで一番試合の多いチームになる。

そこを抜け出せないので又来年も試合、試合と追われることになるだろう。只来年はU-17がU-18になるのでどうなるやら私には解からない。

次に私事で恐縮だが「絵画」の話を少ししたい。今回「賞」を貰ったので、多くのOB諸兄姉からお祝いのメールを頂いた。ご返事を書いていないのでここに厚く御礼申し上げます。益々制作意欲が湧いてきたので、良い絵を描きたいと思っています。(Webギャラリー・湘南の画伯たち)を観て下さい。

 湘南の最初の教え子達が還暦を過ぎてしまった。皆さん第2の人生をどう生きるか思案中だと思っている。それに続く50代の予備軍の方にも何か参考になればと思い、「下手な絵」に挑戦しているわけです。幸い描いていると、色々な事が見えてきます。恥を忍んで精一杯生きている「生き様」を「中流」で表現できれば幸せです。そして毎日が楽しく、充実しています。

 さて4月号は「スペイン遠征」の関係でどうなる事か・・帰国が4月7日過ぎなので20日頃までにOB参加者の原稿が集まれば、出したいと思っている。何れにしても遅れる事になるので、お許し下さい。

「田沢湖スキー場・秋田・駒ケ岳」2月に滑ってきました。スキーは無理な筋力を使わずに頑張らなければ、老人の ス ホ ゚ ー ツには最適です。スキー場を描くのは非常に難しかった・・・

「続中メール・NO28」

「サッカーの勝敗」              2008・2・2

 冬の全国高校選手権大会が終了した。今年は大会役員を解放されたので気楽に観客として多くの試合を観戦した。特別に統計を取ったわけではないので不確かな記憶と感想であるが、接戦の試合で勝敗を決めてしまうのが「PK」による決勝点が多くあったように感じた。地元日大藤沢は2回戦徳島商業の試合で相手の「PK」がポストにあたり救われて2-1で勝てたが、3回戦の藤枝東には「PK」を決められ、結果的には1-2で敗れてしまった。

 何れにしてもサッカーの試合では「ディフェンダー」の相手ドリブルに対する遅れたタックル・手を使って抑えるプレー等でのペナルティー・エリヤ内でのファールによる「PK」により、勝敗が決まってしまうことが多い。この日の夜放映していた「プレミヤリーグ」でも「PK」により2−1のゲームであった。

思い起こせば昨年の関東大学リーグ筑波大1-2青山の2点とも「PK」であった。

 こうして見るとサッカーの試合では勝敗を決定する大きな要素の一つに「PK」を如何に取るかと言う事が考えられる。藤枝東の選手が戦術的に意識してペナルティーエリヤ内でドリブルで突っかけるプレーは正解だったといえる。

またそのようなプレーに対して防ぎきれず「PK」を取られていた日大藤沢の守備の方法では接戦を勝ち取る事は出来ないであろう。

 大会は優勝候補で前評判の高かった「流経大付属柏高校」と名門「藤枝東高校」の決勝戦になったが、私の好みに合う高校生らしいクレバーな「藤枝東」のサッカーが決勝に残り楽しく観戦できた。勿論激戦地静岡を制してきたチームだから、個人の能力はかなり高いものがあるが、このチームの良さは、全員の戦術眼の高さだと思う。そしてダイレクトパスの正確さを強く感じた。監督の意図するものが選手に浸透しているように見受けられた。

 試合は前半1-0後半3-0で流経大柏高校の一方的なゲームになってしまったが、内容は藤枝東が細かいパスを駆使して自分達のサッカーを試みたが、相手の早いプレスと ヘ テ ゙ ィ ン ク ゙の高さで高い位置でのディフェンスにつぶされ、自分達のサッカーが出来ず完敗に終わってしまった。

しかし高校生らしいサッカーで好感の持てる試合運びは高く評価できるだろう。一方優勝した流経大柏はこれからの高校生年代で出てくる全国区いや新しい形の高校生チームでプロ集団の高校生かもしれない・学校 ス ホ ゚ ー ツかどうか?・

 さて湘南の現役はどうだろう後1年叩けばこの「藤枝東」位のチームは出来上がるだろう・・と私は思っている。個人の能力もさることながら、クレバーと書いた中身は「理にかなったプレー」を強調したい。中盤で相手と無駄な競り合いをせずに、早く、正確な、強い、ダイレクトパスでフリーな味方を作りそこから相手守備ラインを崩してゆく「原理原則に忠実な」サッカーを目指して欲しい。しっかりしたGKと安定した4人バックがいることが大事である。

 1月末に行われた新人戦中央大会の結果であるが1回戦対湘南学院高校戦は0-1延長戦で敗退した。内容は湘南が優勢で決めるべきところを決められず涙を呑んだが、試合が続いて休みが取れずじっくりと練習する時間が無く、次のリーグ戦までの2週間「シュート練習に集中して」1部昇格を目指して欲しい。

 そして部員全員が楽しみにしている3月末の「スペイン遠征合宿」で一皮剥いて来年に望んで欲しい、幸いOBも数名(ドクター加納・総務・関・コーチ篠塚)で監督の清水先生をサポートし、協力してもらえそうなので、私も是が最後になるだろうと思い足手まといにならないように、ご一緒したいと思っている。(ビルバオ・パリのお絵描きも楽しんで来たい)

別件であるが「朝日新聞」1月7日号に46回生「湯浅健二君」の記事が載っていた「10年後・個の勝負に強い人材を」と題した日本サッカーの将来について、彼独特の論理と話術で語ったものである。確かに頷ける部分はあるが、私はトルシエの評価「日本人の創造的破壊・・・」については疑問を感じている。

(写真参照)

「創造的破壊」と言えば私の「絵画」の世界では多くの作品を描いていると物の見方が変ってくる事がある。即ち今まで見えなかった自然現象、景色、人の動き、雲の流れ、空の色、陰影(影の色)・・・などなどが見えてくる。70歳を過ぎても、パソコンを叩き、毎日絵を描いていると、脳の活性化(ボケ防止・創造力の変化)が図られると信じて、お絵描きを楽しんでいる。

私の作品「神奈川県庁・キングの塔」(石坂浩二が選ぶ・横浜・三塔物語・)
「絵画展」に応募「優秀賞」受賞

http://www.osanbashi.com/event/santou_picture/gallery_kokuchi.html

特別出品「初出場・還暦に描きだした、40回生・君島忠彦氏・作品」

     (ひとり、ではなくキミが・・・003)

「倉岡さん・作品 万里の長城」

「中メール・N027」

「年頭の挨拶」             2008・1・1

 明けましてオメデトウございます。今年も宜しくお願いします。古希を過ぎてから天下の素浪人・・季節の挨拶状を失礼していますが、このメール通信でのご挨拶が、3回目になります。相変わらず元気に「サッカー」とのお付き合いをさせていただいています。高校、大学,JFL、L(なでしこ)などアマチュアのサッカーが中心です。

 これは「湘南高校サッカー部OB会」のHPですから、現役の活動を常に見ている立場から、現役の選手の活動を中心にして,OB諸氏のためになるような、情報を提供したいと思っています。加えて私の近況、サッカー情報、サッカー観、さらに最近は趣味の世界、老後の生き方等など、幅広く思いつくままに書かせていただいています。

 新年に入りましたが12月に行われた現役の試合報告をします。U-17の2部リーグ戦対山手学院0−0引き分け、対秦野南高校0−1勝 対大和高校0−7勝 対港南台高校1−1引き分けで終了。この結果Dブロック2位で1部入れ替え戦のための試合が2月に行われます。(協会HP参照)1月13日のOB会には現役の元気な声が聞けると思います。

 12月号を出した直ぐ後に「トヨタカップ・世界 ク ラ フ ゙選手権」が行われました。今まではなかなかこのような勝負をかけた日本のプロが世界を相手にしたガチンコ・ゲームを日本で見る機会がありませんでした。今回は浦和レッズがACミランと戦いました。横浜国際での観戦の感想ですが、結果は0−1の負け試合でしたが見るべきものが沢山ありました。

浦和の善戦は高く評価出来るでしょう、しかし勝てる要素は全くありませんでした。ACミランの個人技(ボールのコントロール・相手のボールの奪い方・蹴ったボールの正確さと速さ)は素晴らしかった。特に攻めの場面での「くさびのパスの入れ方、ダイレクトパスの正確さ、壁パスの速さとタイミング、味のあるスルーパス」は目を見張るものだった。

決勝戦は予想どおり「ボカ対ミラン」になりましたが4−2でミランの勝利の試合内容は、目を見張るものがありました。ボカの短いパスをつなぐ攻撃をことごとく防いだ、ミランのディフェンスは世界一の守備でしょう。あの守りがあってカカの攻撃の速さが生かされる、久し振りに見た世界レベルのサッカーは、日本で始めてのゲームだったと言っても良いでしょう。理屈抜きに今年日本で行なわれた最高のゲームだったと賞賛できると思います。

さて元旦の「天皇杯決勝戦」はどうなるでしょう?アマチュアのホンダFCの活躍は好感を持つ事が出来ましたがやはり、ベスト8止まりでした。決勝戦はプロらしい試合を期待したいですね。Jリーグの鹿島と広島の決勝戦になりましたが、どうなるでしょう?

そして暮れから始まる高校サッカー決勝戦は14日(祝)ですが、今年は何処になるでしょうか?前評判の高い「流経大付属・千葉代表」が抜け出ているようですが・・神奈川代表の「日大藤沢」を応援し活躍を期待しましょう。

 OB諸兄のシルバーの大会も花盛りのようですが、40〜50才台がメンバー不足のようです、一番楽しくサッカーが出来る時だと思います。是非是非お薦めします。さて私は膝を痛めて蹴る方は、諦めました。代わりに水泳、スキーに力を入れています。OB会報にも書きましたが「70歳を過ぎても・技術は進歩する」ことを身をもって体験しています。

 趣味の「絵画の世界」ですが師匠の倉岡先生(昭和40年頃湘南教諭その後広島舟入高校転勤・サッカーは大学の後輩ですが、絵の方はセミプロ)にアドバイスを受け楽しく描いています。テーマは「健康・脳の活性化」即ちボケ防止と健康の為に天気の良い日は外に出て歩きまわり、良いアングルを見つけては、腰を落ち着けて描きまくっています。

現在は東海道沿線「東京駅をスタートして〜」年間100枚を目標に・・

 直接教えたOB諸兄も還暦を越えた方も多くなってきました。そろそろ第2の人生を真剣に考える時期です。日本・神奈川県の平均寿命が発表になりました。男約79歳、女86歳の時代です。皆さんは後20数年・私は後数年間をどう生きるか・・充実した生活の基本は「健康」です。お互いに頑張りましょう。ピンピン・コロリ・を目標に・・・

 私事で恐縮です、2年前に現在の マ ン シ ョ ン(茅ヶ崎駅から5分)に転居しましたが、未だ旧住所に郵便物が来ているようです。この賀状に現在の住所を書きましたので、宜しくお願いします。尚二人だけの マ ン シ ョ ン生活は老後の生活には快適です。車も止めて目下、徒歩・自転車・電車・の生活ですが非常に便利で経済的にも中々のものです。是非お薦めします・・・

今回の私の作品は「08‘年賀状・サッカー協会・小田原城」「東京駅」です。

  

倉岡さんの作品は「アンコールワットの年賀状です」エッチング(銅版版画・彩色)です。

「中メールNO26」

「時の流れ・3」             2007・12・12

 前回に引き続き,時の流れ3、を書くことにした。私の母校筑波大学サッカー部が明治開校の由緒ある歴史の中で初のリーグ2部落ちの心配をしたが見事に奇跡的な逆転一部残留が決まった。先輩として非常に嬉しい思いである。先日「横浜・みなとみらい」を写生に出かけ、昨年YCAC(横浜外人 ク ラ フ ゙と104回目の定期戦)を思い出した。其の時の写真を掲載する(筑波大学OB3-1・YCAC・U−40)、歴史の重みを強く感じた。

 最後の3週・筑波大2―0東海大・筑波大1−2青山学院大・筑波大2−1中央大の応援に出掛けた。流石に緊張した、大学1部リーグのぎりぎりの試合を見て何か50年前の自分達の青春を思い出した。結果は勝ち点21の12チーム中10位で、一部残留が決まった。下位の2チーム(青山学院大・東海大)が2部の1,2、位(神奈川大学・専修大学)と自動入れ替えと言う規定になっている。全国のOB諸氏もほっとした事だろう。

 この11月は高校サッカー、大学サッカー、と学生のサッカーを見る機会が多かった。いずれも非常に緊張した勝負を争うゲームだったので、技術的には未熟さが目立ち、戦術的にも何をしているのか、指導者の方針がはっきり見えず残念な試合が多かった。やはり勝負をかけたぎりぎりの試合で技術を発揮出来るのが大事な事でこれが本物と言うものだろう。「即ち、激しさ、競り合いの強さ、正しいボールの奪い方、フェアープレー」がサッカーの基本だと言う事になるのだろう。

 湘南高校サッカー部もそろそろ100年になる。その2分の1、私は50年も付き合っている。亡くなられた「がんさん」の書いたものの中に面白いものがある。曰く「理想主義のこと、・隣のチームなどを目標にするな、目標に向かっての1歩1歩精進の過程にのみ人生の真の歓喜がある。・・・」「強い意志のこと、・・・頑として目標に向かって妥協しない事だ・・・」と常に日本一を目指していた。

 さて現役は新人戦地区予選を勝ち抜き次の目標に向かって頑張っている。
新人戦地区大会で本戦に出るためにシード決めの試合が行われた。1回戦2−0湘南工科、2回戦0−3鎌倉、3回戦2−0七里が浜、この結果中央大会の第4シードが決まった。尚全国大会へ出場の{日大藤沢}は第一シードが決まっている。第2シード鎌倉、第3シード大清水になった。久し振りに湘南地区高校の試合を見たが少しレベルアップしているので楽しみである。

先日サッカー部41期生が「還暦」のお祝いを藤沢で開催したので、42回生にも呼びかけ懐かしい仲間と再会した。(11月10日・昭和40年関東大会優勝時 メ ン ハ ゙ ー20数名が集まり)盛会であった。既に現役を引退している人、胃がんの手術をして元気回復した人・・・時の流れを強く感じた。

さてオリンピック・アジア予選最終日「日本―サウジアラビア」の試合を久し振りに国立で観戦した。ホームのサポーターとして応援する立場で観戦するのも又一味違った緊張感があった・・・引き分けか、勝つか、で本大会が決まる非常に厳しい戦いであった。息詰まる攻防であったが0−0の引き分けで代表権を獲得できてほっとした気持ちと、大きな喜びを味わう事ができた。

試合内容は見るべきものが沢山あった。日本が上手く外側から崩してラストシュートの場面で再三防いだサウジのGKは世界レベルだった。身長、瞬発力、読み、どれをとっても「素晴らしい」の一語に尽きる。そして特に感心したのは競り合いで相手の身体を押さえる技術はサウジの選手は皆上手かった。日本は3・5・2・の布陣でよく守り効果的な攻めをしていたが、欲を言えば1点取ることが出来ればよりベターだったと言えるだろう。

さてこれで2007のサッカー界の話題は終わりにするつもりだったが、師走の1日Jリーグの最終戦・浦和レッズ対横浜FCの試合を何故か見る機会があり、(三村・清水・中)の珍 メ ン ハ ゙ ーで歴史に残る、迷勝負を観戦し、横浜FC(1-0)で完勝して静かに帰る4万人を越える浦和のサポーターを見て何かこれは可笑しい?日本のサッカー界は、不思議な世界であり・世界から取り残されている・・と感じたのは私だけでは無いような気がしてならない・・・

今回の作品は「YCAC定期戦」「横浜・開港記念会館(ジャックの塔)」

駅シリーズ「御殿場線・上大井駅」を載せた。少し変化の後が見られると思う・・・

師匠(倉岡さん)が思い切って明るい色をつかったらと言うアドバイスで・・・

倉岡さんの絵は最近描かれた「国立・新美術館」を載せた。

「続中メール・NO25」

  「時の流れ・2」              2007・11・11

 最初にお詫びをします。先月号で東京オリンピックの開催時を昭和37年と書いてしまいました。これは昭和39年の間違いです、訂正させていただきます。  私の古い記録の中に其の時のプログラムがありました。三 ツ沢会場の役員として働いた懐かしい記録です。(1964・昭和39年・10・11〜16)

 前回に引き続き「時の流れ・2」を追加します。11月11日は「サッカーの日」と言われ昔からサッカーの世界では、「イレブンデー」と呼んで、色々のイベントをやってきた。今年の神奈川県は高校サッカーの決勝戦がこの日に行われる。日大藤沢高校対逗葉高校の決勝戦になる。(協会HP)を見て欲しい。

 そしてこれらの大会に平行して新人戦の地区大会リーグ戦も行なわれている。昔と違い新人戦は関東大会の予選にもなっている。只関東大会が実質的には関東の ヘ ゙ ス トチームを選出する訳でなく、2流の大会になってしまった。しかし湘南はこの大会も ヘ ゙ ス トチームで参加している。結果は7−0藤沢工科、4-0鵠沼、2-0大船、0−0慶応藤沢、ブロック1位で終了し、新人戦県中央大会へ進む。

 前回から「鉄道図」を載せたので、先ずは西の玄関口「湯河原駅」を描きに出かけた。台風9号の爪あとの残る湘南海岸の寸断された道路を眺めながら,JRに乗り湘南ライナーで「茅ヶ崎駅」から30分もかからずに「湯河原駅」に着いた。駅前で地元「湯河原中学」のT校長先生に電話をしたら、わざわざ迎えに来られ「校長室」に通され、有意義なお話を聞かされた。

 曰く「私が湯河原駅を西のはずれ」と言ったら直ぐに「神奈川県西の玄関口」と言って下さいと訂正された。久しぶりに大変な教育問題を抱えた中学校現場の苦労話、教育目標、安全管理、東海地震に対応する為の防災訓練等の話を、校長室でお聞きし現場の教育のご苦労話と「時の流れ」を強く感じた。

 帰りに新装成った「小田原駅」に降り、立派になった駅舎には驚かされた。説明するより写真を見て下さい。正面のビル、中の改札口周辺、北側の銅像、私の腕では描けそうも無いので、今回は既に描きあがった「湯河原駅」を載せる事にした。湯河原駅前にも立派な銅像があり、小田原駅も「北条早雲」の銅像が建ち、新幹線の到着する豪華な駅ビルになった。

時の流れで驚く事は子供達のボールタッチの上手いことだ。いや「リフティング」の回数が異常に多い事だ。小学生に何回ぐらい突きますかと聞いてみたら1,000回以上落とさない子供達が沢山居るのには驚かされた。別に悪い事ではないが、それがサッカーの全てで肝心な事を教えていないような気がする。子供達の指導者は遊びの中で楽しさを求めながら何を指導するべきか・・・

 即ち肝心な事とは、「蹴る事」「相手のボールを奪う事」「ヘディング」この技術を教える事が一番大事なことのような気がする。即ち良いストライカーをどう育てるか、ヘディングからの得点が非常に多いと言うこと、相手のボールをどう奪うか、ディフェンスの出来る選手をどう育てるか、そして正確な「キック」をどう教えるかが指導の原点だと思うが・・・

 そして大事な事の一つに「GK」の指導があると思う。日本の子供達はあまり、ゴールキーパーに興味を示さないが、身長の高い事は一つの条件だろう、特別にGK指導は考えてゆくべきだと思う。そして一番魅力のあるポジションだと言う意識を子供達、皆が持つようにならなければ良いGKは育たないと思う。

 時の流れで寂しい話になるが私の母校「筑波大学サッカー部」が関東大学リーグ戦で戦後初めての2部落ちの危機にさらされている。2部落ちしていないのは、筑波大学だけのようだが、一度落ちるとなかなか上がれないのが現実である。11日には結果が決まってしまうかもしれない。・・・・残り3試合、未だ可能性は残されている・半世紀前に強かった「東京大学」「立教大学」がしかり、落ちてから久しいが・・・・筑波大学の残留を私はまだ信じている。

さて今回は1964・東京オリンピック・サッカープログラム・入場券の写真」

「湯河原駅・F6

「小田原駅の写真」を載せた。

倉岡さんの作品は前回に続いて「帆船・海王丸」の帆を降ろした勇姿を載せた。

「続中メール・NO24」

「時の流れ・1」               2007・10・10

 10月10日は「体育の日」と決まっていたが、いつの間にかその週の月曜日が「体育の日」に変更になってしまった。中さんそれは古いよと言われるかもしれないが、この日は「東京オリンピックの開会式」昭和37年の話でそんなに昔の話では無いと思っている。そして私の実父の祥月命日で忘れられない記念すべき祝日であった。

 先日日本サッカーの師と言われた「クラマーさん」のテレビ放映があった。彼は東京・オリンピック後の日本サッカーを指導された恩人で、私も彼のサッカーで育った一人である。私より10年先輩で80歳を過ぎているはずだが、今も尚カクシャクとして若い奥様と仲良く、サッカーの指導に当たられている話を聞くに付け、サッカーは歴史を超えた世界のスポーツだと感心している。

 クラマーさんで思い出すのが「クラマー体操」である。当時の指導者はこの体操を練習の中に取り入れ、必ず補強運動としてやっていた、今で言う腹筋・背筋を強化する、ストレッチ体操である。その後この種の体操では「ブラジル体操」サンバのリズムに乗って声を合わせた体操も懐かしい。

 最近はどんな体操が流行しているのか解からないが、湘南高校の、 ク ゙ ラ ン ト ゙に行くと「般若経」のようなお経の声が準備運動で聞こえてくる。これも時の流れかもしれない。Jリーグ,Lリーグ、の試合前の様子を見ていると、ブラジル流の掛け声が聞こえてくることもある。今後どんなリズムが喜ばれるのかこれも一つの楽しみである。

 先日九州へ旅をした時「湘南高校」は平塚にあるのですか?と尋ねられて、ああそうか「湘南ベルマーレ」と同じ場所にあると理解しているようだった。即ち「湘南地方」と言うのは、川向こう(相模川の西側)まで広がり、車のナンバープレートも「湘南」は随分と西の方までに広がったのだ。即ち厚木・伊勢原・秦野・二宮・大磯・箱根まで・・・も湘南地区と見られているのだ。

 神奈川県高校サッカーの地域割りは、川崎・横浜・横三(横須賀三浦)湘南・北相・西湘・の6地区に分かれている。湘南地区は鎌倉市・藤沢市・茅ヶ崎市が含まれ,JRの駅で言うと鎌倉、大船、辻堂、茅ヶ崎、小田急線は、江ノ島駅から湘南台・長後、江ノ電沿線が昔から「湘南地方」と言われてきた。

 少し付け加えるなら湘南海岸沿線が「湘南」と言われ「湘南高校」の生徒は鎌倉・逗子・葉山・藤沢・鵠沼・茅ヶ崎あたりの中流家庭の子弟が中心であった。石原慎太郎の「太陽の季節」のイメージ、加山雄三、湘南海岸、サザンピーチのイメージが湘南地方と言われて来た。

 さて時の流れはどんどんと変化して行く。「湘南学区」と言う高校入学のための学区制度が年々変化してゆく、最近は全県1区になり、学区が取り払われ、古き良き昔に舞い戻ったと理解してよいだろう。この事の是非を此処では取り上げ議論するのではなく、湘南高校サッカー部の進むべき道を模索したい。

 冬の高校選手権大会の、ベスト8が決まり、10月にA・B4チームのリーグ戦を行い11月11日に代表が決まる。一方U−17のリーグ戦も平行して行われ、湘南は慶応高校に3−1、川崎北高校に4−0、で快勝し、三浦高校に3−4で敗れたが、2部Dブロックでも1,2、位を争う力を発揮していると見てよいだろう。

 今回は「鉄道地図」を描いてみた。神奈川県内を走っている「JR・私鉄」も昔と比較すると随分と変化してきた。「JR・東海道線」も西は「湯河原」〜東は「川崎」まで「東京駅」に行く路線に加え、横浜から分かれ「湘南新宿ライン」が出来て、直接、埼玉、群馬、栃木まで行く路線が出来てきた。

 「鉄道地図」に併せ暫く湘南地方の駅舎を描いて行きたいと思う。非常に難しく良い勉強になると思い、最初は「鎌倉駅・F6」を描いてみた。

 倉岡先生の作品は、彼独特のペンを使い薄く彩色をした、広島宇品外貿埠頭・8月・「練習船・(海王丸)」のスケッチである。 

「続・中メール・NO23」

「猛暑・酷暑」              2007・9・9

 今年の夏は表題のように「猛暑・酷暑」のお盆休みだった。9月号を書き出した8月の中旬は、40度を越える、などと言う記録的な暑さだった。62年前の終戦記念日は小学校4年生で集団疎開先、群馬県のお寺の本堂で「天皇陛下の終戦のお言葉」を聴いた時の事が思い起こされる。あの日も暑かったが今のような暑さでは無かったように思う。

 我々が暑い夏と言いながら過ごしてきた時代はせいぜい気温が最高30度ぐらいだったと記憶している。現在のように水分補給をうるさく言わないでも過ごせてきた。ここ数年の現象で試合中高校野球のピッチャーが痙攣を起こすような状況を見る事がある。サッカーの選手に夏の試合中は給水タイムを設けるようになった。地球温暖化現象と言う事か?

 さて今回はスポーツの指導で子供達にとって何が必要なのか考えてみたい。

「インテリジェンス」と言う言葉が私は大好きだ。解りやすく言えば精神的にしっかりしていて人間として立派でなければ良い選手とは言えない。もう少し具体的に言うならば・・・誰にも負けない強い子供でなければ駄目だと言うことだ。

1、 ルールを守る人 2、自分のことは自分でやる人 3、好き嫌いを言わない人 4、最後までやりぬく人 5、計画的に生活できる人 6、小さな戦いを積み上げている人 7、他人には絶対負けないという強い意志を持った人・・・

まだまだ沢山あると思うが、代表的なことを上げて見た。このように書くとまた「中さんの精神論かよ」と言われるかも知れないが、「技術論」の基本にあるもので最後は精神論でこの点だけは間違っていないと思っている。甲子園の高校野球のピッチャーがその代表と言えると思うが、彼らも今や異常な暑さには勝てないようだ・・

 野球と言うスポーツはバッテリーの役割が80%以上の大変不公平なスポーツだ。ましてこの暑さの中で戦う「投手への負担」はすさまじいものだと思う。汗と泥と涙の青春を語る甲子園も何時かは異常気象に負けてしまうのだろうか?近い将来には温度調節の出来るドーム球場に変わって行くのかもしれない・・・

 今年の夏の甲子園・高校野球は「公立の佐賀北高校」の劇的な優勝で幕を閉じた。亡くなられた「阿久悠さん」が見ていたら、どのような「詩」を詠っただろうか?本当に凄いゲームだった。彼が作った「高校サッカーの歌」「うつむくなよ、振り向くなよ・君は美しい・戦いに敗れても・君は美しい・・・」敗者を讃えたこの歌が又聞こえてくる。今年の高校サッカーはどんなチームが優勝するのか楽しみである。

未だ残暑厳しい8月末現役の大事なゲーム「U-17・2部リーグ戦」が開幕した。この試合も昔は無かった協会主催の大会で上はプリンスリーグ、そして「高円宮杯」につながる日本一を争う大会である。対慶応義塾高校戦3−0で完勝(13時秋葉台 ク ゙ ラ ン ト・ ゙本当に暑かった)で幸先の良いスタートを切った。12月末まで続くこのリーグ戦を勝ち上がり来年は1部リーグで戦う事を願っている。(他の結果は協会HP参照)

前回描けなかった「菅平・合宿ホテル」を載せた。(鈴木中・F6)

倉岡先生の作品は「広島・縮景園」、先生が推薦する広島の観光地です。

「続中メール・NO22」

「サッカーの指導書」           2007.8.8

 最初に現役の状況を報告しておきたい。7月末に行われた冬の全国選手権大会一次予選は、3年生3名だけの新メンバーで望んだが残念ながら3回戦で敗退した。二回戦3-0上郷・3回戦1−2藤沢西で内容は悪くなかったが若いチームで3年生主体の西高に逆転負けで涙を呑んだ。早速次の日から来年度の メ ン ハ ゙ ーに変わり合宿の準備に入った。そんな訳で特別に8月号を載せる事になった。

 次に大変嬉しい話なので是非報告しておきたい。今回の参議院選挙で神奈川県から出馬の「56回生・水戸将史君」の当選について、湘南高校卒業生・サッカー部OB諸氏、の応援を得て見事に当選を果たした事に、心からの喜びと御礼を申し上げたい。併せて今後の中央政界での活躍を期待しエールを送りたい。

そして湘南高校サッカー部初の歴史的快挙と言える水戸君に対し、今後益々OB諸兄の応援をお願いしたい。(8月18日のOB会には顔を出す予定)

 今年も予定通り菅平の夏合宿が行われた。「菅平」と言うとラグビーと言われたのは昔の話で、今は子供から中学・高校・大学の何百と言うサッカーチームの「合宿」花盛りである。夏休みの前半7月〜8月上旬はホテルが所有する天然芝・人工芝の良い状態で主にサッカーが使い、その後ラグビーが使用している。

 競技人口が数倍の違いでホテル側も、現地の観光協会もサッカーを歓迎しながら昔からの数少ないラグビーも大事にしている。只子供達の数はすごい人数で、小中学校年齢の ク ラ フ ゙、公私学の小・中、高等学校、どのチームもちゃんと正式の指導者が就いてそれなりの練習が行われているようだ。

 しかし見ているとまだまだと思われる、時間つぶしと、お金稼ぎ、?と首を傾ける昔ながらの練習を多く見かける。その一つが涼しい環境だから、と思いっきり走らせ、体力トレーニングをしているチームを多く見かける。間違ってはいないだろうが折角の環境で、良い芝の ク ゙ ラ ン ト ゙ならば、正しい技術を磨く練習が ヘ ゙ タ ーだと私は感じている。湘南高校は技術中心の練習を繰り返している。

 今回のテーマは少年指導者の「指導法」であるが、前回にも名前の出た私の師と仰ぐ「三村恪一氏」が監修したDVDを紹介したい。元日本代表・ジュビロ磐田の選手だった「遠藤雅大選手」の名前で今年6月に発刊された、「指導者の為のDVD」(超実戦的ジュニアサッカー vol.1,2,3スキージャーナル社刊)である。日頃感じていた私のサッカー指導の基本的なテーマでもある、「2対1」の理論が整理されていて大変参考になった。

 50年も昔、京都の紫光 ク ラ フ ゙(パープルサンガの前身・教員 ク ラ フ ゙)の仲間と書いたサッカーの指導書(昭和36年発刊)の中に、「2対1」のディフェンスの基本動作、ポジショニング・足の位置・ステップ・からだの入れ方・ショールダ―チャージ・相手の追い込み方・スライディング・タックル・等々が思い出された。しかし文字で書かれた本と分解写真だけでは、はっきり言ってサッカーで言う「小指の先のフィーリング」部分が解らない事が多い。

 文字で書いたものと違って言わんとすることをビデオで写し、自信を持って自らの技術で見本を示す「DVD」の指導書は非常に効果があると感じられた。

特にマンツーマンでドリブルと多くのフェントで相手を動かしたときの「扉を開ける」と言うニュアンスは良く理解できた。又相手との競り合いでの身体の使い方、「2対1」でパスコースを消す為に、相手を背中におく「影」と言う言葉の使い方等は子供達にとって解り易い表現だと感じた。

相手に抜かれたあと遅れた場合の相手キックを空中でカットするディフェンスの足の出し方等はあまり今までは教えられていない事だろう。又相手とのボールの取り合いでぶつかった瞬間に力を抜いて自分のボールにしてしまう方法相手をタッチライン方向に追い込んで遅れた後のアウトサイドを使ったスライディングタックル等は今までの少年の指導書には見られ無い、事で大変良く出来ていると感じた。

 全てを書き表す事は出来ないのでこの「DVD」を多くの少年サッカーの指導者がご覧になるようお薦めしたい。誰でも解っている様だが実は知らない事、や今までは教えられていない事、がこの中には沢山あるような気がしている。特に正しいサッカーは子供のうちに教えなければならない。インサイドキック・インステップキックの正しい蹴り方の見本も非常に参考になるだろう。

 子供達に教える大事なポイントは何だろう、このDVDでは今まであまり紹介されていない、ディフェンダーの身体の使い方や足のステップの方法など、ブラジルで本能的に指導されている技術を「ド ュンガ」が推薦している点も頷ける。最近は湘南高校OBの親父さんで少年サッカーを指導している方も多いと聞かされている、是非見て欲しいと思って敢えてこのような文章になった事にお許しを願いたい。今回の合宿でも何回か生徒達に見せて役に立ったと思っている。

さて今回の私の「絵」は菅平の合宿中に描く予定だったが、間に合わなかったので練習風景、ホテルが所有している素晴らしい人工芝の ク ゙ ラ ン ト ゙、ホテル全景、最終日の焼肉・バーべキュー等の合宿風景を載せてみた。

そして毎日自転車で散歩しているサイクリングロードから見た、私の好きな景色である「茅ヶ崎の海・烏帽子岩」

倉岡先生の作品は「広島平和公園」である。

「中メール・NO21」

「オシムのサッカー」             2007・7・7

今回は7が3つ並んだめでたい日である。何か良いことがあれば等と考える。

どうも年のせいかそんな事が気になる今日この頃である。周りを見渡すとバタバタとサッカーの仲間が亡くなられる。そして病で倒れる話が多く寂しい限りである。そんな中で湘南OB・ペガサスの70歳以上が元気に蹴っておられるので感心している。すごい事である。

 その中でも今年「喜寿」を迎えられた方は益々めでたい話になる、是非お祝いをしましょう。湘南サッカー部OBで77歳の方、本当におめでとうございます。この紙面を借りてお祝い申し上げます。高齢化社会の先駆者として益々元気にボールを蹴って下さい。私もボールは蹴らなくなりましたが、身体のほうは後5年位、多分大丈夫だと思っている。

 6月末に湘南高校44回生合同・同期会が卒業後38年ぶりに行われた。百数十名の盛大な集まりであった。担任でも無い私が参加させてもらったが、既に鬼籍に入られた先生が「石井(ポケサン・数学)・栗原(クリさん国語)・松山(物理)」の3名、同期の生徒が10数名もいた。ご冥福を祈ります。合掌 

幸いにサッカー部の同期生は(桑本・主将、小泉治子・ マ ネ ー シ ゙ ャ ー他・坂部・小杉・本庄・橋本・溝口・・・)皆元気そのものだった。

 さて本題に入るが「オシム・サッカー」について、彼の色々な言語録、スピーチ、ユーモア、などなど真意は何処にあるか直接話したわけではないので、私が感じたままを書いてみたい。基本的には「相手より早く、大きく・質の良い動き」「競り合いに負けるな」そして「パスで崩せ」・チームの総合力で相手を上回われば良いので、個人のスターはいらない。独断的指導法か?

 このように書くと40数年前から「湘南生」に言い続けてきた私のサッカーとレベルが違っても本質は同じような気がする。一番の共通点はシュート場面でフリーな味方がいればパスをせよ、いなければ勝負する。即ちサッカーの原理原則を大事にする。この思想は彼のサッカーの基本であり本質であるような気がする。私はサッカーの魅力の一つだと思っている。

神奈川県の高校サッカーは「全国総体予選」が終了した。 ヘ ゙ ス ト4が秦野0―1日大藤沢、東1−6桐光学園で、代表が「日大藤沢・桐光」に決まった。夏の全国大会は暑さとの戦いであり又冬の選手権大会とは趣の違った、高校生・高体連の大会で、日本特有の大会と言えるだろう。

湘南の現役はこの予選も早々に敗れてしまい次の準備に入っている。腰を落ち着けてじっくりと新1年生の身体作りと走りこみを「お伊勢山」通いで鍛えて来たようだ。何せ近頃の選手は「嫌な事」を極力避ける傾向があり、本当はそこが一番大事なことだと気が付くのが遅いようだ。

 「オシム・サッカー」は多分選手には嫌がられる、厳しさと、理論、規律、を最重点に置いたヨーロッパスタイルだとすれば、湘南のサッカーも合い通じるところが有るかもしれない。いや南米型のジーコスタイルは湘南向きではないのだろう。そんな事を感じながら、現役は次のチームに変わる為の準備に入り、間もなく冬の選手権一次予選が始まる。

 既にHPに発表されているように、冬の選手権一次予選が7月末に行われ、32チームに絞られる。二次予選は9月、三次予選は4チームによるリーグ戦が10月、最終の代表決定が11月で、現在3年生が3名だけ残り後は2・1年の新チームで望むが、新1年は練習を見た限りかなり期待できる顔ぶれに変わって来ている。そしてU―17のリーグ戦も8月末から平行して始まる。

 併せて補足しておこう、46回・榊原(旧姓安部)他数名の湘南高校OBのご子息が新一年に入部して、今年も二世が期待できそうである。卒業生、篠塚・(慶応大学)・高橋(成城大学)が清水先生を補佐して定期的にコーチとして現役の指導にあたっている。篠塚はBチーム・高橋はGKの専属コーチとして協力してくれている。ご苦労様です。

 そして7月末一次予選の後に今年も夏の合宿を涼しい「菅平」の芝生で計画している。是非私も参加して叱咤激励したいと思っている。暑さと苦痛と寝不足で鍛錬の「旧清明会館の宿泊」懐かしい40数年前の夏合宿を思い出すと、古きよき時代で本当に良くやったと今更ながら、ぞっとする思いがする。

 今回は最近出かけた旅行の時に描いたものを紹介する。「東京上野旧岩崎邸」は湘南高校のPTA・OBの「ひばり会」で新緑の5月東京へのバス旅行、国立美術館見学(クロード・モネ)の時にスケッチしたもの。そして地元神奈川県「湯本温泉」は空気が美味しい素晴らしい新緑の箱根早川の、せせらぎの音を聞きながら描いていると元気が出てくる。

何れもスケッチは現場で、仕上げは家で、最近は「デジカメ」の力で現場の再現が出来るのでうきうきと「お絵描き」を楽しんでいる。絵は現場で描かなければと言われる先生が多いが、私はあまりこだわってはいないが、「倉岡さん」の絵はさらっと「広島の平和公園」現場で描いた素晴らしい作品である。

「中メール・NO20」

「日本サッカーの現状」            2007・5・5

 今回は私のサッカーの師である「三村恪一氏」(恪さん)との話し合いをまとめたものを紹介する予定だったがお互いに時間がとれず、手紙をもらっているのでそれを紹介したい。古いサッカーフアンならご存知かもしれないが、彼については、私が教わった先輩なのでほとんど知る人ぞ知る過去の人であるが、戦後の日本代表のディフェンダーの中核を努め、岡野、長沼、平木、の時代を影で支えて来たブレインの一人である。

 自宅が茅ヶ崎で近所付き合いのかたわら、月に1回はサッカー談議をして日本のサッカーを憂いている仲間であるが、共通しているのは「サッカー・キチガイ」で70過ぎても、グラウンドに立っているのが生き甲斐で、サッカーの話になると時間を忘れ夢中で議論をして夜中まで語り、我々のサッカーが世界一だと思っている、爺である。

 さて本題に入るが「恪さん」は関東社会人リーグ2部の「厚木マーカス」のコーチである。一方私は同リーグの「神奈川教員 ク ラ フ ゙」の代表としてプログラムに載っている。アマチュアの地域リーグ、そしてJFL「全国社会人リーグ」その上にあるピラミットの、J2、J1、の組織図がどうもぴんと来ない。二人はプロとアマチュア、の「構図問題」が日本サッカー界の大きな課題だと何時も話題にしている。

 この件については長くなるので、今回は日本サッカーの技術的課題について「恪さん」のコメントを紹介したい。話は何時ものパターンになってしまうが、お許し願いたい。

「中村俊輔」に代表されるように、セットプレーのフリーキックの力が日本人サッカーのトレードマークになっている状況でのボール扱いでは、世界におくれをとるようなことはなくなってきた。

 攻撃を燎原の火のごとく拡大して行くわけではないが、ボールを相手にうばわれないでつないで行くのが本当にうまくなった。しかし真の意味でゲームでの有効な技術、例えば勝負どころで突破のドリブル力とか、難しい体勢からのクロスや、シュートする時のキック技術を考えた時、果たして進歩しているか疑問だ。

 特に守備と言うことでは、個人の判断力を含めて、アジリティを中心とした能力は攻撃と比べて極めてアンバランスなものを感じる。特にボールを持った敵を少しでも距離のあるところから、寄せなければならない時の守備力は極めて低い。2006,Wカップでイタリヤのカンナバーロが決勝のゲームで10回の見事なパスカットに成功したのを見るにつけても日本人選手の伸ばさなければいけない方向を思う。

 「スキル」と言う言葉、表現が10年程前には随分とサッカー界では飛び交っていたのに、今は既に死語になっているのは、いったいどう言うことなのだろうか?日本サッカー界を横文字言葉がフリーランニングするのは、未だ世界のサッカーは遠いと言うことなのか。

(恪さん流の味のあるピリッとしたコメントを紹介したが、通訳が必要かもしれない・・)

次に前回も紹介したが現役の状況を付け加えておきたい。新入生が30名ほど入部して活気が出てきたが4月早々に関東大会の予選が行われ1回戦で横浜隼人高校に0−0のPK戦で敗れてしまったが、次は5月の連休に行われる、インターハイ予選、平行して行われるU―17リーグ戦そして冬の選手権一次予選と夏までに全てが消化され、新しいメンバーに代わってゆく。

この連休は湘南工科・東邦チタニュウム・等と練習試合をこなし6日から始まるインターハイ予選に備えている。新人の紅白ゲームもなかなか夢があり ク ゙ ラ ン ト ゙に行くのが楽しくなる。何を中学で教えられたのか、どの子もボールを持つ事、こねる事は、お上手です、動く事、相手より早くコントロールする事、ボールを蹴る事、何も教わっていない・・・

「絵」の方であるが、今回は「湘南高校の校門」を描いてみた。いや古くからあるものを探してみたら、校門、赤木園銅像、樫の大木、此の位しか見当たらない、100年を越える古木を描くのは度胸が必要だった。やはり根元を描くべきだった、と思ったが、古くからある校門を入れなければ・・構図には苦労をした。倉岡さんの「宮島厳島神社」のようにさらっと描いてみたいといつも思う。併せて新緑の「茅ヶ崎中央公園」を紹介しよう。

「続中メール・NO19」

「新年度を迎えて・・・」           2007・4・4

 湘南高校サッカー部に新入生が入部してきた。先日合格発表があり「全県一学区」の結果が発表になり、かなりのサッカー経験者が入部を希望してきた。早速練習に参加させて「 フ ィ シ ゙ カ ル ト レ ー ニ ン ク ゙」の様子を見たが、卒業生の子弟を含めなかなかの「珠」が参加してきたようだ。「珠」と書いたのは磨けば光りそうな「生徒」が4〜5人いたので楽しみである。

 春休みに入り短期間の校内合宿を行った。インフルエンザが部員の中に流行してまともに練習試合のメンバーを組む事もできず、対「商大高校」戦も0−2の敗戦で清水監督も大分苦労しているようだった。合宿前に行われた「筑波大学付属」との定期戦も0−2で破れたと、ふがいない結果の報告を受けた。聞くところによると今回は60回記念の大事な区切りの試合だったと言うことである。

さて日本代表の方も、反町・オリンピック代表がアジア予選を戦った。こちらの選手達も結構頑張っていたようだが、レベルアップと将来の可能性を感じたのは私だけでは無さそうである。だがトップの「平山選手」が中心になるメンバー構成では世界を相手にするには多くの課題があるが、アジア予選はこれで一応は正解と見てよいだろう。

私の友人の相川亮一君の「コーチング日記、のメール」によれば監督の批判はしょうがないが、日本協会の責任者が「あの監督は駄目だ、止めさせろ・・・」そう言うような発言をするのは頂けない、選んだ以上はもっと協会サイドは協力するのが大事な事ではないかと言うてたが、まさにそのとおり私は「反町監督」は指導者としては有能な人物だと思うので、是非皆で協力して育てたいと思っている。

 続いて行われた、オシム・日本代表が横浜・日産スタジアムで「ペルー戦」を戦って、2−0の勝利に終わり結果は良かったがこちらも「イマイチ」物足らない内容であった。相手も例年に比べ力不足を感じさせたチーム力であり攻めの形に「ワールドクラス」を感じなかった。中村と高原の2人を呼び戻しての戦い方は理解できたが、得点は俊輔のFKからの2得点のみでこれといった攻めの形が見られなかったのは寂しかった。只パスの精度、質の良さは非常にレベルの高さを感じ、楽しみな選手が多く期待できそうである。

 もう一つ追加で先日「体育 セ ン タ ー ク ゙ リ ー ン ハ ウ ス」を使って国際審判員の「上川 徹氏」引退記念の講演を行った。県スポーツ課・県サッカー協会・邸園文化調査団、で主催・共催、の変わったイベントであり、あの建物を残そうと言う運動の一つとしてなかなか内容のある企画であった。講師の上川氏もW杯2002・日本大会、2006、ドイツ大会、へ最後の花道を飾った3位決定戦の主審を務めるまでの苦労話は大変参加者にも好評であった。蛇足であるが私の描いた「グリーンハウスの絵」をお礼に贈らせてもらった。

本来ならば5月5日発行予定のこの「中メール」であるが、4月スタートの関係から特別の追加でこの文章をまとめてみた。下手な「絵」の方も少し腕が上がったと人におだてられ、褒められる事が多くなったので、沢山描いているが、この道も数打てば当たる世界のようで何となく恥をかく事が少なくなってきた。最近は建造物に興味があり今回は「横浜国際競技場」(日産スタジアム)を描いてみた。

「上川 徹氏・講演の後記念撮影・2007318グリーンハウス食堂にて」

「鈴木 中作品・横浜国際競技場・F4」

「倉岡誠親氏作品・宮島厳島神社」

「続中メール・NO18」

「老人のスポーツ」           2007・3・3

 最近シニアのスポーツ活動が盛んに行われている。湘南のサッカー部OBも数チームで公式戦に参加している。素晴らしい活動だと感心している。先日横浜YCAC外人 ク ラ フ ゙と私の母校、現在の筑波大学OBとの親善試合を計画したところ人数が揃わずペガサスの応援を願い、両チームとも技術的にレベルの高い試合内容で楽しかった。試合後のクラブハウスでの交歓パー テ ィ ーもて気持ちの良い会であった。(54回生の中村昭・鈴木信君・感謝・)

この試合は元々100年も前にさかのぼり日本へ最初にサッカーが伝わったのが明治 ・ ・年かに外国人船員から東京高等師範学校の指導者に伝わったと言う話から、ここの外人 ク ラ フ ゙と筑波大学のOBと親善試合をやろうと言うことになり毎年予定されているが、実施できない年もあった様である。今回104年目になるが、このような企画は世話人がちゃんとしていないと長続きはしないのでそのときの思いつきで実施する事は難しいと思われる。

幸い湘南OBの藤塚久雄氏(現・茅ヶ崎北陵高校教諭)が世話を焼いてくれたので今回は何とか実現したが、今後の事を考えるとなかなか難しい事であり、引き継いでゆく人の問題でもあろう。湘南高校も筑波大学付属との定期戦然り、前にも書いたが浦和高校定期戦等これからの事をどうするか残す為の方策を考えておかねばならないだろう。その為にはどうすべきか真剣に考えておかねばならない問題であろう。

老人のスポーツが今回のテーマであるが、サッカーを考えると70歳を過ぎると、走れない、蹴れない、競り合えない、現実を如何すれば良いのか、解決策は一つ、正確に短いパスをつなぐ、個人の技術レベルの高いサッカーで、一番楽しいことは、シュートをすること、パスをつなぐ事ではないだろうか?なるべく相手とぶつかり合わないでパスゲームが出来れば年寄りのサッカーは合格だろう。(但し50歳台が限度かもしれない・・)

 標題に老人のスポーツとしたのは、最近、水泳、ゴルフ、スキー、をやっているので膝に欠陥があってもこのスポーツは、相手との格闘技がないので何とか対応できている。特に水泳は体重の負荷が膝にかからないので体には非常に良いと思っているが、やはりスポーツであるので記録への挑戦が課題となってくるが?マスターズの大会へ・いずれその内・

 次にゴルフであるがここに書くほどの腕前ではないので、ひかえ目にさせてもらうが、このスポーツは練習が自分ひとりで出来る為、日常の練習に問題はないが、コースに出ても他人に迷惑がかからない程度に出来れば、お付き合いとしては良いだろう。只負けず嫌いの性格でどうしても夢中になるが結果は100を切れば良しとして、あまり欲張らないので進歩しないのが現実である。

さて最後にスキーであるが、良い年をして2月に2回(白樺湖・志賀高原・下記の絵)

滑ってきた感想であるが、年をとっても滑る事はできる、只緩斜面のみ。問題は転んだ時とスキーをつけて歩く時の筋力が全く衰えている事で、無理をしなければ何とかなると言うことが判った。上りはリフト・ゴンドラ、が運んでくれるので緩斜面を探して安全に滑ってくれば快適なスポーツと言えるであろう。(3月・北海道ニセコ・予定)

 幸い志賀高原で3日間滑って3回転んだが、無理して立とうとしないでスキーを足から外すのが一番楽だった。只緩斜面では満足できず、急斜面だ、コブだ、ポールだ、と若い頃と同じにやれば、たちまち骨折に繋がってしまうだろう。しかし若い頃かなり滑った経験者でなければお勧めできない限られた老人のスポーツかもしれない。

 最後に結論としては70歳代の老人のスポーツは方法さえ間違わなければ、大いにお勧めすべきものだと言って良いだろう。病院と医者に大金を使う事を考えるなら、健康のために、老人のスポーツのためにお金を使う事は結構な事だと思っている。そしてゴルフの19番ホール、スキーのアフタースキー、下手なお絵描きを楽しんでいるこの頃である。

「鈴木 中 作品 YCACクラブハウス・親善試合会場 奥志賀ゲレンデ・F4

「倉岡誠親氏 作品 宮島 ・厳島神社・大鳥居」

「続中メール・NO17」

「全国高校選手権大会」            2007 ・2・2

(まだ記憶の残っている標記大会の感想と「初日の出」を2月号として追加した。)

「盛岡商業高校の初優勝の意味するもの」・・・決勝戦が作陽(岡山)と2−1の素晴らしいゲームだった。技術的にはやや物足りなさはあるが、前回にも書いたように、国立競技場を満杯にする高校サッカーの正月の風物詩は、日本独特の意味深い結末であった。

この人気は地元チームや、常連高でなくても客が来るという、大人のサッカーよりも魅力のある、見ていて楽しい「歴史と伝統の高校サッカーの魅力」だと言っても良いだろう。

 そして優勝した盛岡商(岩手)「斉藤監督」が病気(喉頭がん)を克服して退職を前に全国を制した快挙は、私としても自分のことのように嬉しかった。決勝戦の45分ゲームを相手よりも走り勝っての逆転勝利は、雪の中を走って鍛えた体力勝ちの結果だろう。18年前に湘南が3回戦で盛岡商業に破れた時のことをついこの間の事のように思い出させてくれた。やはり高校サッカーは技術プラス・体力勝負が基本であろう。

 只新聞にも書かれていたが、決勝戦以外は40分ハーフPK戦の問題は至急に変えるべきであろう。関西から首都圏開催に変わってから早30年経ってしまった。その間本大会の参加チームが32校〜48校になり現在に至っているが、TV放映の関係でこのようになっているが、先ずは45分ハーフにして、延長戦をしてPK戦にするべきだろう。

 急には出来ない事は承知で書くが、不可能な事ではないので無責任に言わせてもらうなら、正月は16チームでトーナメントにしたらどうだろう、暮れに48代表(8〜12ブロック)の一次リーグ戦を行い、16チームに絞ったらどうだろう。世界のサッカー界の流れから、大会形式から見てもこの方法なら、高校3年間の集大成が選手にも関係者にも納得の行く大会になると確信出来るものとなるだろう。

 最近仕事MC(マッチコミッショナー)で試合を観る事が多いがアマチュアのトップの試合は非常にプレーがフェアーで数えるほどのイエローカードでいつも気持ちよく試合を評価する事が多いが、どうもプロの試合を見ると、試合前はフェアープレー旗を先頭に入場してくるが、見ていると悪質なファール、汚いファールが目立ち子供たちの悪い見本になってしまうプレーが多すぎるように思えてならない。

 最後になってしまったが新人戦中央大会が1月に行われ、2回戦対横浜南2-1の勝試合は小雪の中白熱したゲームで、両チーム技術的には未熟だったがそれなりに頑張り延長で見事なコーナーキックからの決勝点で勝利した。清水監督が厳しく指導しているキックが数少ないシュートチャンスに生まれたのは立派だった。続く対旭高校戦は技術的には、遙かに上まわる相手と互角の勝負であったが延長戦0-1で涙を呑んだ。敗れたが今後を期待できる素晴らしいゲームだったと報告したい。(結果については協会HPを見て欲しい)

「鈴木中作品 ・茅ヶ崎海岸 ・初日の出 ・光と影に初の挑戦 」

「倉岡誠親作品・彫刻・ネンリンピック静岡大会・入選作・銅賞・Shall we ダンス」

「続中メール・NO16」

                「2007 ・新年を迎え」               2007 ・1 ・1

“明けましておめでとうございます”

又新しい年を迎えました。サッカー部OB諸兄姉にはこのメール通信で、年賀状に代えさせていただいています。古希を過ぎ公職から離れたので季節の挨拶状は失礼して出しておりませんが、お許し下さい。尚昨年春転居の通知を出しましたが、多くのOBの方は旧住所にお手紙を頂いていますので下記住所にご訂正下さい。

先ず私のメール通信について、色々ご批判もあるが、かなりの方から期待し楽しみにしている、と言うメールを頂いているので、もう暫く頑張って書きたいと思っている。

 昨年の暮れに行われた湘南高校の現役の試合を何回か観戦した感想と、(結果は県協会のHPに載っている)今後の活躍を予想し、併せて日本代表の試合を総括しながら筆を進めたいと思う。(湘南の ク ゙ ラ ン ト ゙に立つのも46年目になってしまった)

昨年の暮れにU17のリーグ戦が3試合行われた。12月6日・対翠嵐高校2−1で勝ちの試合は終了前ノータイムに貴重な2点目を入れ、勝負強さを感じさせる試合だった。ゲーム内容は、やはりディフェンスの勝利だろう。GKが安定した事4人バックの力がついて来た事が勝因だと思う。中央の二人がもう少し安定すればと期待して見ている。

次週対西湘高校戦は0−0の引き分け試合だった。清水監督が試合後に激怒していたが、どうも湘南らしさを感じないゲームだった。普段の練習から来る雰囲気がそうさせるのか、勝敗の結果より、練習時のまとまり、雰囲気、チームワーク等の経過内容が問題になるような試合運びであり少し寂しく感じたのは私だけではないと思う。翌週行われた対大清水高校の試合も0−0で2006年の公式戦は終了したが、この結果から3部落ちしないで、来年も2部リーグを継続できそうなので、あきらめずに、また次に向かって精進して欲しい。

その後冬休みに入り12月27、28、29日に「・・フェスティバル」と言う大会形式の、交流マッチを数試合行ったが(対 ・大和南・北陵・金沢 ・正智深谷・武相)それぞれA,Bでテーマを決めて内容の濃い練習試合だった。さすが一日寒いグランドで観戦するのは大変厳しいものだったが、選手たちから僅かではあるがこちらの意図するものを表現しようとする姿勢が見えて来たので、楽しく3日間を過ごすことが出来た。

2006の日本サッカー界の大きな流れはW杯ドイツ大会の総括である。本大会で予選リーグに勝てなかった大きな理由は、日本協会が出したテクニカルレポートを全て読んでいないので、私の考えだけを書いて見たい。その一つは「代表チームのディフェンス」の問題だと思う。守り方の基本が出来ていない事、高さへの対応が出来ていない事、GKがワールドクラスで無い事等、が先ず上げられるだろう。

そしてCFといわれる「点取り屋が育たない事」、即ち点を取るという才能を子供の頃から育てていないと言う、課題が残っている。小野、中村、稲本・・・と言う中盤の選手が生かせない事、これはボールを持つ事、コントロールする事、こねる事ばかりを子供達に教えているので、点を取る選手が育たないという事だろう。この事はJリーグを見ればはっきりしている。点取り屋の横文字の選手がいるチームが勝つのがサッカーの常である。

さてJリーグを頂点としたピラミッド型の組織図が、果たして日本のサッカー界の構図として正しいかどうかを検討する時期が来ているのではないだろうか。この事は学校スポーツとクラブスポーツの問題、アマチュアとプロの問題につながる事だろう。アマチュアのトップがプロになる構図は諸外国では無理が無いが日本では問題が多過ぎると思う。

この事は明治以来100年続いている学校スポーツと最近出来たプロの予備軍のJユースの関係を、どのように整理するかであろう。そしてJFLのトップのアマチュアチームとプロ志望チームの混合のリーグ戦等をどう整理するかが大きな問題であろう。このように考えるとやはりアマチュアのトップとプロを結びつけるところに無理があると思う。

次に暮れから始まった全国高校サッカー大会を「三 ツ沢」で観戦したので、高校のサッカー界を展望してみたい。先ず地方予選で勝ちあがった、地元代表桐光学園、東京代表暁星高校、久留米高校の地区予選、決勝の様子を見てレベルが低いと感じたのは、私だけでは無かっただろうと思う。本大会の開催都県として期待はしたいが実力が伴わないので、どうなるか心配をしていたが、やはり東京代表の両校とも1回戦で破れその後の応援スタンドが寂しくなってしまい、運営サイドも大変だったと思う。

 大会途中であるので1回戦の様子から見えてくるのは、技術的には劣るが実績と伝統のあるこの大会の意味は非常に大事な事だと思っている。特に問題になるのは応援体制であろう。高校サッカーはグランドだけの問題でなく、学校全体、地域、保護者、それらを取り巻く歴史と伝統の世界であって、世界にはまれに見る、学校スポーツの力が日本のサッカー界には残っている状況を自負すべきであろう。

この事はこれからも続く現象として考えられる事で、首都圏高校のレベルダウンは以前のように優秀な高校選手の多くが有名サッカー高校からJユースの選手として、マリノス、レッズ、フロンターレ、・・・等でプレーをする時代になってしまった。この事は予想された現象であるが、だからこそ学校スポーツの魅力と意義を再発見しなければいけない時期が来ていると言えるだろう。そして又高校サッカーが見直される時代が来るだろうと私は期待して見ている。そしてプロフェッショナルと言う意味を日本のサッカー界が再確認する時代が来ていると見ている。

さて今年も懲りずに下手な「お絵描き」を続けるつもりであるが、やはり3点セットの「湘南の海」(江ノ島 ・烏帽子岩・富士山)、を描き続ける予定である。「水彩画」は一番難しいと言われているが、確かに上塗りが出来ず修正が効かないので苦労をしているが、素人なりに今回は「光・影」に挑戦してみた。陰影の難しさを肌で感じた作品である。プロの倉岡さんの作品と比べると雲泥の差があるが、其の内何とかなるだろうと思っている・・

新住所・253-0052 ・茅ヶ崎市幸町7-5-404・TEL0467-83-3234 ・  鈴木 中

メール ア ト ゙ レ ス・s-cyu@m6.gyao.ne.jp

「鈴木中作品・(箱根 ・早川)(茅ヶ崎海岸・烏帽子岩)光と影」

「倉岡誠親作品・(兵庫県・旧トーマス邸)(高野山 ・奥の院)」

「続中メールNO15」

「・ひとりごと・・」            2006・11・11

前にも書いたが11月11日は「イレブンデー」と言ってサッカーの世界では昔から色々なイベントが計画された、私にとっては思い出の多い一日であった。

最近はどこへ行っても楽しい事が少なくなり、腹の立つ事ばかり「歯軋りすること・つぶやくこと」が多くなってきた。老人の仲間入りをしてきたのか・・・

 昨年「古希」のお祝いを卒業生の皆さんで開いていただいたが、あっと言う間に一年が過ぎてしまった。正に「光陰矢のごとし」一年経つのが本当に早い。高校生活の3年間も本当に早いと思う。先日入学したと思っていたら、もう卒業すると言う。実質2年間の部活動、毎日を大事にして欲しいと願っている。

 現役の試合を時々観戦するが、個々の技術は進歩しているがサッカーそのものはあまり進歩していない。この秋は「U-17のリーグ戦」 「新人戦湘南地区予選 」の戦い方が気に入らない。当然勝てると思われた1-0でリードしていたゲームを後半最後のロスタイムに1点取られて引き分けてしまった・・

しかしその後の戦いを見ていると少しは進歩のあとが伺える。地区予選を勝ち上がり中央大会には多分行けるだろう・・・

 湘南のグランドはトンボをかけて良く整備され高校の土のグランドとしては県内で1,2とも自慢の出来るピッチだと思っているが、グランドの周りがごみの山だ、体育祭の残骸です、定時制が通信制が残したものです・・・そんな状況を見ているとサッカーの話をする気持ちも起きなくなってしまう・・・

 湘南地区の校名 藤沢総合高校(長後・藤沢北) 藤沢工科高校(藤沢工業・大船工技) 翔陵高校(藤沢商業) アレセイア高校(平和学園)間もなく(大清水・藤沢女子高合併予定)少子化に伴い学校の合併で新しい学校の誕生、古い学校が無くなり、私学のネーミングのイメージチェンジ等学校名が変わる、無くなると言う話を聞くにつけ・悲しくなる・・・

 老人と言われるのが嫌で年甲斐も無くボールを蹴っていたら、やはり膝に負担がかかりドクターストップになってしまった。サッカーと言う競技は相手に勝たなければいけない格闘技である。相手より早くプレーし、そして強く競り勝つのがサッカーの楽しさだと思う。やはり年寄りのスポーツでは無さそうだ。

あきらめて今は「スイミング」に凝っている。しかしここにも悩みがある・・・

 水泳のキック・ビートはサッカーのキックと全く異質のキックであって足首を硬くする蹴りと柔らかくする蹴りの違いである。一言で言えば簡単なことだが長年身についた足首の硬さは「キックのメカニズム」即ち脳が記憶してきたものを逆転するという作業であって大変な努力が必要になる。そこで技術の習得は素人の方の進歩が早いと言う理屈が成り立つ。だからスポーツの技術は変な癖が身に付く前に正しいものを教えなければならない・・・30年振りの水泳で今まで使われなかった筋肉を使うので体中が痛い毎日である。

U-16「国体少年の部」神奈川県代表は2回戦で敗退。 U-18で37年間続いた思い出の多い国体少年の部が今年から中3・高1の出場するカテゴリーに変わった。このことへの対応が早く準備の出来た県の結果が良いだろうと予想されたが、やはり早くから対応していたのだろうと思われる、県代表が ヘ ゙ ス ト4を占めた。開催地兵庫・千葉・沖縄・石川が勝ち残り沖縄と千葉が同時優勝した。暫く何処の県が勝つかわからない状態が続くだろうと思われる。

思い出と言えば数多くの「体育センター・グリーンハウス」の思い出は多い。以前にも書いたS37年「東京オリンピック時の・クラマー・日本代表合宿」。S45年頃「神奈川県国体少年選抜合宿」、S50年代「湘南高校サッカー部合宿」、S56「全国高校総体」本部等々「玄関前」「南庭側」その風景は今も変わらない。建造物としての価値は判らないが・「クラブハウス」として是非残して欲しい・・

絵を描いていると「つぶやき・ひとりごと」が多いが、下記の「グリーンハウス」のスケッチをしていると過去の選手の楽しい思い出がいっぱい出て来る。以前は海へ行くと空気が美味い、深呼吸をすると長生き出来る様な気になった。

空を見上げ、富士山を眺め、遠くに江ノ島を描き、烏帽子岩を見ていると、何か幸せな気持ちを味あう事が多かった。最近特に休み明けの海岸は「ゴミの山」で「深呼吸」をする気にもならない・・・ぼやくことしきりである・・

しかしこの頃は火曜日に海岸に行くとすっかりごみの山は無くなり、気持ちの良い海の空気が戻ってくる。茅ヶ崎市の行政側は莫大な金を使い、その努力は大変なエネルギーだと思う。毎週繰り返されてゆくこの現象を見るに付け・・火・水・木に海岸へ「お絵描き」に行くことしている。湘南のグランドの周りの「ごみの山」はどうなっているのだろう?学校も金を使わないと駄目な時代になって来たのかな・・・

先日久しぶりに「岩さん・故岩淵二郎先生」の墓参りをして来た。大庭霊園で未だ墓参に来てくれる方の後があり、ほっとして帰ってきた。直ぐ後ろの「石川一成先生」の墓もお参りして、湘南の古きよき時代の素晴らしい先生方を思い出すにつけ、教育界の今の様子を嘆くことばかり・・「ひとりごと・完」

「体育センター・グリーンハウス・正面・南側」(鈴木中作)

「果物・英国旅行・スケッチ」(倉岡誠親先生作)

「続中メールNO14」

「夏の菅平合宿」              2006・9・9

 冬の第85回全国選手権神奈川県予選が予想に反し、まさかの2回戦で敗退してしまい夏休みに入り直ぐに3年生は引退してしまった。7月末からの「菅平合宿」は予定を変更して新チームのスタート合宿になってしまった。来年の事を考えると結果的には良かったかもしれないが、指導者側は苦労の連続であった。

 新1年生と2年生は今まで全く主体的に動くことは無く、3年主体のチームの中で金魚の糞のごとく只黙って付いていたところが、予選で敗れた次の日から突然主体的な立場に変わり、直ぐにそこから合宿に突入した。パスだキックだトラップだと言うその前に、合宿生活の為の基盤が出来ていない・・・

 ユニフォームがありません、ボールが無くなりました、ゼッケンを忘れました、食事が出来ません・・・一時が万事合宿生活の基本的習慣が出来ていない。そんなことは判っているはずだと、毎日のように怒鳴りまくっている「清水監督」は血圧が上がるばかり・・中爺が噛んで含んで諭すことばかり・・

 幸いに事故も無くOB(41回相羽・63回須藤・コーチ鈴木・GKコーチ高橋)の協力を得て何とか終了することが出来た。予想に反し練習試合3試合の結果もまあまあで最終ライン・GKのメンバー予想が出来、そこそこのチームになれそうな気配を感ずることが出来たのは収穫であった。

 涼しい菅平で孫のような高校生と4泊5日の生活を共にして感じたことは、時代は変わった、信じられないことが起きる、親の過保護の中で育ってきた高校生と言っても中学生に毛が生えたような物、小学生がちょっと大きくなったような物、影にお父ちゃん、おかあちゃん、が居ないとサッカーも出来ない・・

 さてそんな状況下で面々と続いてゆく高校サッカー・湘南高校サッカー部はどのようになって行くのだろうか・・心配する事は無いと思っている。直ぐに親離れ・子離れ・はしてゆくだろう?必ずや歴史は繰り返すのが世の常である・・早速新チームの試合(U−17)が始まる、これは大事なリーグ戦である。

 U−17の2部リーグ戦は8月27日対金沢総合高校の試合が行われた。Bブロック7チームによる総当りリーグ戦である。一戦一戦が大事な試合である。結果は3対0で勝つことが出来たが、今後を占うには良い結果だと思っている。12月末まで続くこの試合を期待して欲しい・・・(協会HPを見て下さい)

「合宿参加OB・合宿・朝練習風景」(写真)

「鈴木中作品・W杯ミュンヘン宿舎前(F4)」

「倉岡誠親氏作品・ロンドン旅行スケッチ」

「中メール・NO13」

「W杯ドイツ大会観戦記他」            2006・7・7

 前回は現役の関東大会予選がベスト8どまりで涙を呑んだ報告をしたが、その後すぐに行われた、インターハイ県予選は2回戦対浅野高校戦延長PK勝ち、3回戦逗子開成高校に5-0で勝ったが、4回戦では横須賀学院高校にまたまた延長1-0の辛勝だった。ブロック決勝の日大藤沢高校戦は2-4の完敗で終わった。 

その後の大会結果はW杯と重なり観戦していないので協会のHPを見て欲しい。

 前にも書いたが湘南の今年のチームはとにかく守りが中心で、ディフェンスが〇点で抑えれば負けは無いというトーナメントの勝ち方を知っている良いチームに仕上がった。只悲しいかな点の取れる選手が居ないので何とか全員協力で1点を取って勝ち上がることが出来ればという戦いで、見ている応援の人達はひやひやの連続だったと思う。

 残念ながら敗れた対日大藤沢の試合は終始相手ペースでディフェンスミス,GKキャッチミス、オフサイドトラップミスで防ぐことの出来る失点だったが完敗で涙を呑んだ。取った2点はCKから見事なヘッディングシュート、中央からのクリーンシュートで素晴らしい得点だった。言い訳になるが前期中間 テ ス トの真っ最中と聞いてうなずけるコンデションだったのは残念である。

 さて敗れてしまったが、3年生はまだこれからメーンの「高校選手権予選」が控えている。毎度言ってきたがこの大会を経験しなければ高等学校のサッカーの集大成として悔いが残ると言っても過言ではないだろう。最近は体育祭があります、予備校があります、・・・がありますと、こんな大事な経験を自ら捨ててしまう選手がいるのは情けないが、価値観の違いを「爺」がわめいても致し方ないので残る人間だけを相手にしようとあきらめて筆を進めている。

 冥土の土産にと思って6月17日から9日間ドイツに行って・日本vsクロアチア・イングランドvsスウェーデン・アルゼンチンvsオランダ・日本vsブラジルのゴールデンカードを観戦、サッカーの醍醐味を存分に堪能してきた。結果については皆さんご存知なので、私なりに感じてきた日本チームの・過去・現在・未来について書かせてもらうことにした。

先ず日本の戦い方について、フランス大会・日本大会・ドイツ大会と3回の大会を見てきて、岡田・トルシエ・ジーコ、と比較しながら、試合内容や結果はともかく、世界と戦えるレベルまで来たと言っても良いだろうと感じたのは私だけではないと思う。フランス大会で初めての出場で涙して君が世を歌った感激とは違う「世界の仲間入りが出来たかな?」と言う感触を掴めたようだ。

「中さんそれは甘いよ」という人は沢山居ると思うが、20年前に高校生の代表を連れてデュセルドルフの大会に参加した時と、今回の代表チームの戦いを見て比較すると隔世の感があるが、時代の流れとは別に確かに進歩は見られると思う。それは戦い方とか技術・戦術・の事より「世界の中の日本」と言う事を肌で感じることが出来た。即ち日本のサッカーが1人前に近づいて来たかな、インターナショナルになったと言う事なのかも知れない。

特に大会の前に行われたドイツ戦では2−2のドローであったが、高原の2得点で精神的にも、戦い方によってはかなりやれるぞと言う錯覚に陥ってしまった。しかし冷静になって考えてみれば,FKからの2失点は日本の弱点をさらけ出し、オーストラリアもクロアチアもここを突いてくるのは明白だったが、やはり高さと、パワーそしてヒディング魔術にジーコは敗れた。

日本の戦い方について私なりにジーコ批判をすると、「自律」を表面に打ち出して選手の自主性を期待しながら、自分流を貫いてゆく方法は一見日本人向きのやり方だが、一度チームが崩れて来た時どうするのか期待して見てきたが、やはりトルシエとその辺は変わらず無責任に、選手のせいにしてしまう外国人特有の逃げの姿勢は変わらないと思った。

多分予選リーグ落ちで決勝トーナメントは厳しいだろうと思いつつも、16トーナメントのチケットを確保してドイツに臨んだが、使うことなく帰路に着いたがやはり世界の中ではまだまだBクラスであるという現実を冷静に受け止めなければならないだろう。4年後の南アフリカを見据える時、次はアジア予選を勝ちあがれないのではないかという危惧を抱くのは私だけではないだろう。

JFAが打ち出した「DOREAM」計画で10年後の夢が ヘ ゙ ス ト4ならばもっと抜本的改革をしなければ駄目だろう。フランスを真似して福島に作ったアカデミーがどう育つのか期待して見ているが、日本の風土に合ったものが簡単に根付くのか心配している一人である。明治100年強く育ってきた学校スポーツとの組み合わせをどうするのかが見ものである。・・日本のサッカー界の永遠のテーマになるだろう。川渕ジャパンの時代は終わった、次期リーダーに期待したい。

「祭りは終わった」

ブラジル戦の後、悔しさを噛みしめながら帰国の途についたのが随分と昔のような気がするが、帰ってきてから連日のようにある決勝トーナメントがドイツで見てきたものと一味もふた味も違うサッカーのような気がしている。

当然の事で ノ ッ ク ア ウ トの戦いは勝負が第一で負けないサッカーの厳しさを見ながら寝不足な目で世界とのレベルの違いを思い知らされている。

 今回のツアーについて少し触れておきたい。JTBの小沢君(53回)とかなり前から企画をして来たが、湘南のOB関係(10人)、協会の賛助会員、私の友人、そして小沢君の静岡時代の関係者等々・・話を聞いて人数が増えて10人位でと思っていたら30数名までのサッカーキチの集団になってしまった。事の成り行きで「団長」にされて結構内容のあるツアーだったと自画自賛している。

 帰りの機内でメモを回して ヘ ゙ ス ト4の予想を出してもらったところほとんどの人がブラジル・ドイツ・イタリア・イングランド・アルゼンチン・ポルトガル等の名前を挙げたように順当にこれらの国が勝ちあがった。只ブラジルに隠れてフランスを予想した人が誰もいなかったのは意外だった。理由はいろいろあるだろうが技術とか戦術を語る前に「ワールドカップ」は歴史であり、戦争であり、国民性、気候、風土であって、チェコやスペイン、ガーナやエクアドルは力がありながら勝ちあがれない理由がわかるような気がする。

 今回はさむらいブルー・・・のユニホームを着た集団の中に入り一緒に行動したが日本人のおとなしさは世界と比較するとまだまだ応援スタイルは身についていないようだ、町の中で大声を出して歌う「共通の歌」も無く静かに相手の大合唱を聴いていることが多かった。サッカーと言う文化で世界の中に一歩足を踏み入れたかなと言うのが偽らざる感想である。   完

(今回はワールドカップ観戦ツアーの集合写真にしました)

1、「日本対クロアチア戦」

「2006・FIFA World Cup Germany・6・19・Nurnberg

2、「日本対ブラジル戦」

「6・23・Dortmund

「続中メール・NO12」

「シーズン開幕」             2006・5・5

 湘南高校サッカー部現役の2006シーズン開幕は「関東大会2次予選」から始まった。春休みの「スペイン遠征」の成果が問われる「遠征報告」は別紙(相羽克治氏記載)にあるように、選手達にとって大変内容の濃い思い出に残る遠征になったと想像している。

大会試合結果は2回戦対平塚学園1−0の勝利だったが、随所に成長の跡がみられ、辛勝であったがよく勝ち上がった。

 3回戦で桐光学園高校を破った対川崎北高校との試合はなかなか見ごたえのある試合で結果は延長PK勝ちであったが、ディフェンスが安定してきたので安心して見ることが出来た。清水監督の守備の指導は高く評価できるだろう。このラインで勝ち上がれるかどうか期待して見ていたが、点取り屋が居ないので苦労しながらベスト16まで勝ち上がった。

 続く4回戦座間高校の試合は互角であったが最後は体力勝負、集中力勝負でよく頑張った湘南の勝利は久し振りに中央大会への可能性を期待させた。このメールが発表される時には結果が出ていると思う。準々決勝の対秦野高校の試合は見ることが出来なかったが、1対2で涙を呑んだ報告を受けた。ベスト8は立派な結果だろう。

 県内210校を超える参加校の中で ヘ ゙ ス ト8まで勝ち上がるには想像を超える多くの壁があり、そこを乗り越える努力には頭が下がるが、運も味方されないとこのような成果は生まれないだろう。この結果は次の総体予選の組み合わせに大きくプラスになり、続く選手権のシードにも影響されるので、大きな成果でありこれからの試合が楽しみである。

 秦野に敗れた報告をJFLのMCをしながら、駒沢のグランドで聞かされたが、冷静にサッカーの勝負と言う事を考えた時大人の試合でも1点を争う勝負では、なりふりかまわないで守るチームが勝利をものにするのでは無いか、又高校生では昔の名前、伝統の力が生きてくるのか、その日に東京都の代表が帝京高校になったと聞かされた時ふとそんなことを感じた。今年は良い報告が出来るかも知れない・・・

 さて前々回(ワークショップに参加して)の中で紹介した、県立体育センター・グリーンハウスを訪ね、下手な写生をしているが今回は4月末に描いたものを載せることにした。昭和50年代のOBは何回か合宿をした場所なので、懐かしく感じる方も沢山居ると思うが、是非この建物を良い形で残して欲しいと願いながら筆を進めて来た。今回は描いたものを、写真に収めパソコンで送る事に挑戦して見た。

「私の作品・2点」

「倉岡先生のスケッチ・作品・2点」

「続中メール・NO11」

「湘南高校サッカー部の方向性?」         2006・4・4

 3月末に「第59回筑波大附属高校・定期戦」が行なわれた。結果は6ー1で湘南の大勝で終わり、面目を保てる試合であった。今年のチームはかなり期待できるのではないかと古いOBからお褒めの言葉を頂ただき、OB戦を含め稔り多い交流試合であった。今後もこのような行事を続ける事を是非お願いしたいと思っている。併せて中断している浦和高校との「定期戦」の復活を強く要望したい。

 チャンピオンを争う「高校選手権大会(関東・全国)」も大事にしたいが、「定期戦」と名の付く試合をもっと大事にするべきだろう。湘南高校はプロ選手の予備軍を作る場所では無いだろう。これからの日本を背負う人材のサッカー集団が目指すモノは何だろう?同じような目標を持つ学校と交流しお互いに吸収する事は大事な事だと思っている。

 今年も3月末〜4月にかけ春休みを利用して「スペイン遠征」を実施した。残念ながら私は参加できなかったが、この原稿が発表になる頃に帰国の予定になっている。選手団・団長代理で41回相羽君が帯同してくれた。多分稔りの多い遠征報告を聴く事が出るだろう。スペインには無い日本の学校単位のサッカーチームが古い伝統ある町のクラブチームとの交流試合はお互いに吸収する物が沢山ある事を生徒達は実感できただろうと想像している。

 この遠征には海外在住のOBも参加してくれた様だ。チュニジア大使館に医師として勤務している41回黒澤君、英国留学中(サッカービジネス学を大学で勉強中)73回勝俣君が陣中見舞に来てくれる事の報告を貰った。色々な意味でこれからの湘南サッカー部の卒業生がインターナショナルに育って行くためには続けたい行事である。

 さて私事で恐縮だがこの3月末で(社)神奈川県サッカー協会の会長職を定年で退任した。

公のサッカー生活とはここで一つの区切りになるが、これからは子供達の サ ッ カ ー・年寄りのサッカー・公的には暫くJFL(日本フットボールリーグのMC(マッチコミッショナー)の仕事をしながら、好きな、下手な「絵描き」の生活に専念したいと思っている。

 尚予てから予定していた老後の生活を、4月から茅ケ崎駅南口・5分のマンション生活に変わることになった。お近くに来られた時は是非お寄り下さい。

〒253−0052 茅ケ崎市幸町7−5−404 電話 0467−83−3234

Eメールアドレスも変更予定です。

「私の「スケッチ」は昨年の作品を載せた」

「倉岡先生作品」(昨年のヨーロッパ旅行の作品)

「続中メール・NO10」

             「ワークショップに参加して」         2006・3・3      
 今回は何時もと趣の違う内容になるが、これも私のサッカー協会・会長として最後の仕事であるので書かせてもらった。特にOB諸兄は夏の合宿で宿泊した思い出の場所になるので、この運動に積極的に参加して欲しいと思う気持で…。

「グリーンハウス保存再生プラン…ワークショップ」

 神奈川県の教育委員会が昨年から「歴史的建造物の保存再生」「相模湾沿岸を考える」等、昔からある良い物を残して行こう、と言うねらいでこのような活動が行なわれている。前者の中の一つ「県立体育センター・グリーンハウス」を文化的な建造物の立場から残さなければと言う,建築学の専門家、建築学科の学生、等が多く参加して真剣に取り組んで来ている。

 このような活動に私が呼ばれたのは「グリーンハウスを残そう」と言う呼び掛けである。この建物はもともとゴルフ場の ク ラ フ ゙ ハ ウ スとして使われた物が、戦後 サ ッ カ ー場として使うようになり、昭和37年(1962年)「東京オリンピック」のための サ ッ カ ー日本代表が合宿をした時、合宿所として使用した歴史的建造物であった。その頃湘南高校に赴任した私もお手伝いをした懐かしい場所である。

 その時ドイツから招聘した日本代表の監督が「デトマル・クラマー氏」であった。彼はそこで芝生のグラウンドを要求し関東地区にあったグラウンドと選手が泊まれる ク ラ フ ゙ ハ ウ スのある施設を要求された。それがこの施設(旧体育センター)である。2002年W杯開催の時、神奈川に来られ「グリーンハウス」を懐かしく見て帰られた。(その時神奈川県 サ ッ カ ー協会に来られ講演をして頂いた)

 建築物としての価値は私には解からないが、その後も神奈川県の サ ッ カ ー国体選手の合宿、高校生の合宿、数多くの競技大会等、勿論陸上競技場もあり ク ラ フ ゙ ハ ウ スとして多くの人達が利用した「玉屋食堂」も亡くなられた先代の親父さんから二代目に代わり、現在も続いてお世話になっている。是非是非これからもスポーツ施設の ク ラ フ ゙ ハ ウ スとして存続して欲しいと願っている。

 ついでに私の夢であるが、最近話の出ている指定管理者制度を利用して今ある県立体育センター・サッカー場を全て人工芝にして神奈川県サッカー協会が、管理して行くことは可能な話ではないかなどと言う夢を画いている。近い将来そんな夢が実現するかもしれないと…・

「理想的な茅ヶ崎の浜から相模湾沿岸を考える・・ワークショップ」

 さてもう一つの運動は、私の住む「茅ケ崎市」の海岸の景色がマンション建設の為に変わってしまう。是非それを阻止しようと言う運動である。

 1月25日バルーンを挙げて景観シュミレーションを実施した。アドバルーンを地上45mの高さまで上げた景色を描いたものが、「私の下手な作品である」。この冬は何時もの年より、茅ケ崎の海岸から見た富士山が綺麗なので、素人画家の私も暖かい日に時間を見つけて描いているが、だんだんと景色が変わり「海岸と富士山」を一緒に描く事が出来なくなって来た。

 最近は「柳島」まで行って馬入の河口〜湘南平〜富士山を描くがこれも平塚の町の高層ビルに視界がさえぎられる。自然を描くよりビルを描くエネルギーは大変だ。今更このように反対運動をしても・・と思うが、でもこの美しい「湘南の景色」を見えなくしてしまう事は情けないので、少しでも役に立てばと願いここに載せてもらった。

 ここで本題である湘南高校 サ ッ カ ー部現役の話になるが、新人戦中央大会はベスト16で法政二高に0−3の完敗であったが、内容は悪くなかった。前の試合が延長戦で連戦の疲労があり,スタミナが急激に落ちると技術が発揮できなくなる。この経験は過去にも何回も繰り返しているので、この課題を乗り越えて次に向かって欲しいと思っている。

 3月末に行なわれるスペイン遠征であるが、ほぼ計画もまとまり準備万端整ってきた。一昨年は「団長」と言う立場で参加したが、今年はスケジュールの調整がつかず、OB41回生「相羽克治氏」に代行してもらう事をお願いした。

このような行事を学校が主体で実施するのが難しく、教育委員会はおそらく許可しないので、OB会、父母会、が主体となって実施している。

 フランスに近いスペイン ・バスク地方は独特の地区で、 サ ッ カ ーの世界ではトップチームに伝統あるスペイン一部リーグの「アスレティック ・ビルバオ」を擁し、ピラミットになった組織化された強化組織があり、どの地区に行っても、相手に合わせた対戦相手をセッティングしてもらい、素晴らしい芝生と暖かい歓迎をして頂き、選手達は、本場の サ ッ カ ーの味を肌で感じる事が出来る。必ずや良い財産になる貴重な経験を持つ事が出来るであろうと期待している。

「追伸」

 2月26日の朝日新聞にこんな記事が載った。茅ケ崎市長と業者が話し合い
マンション建設、当面中断,茅ケ崎漁港・市が合意」服部市長は「市民や関係団体がマンション建設計画の見直しの働きかけをした成果として,開発事業者側の理解を得ることができた」とのコメントを出した。少しは役に立った様だ…


「上、鈴木中・下、倉岡先生の ス ケ ッ チ」

「茅ケ崎海岸から見た富士山」(アドバルーンの高さのビル建設か?)

「昨年のヨーロッパ旅行の ス ケ ッ チ・さすがセミプロの作品、真似をしたい・・」

 「続・中 メ ー ル・NO9」

「高校サッカー」                2006.2.2

 この「 メ ー ル通信」は2ヶ月に一回の予定だったが、今回は特別号を出すことにした。理由は2つあり、ひとつは正月にOB会の有志が私の「古希と文部科学大臣受賞の祝い」をしてくれたのでそのお礼を、もう一つは今年の高校 サ ッ カ ー選手権大会と現役の今年のスタートを書かせてもらいました。

 1月8日蹴球祭の夜、柳川前会長、清水先生,そして現牧村OB会長・小泉副会長他・教え子80数名が集まり盛大な会を開いてくださり、また過分なるお祝いを頂き美味しいお酒を飲むことが出来て感謝感激でした。又50数名からのお手紙・花束・お祝いの品物等をいただき、この紙面を借りて厚く御礼申し上げます。

 その席でも話しましたが私の事を肴にして昔の仲間が集まり高校時代の懐かしい思い出話が出来れば良いだろう、その為には「体育人として範となり、健康な生活をしたい…」と大きな事を言いましたが、これは皆さんに言うより自分自身に言い聞かせたつもりです。思い起こせば湘南に赴任した年に「西宮の全国高校選手権大会へ」そして28年後湘南を去る年に「三つ沢で全国ベスト8」に、これは私の大きな勲章でした。

 二つ目は未だ記憶の残っている中に今年の正月大会を書いておきたいと思ったからです。

1月9日に「第84回全国高校選手権大会」が幕を閉じた。相変わらずの高校サッカー人気で国立競技場を埋め尽したフアンの前で熱戦は繰り広げられ、予想に反し「野洲高校」の優勝で終了した。多くのサッカー関係者が例年と違ったこの初優勝を見て、流れが変わってきたぞと言う高校サッカーを強く感じたことだろう。

 確かに時代の流れは変わってきている。それはどのような立場であっても共通のねらいは世界のサッカーを見据えたサッカーでなければならないだろう。優勝の「野洲高校」は今までは無名の滋賀県の県立高校であり、勝ち上がった理由は技術的に優れているから、これだけの結果が残せたと言えるだろう。神奈川県の国体選抜が滋賀県選抜に準々決勝で敗れた時これは違うぞと感じ、一人一人の技術がしっかりしているのには驚かされた。

 その技術がしっかりしている事を、少し私なりに分析してみると一人ひとりのボールタッチが非常に柔らかく、必ずフェイクが入り相手の逆を取る事が全員出来ている。だからそれからの短いパス、長いパスの組み合わせが小気味よく展開され、相手は激しくプレスしてもそれをいなして行く、選手たちは楽しそうにボールをつなぎ相手の裏を取ってゆく、見ている側も楽しくしてくれる素晴らしいサッカーで優勝した。

 決勝戦が面白かった理由は「野洲高校」が「力とスピード・パワー」の鹿児島実業をタイプの違った自分たちのサッカーを出し切って優勝したと言うことであろう。「野洲高校」がこれからの高校サッカーの一つの見本になってゆくだろう。子供の頃から一緒に蹴ってきた仲間同士の意思の疎通、創造性、イマジネーション等々何か南米のサッカーの匂いのする楽しいサッカーを見せてもらった。

昨年行なわれた高円宮杯を競う大会はユース大会としてハイレベルな大会であったが、イマイチお客が来ない寂しい大会であった。高校年代で技術的には最高の大会なのに人気が無く、技術的にはワンランク下の高校選手権大会は人気がありお客が多く入るこの現象が暫くは続いて行くだろう。選手達はプロ嗜好ではあるが何故か根付かない全日本ユース大会・Jクラブ・のあり方が問われている?

 そのような状況下に大阪代表で「大阪朝鮮高校」が出場し、ベスト8迄勝ち上がって来た。学校単位で高校サッカーへの出場を認めたので今後益々力をつけて、優勝を狙い全力を挙げて強化をしてくるだろう。一方がレベルダウンし他方がアップすれば当然結果は明白になってくると思うが、果たしてこの問題もどうなるのか興味をもって見て行きたい。

 さてそこで「湘南高校のサッカー」はどうするのか?私は学校事情が変化しても、今までどおり、これからの社会のリーダーシップを取れる人間育成の為のサッカーであって欲しいと願っている。プロ選手育成の学校ではないと思っているが、大会に出る以上は全国で勝つことを目標にして行くべきだろう。その為にはOB会としてどうしたら良いのか只経済的援助だけでなく指導者のサポート体制をどうするのか?考えて欲しいと願っている。

 正月早々に行なわれた、「新人戦・県大会・1回戦」対翆嵐高校に1−0で勝った試合は、決して褒められた試合ではなかったが、試合後に「2006・スタート」としてはまあまあの評価は出来る。しかし目標を高く(一番高い処に目標を置きなさい)と言った私の話が通じる選手達の「目の輝き」を見て、今年のチームの可能性を感じた。

 ついでにその日に大学選手権の決勝戦があり国立まで行って見てきたが、女子の早稲田大学の優勝はまだ女子サッカーの可能性を感じたが、男子大学「駒沢大学の優勝」はどう考えてもお粗末だった。又の機会に書かせて貰いましょう。

 話は戻るが「祝いの席」で強く感じた事は、チームが強かった年もあり,良い結果の出せなかった年もあったけれど卒業してから社会人として生きて行く時に、「湘南高校」でサッカーをやった事、一緒にボールを蹴った事、グランドで純粋に熱く燃え尽くした事、が青春の一ページであり、その後生きて行く上での何かの力になってきたと言う話を聞くと、私自身も安堵感に満たされ、美味しい酒を飲むことが出来た。

 最後に又下手な「絵」の世界の話になるが暫くは「湘南海岸から見た・富士山」に挑戦したい。富士を描くのはやさしいようで非常に難しい、水彩画は簡単な様で一番難しいと言われている。何故だろう「色を塗る時」即ち着彩が勝負で失敗した時、油彩の様に上塗りが出来ない。一発勝負、それが又面白い、そのうち何とかなるだろう?

「今年もテーマは(感謝・元気)で行きたい・馬入河口・湘南平・富士山」(鈴木中作)

「広島県美術展・入選作品・彫刻」(求道者)(倉岡誠親作)

「中メールNO8」

「2006年の抱負」            2006・1・1 

「あけましておめでとう御座います」

昨年11月に古希を迎えそろそろ年賀状も失礼しよう、と思い今年から湘南高校サッカー部OB諸兄姉他サッカー関係者には「下記賀状」で勘弁してもらおうと勝手に決めました。ご容赦下さい。皆様には良いお年をお迎えのこととお喜び申し上げます。今年も宜しくお願いいたします。サッカー協会の仕事も3月一杯で終了し、これからは自由な身でサッカー界に関わってゆく所存です。

 「生涯サッカー人・指導者・コーチ」「良い指導者の出現を願って」

 私の宝物の一つに1冊の本がある。「昭和36年発行・学芸出版社・京都市」「キネシオロジーによる新体育スポーツ選書6・サッカー」著者・竹内京一(協力・瀬戸進・田辺喬・鈴木中)となっているが、殆どは大学の同窓(東京教育大学)の3人で原稿を書いた記憶がある。京都市内の喫茶店で毎週会ってコーヒーを飲みながら議論して書き上げた懐かしい思い出がある。

 教員としてスタートしたこの時期に大先輩竹内先生(京都学芸大学教授)の指導のもとに夢中で研究し燃えていた時に書いたこの本は、今にして思えばたいした物でもないが、その時の情熱を思うと胸が熱くなってくる。京都大学の生理学の研究室で筋電図の機械と取り組み、人体解剖を見学して、筋肉のメカニズムを勉強し、キックで使う筋肉は?キネシオロジーとは何か?を毎日のように夜遅くまで議論した時代だった。

 指導者の資質を問う時,最近は何かライセンスだけが先走りして、手先の方法論ばかりを論じている様な時代になってしまった。本来はその人の持つサッカーに対する情熱とかビジョン、人間性から来る哲学があって、そこから生まれる指導力がコーチの資質と言えるのではないだろうか。そんな思いを込めて私の尊敬する指導者(3名)の名前をあげて見た。

 先ず思い出されるのが京都に赴任した時(昭和33年・紫光クラブ監督として)指導を受けた、前述した竹内京一先生(現在82歳お元気)湘南に赴任した時(昭和37年)にお会いした「デッドマル・クラマー氏」(今年で80才)。現在神奈川県サッカー協会の技術委員、現役の三村恪一氏(現厚木マーカス・コーチ)この3方が3指に挙げられよう。お三方ともにビジョンと哲学のある情熱家であり、プラス確固たる信念を持った理論家でもある。

 昨年の暮れ「古希」の記念に高校時代の仲間と京都旅行をした時にお会いし、懐かしく昔話をすることが出来て本当に良かった。竹内先生曰く「体育人は人の範となる生活をしなければならない」と今でも良く歩きしっかりと身体の手入れをしている様子が伺えられ、頭の下がる思いであった。

「クラマーさん」「三村さん」については又別の機会に書く事にしたい。

 さてその本「サッカーのキネシオロジー」についてもう少し説明をして見たい。一言で言えば基礎技術を「筋電図」により筋肉のメカニズムの分析とカメラの連続写真による技術分析、後はチーム戦術、2対1,3対1、3対2、4対2等の方法論と、それぞれのポジションについての説明を自分達の大学での経験した物を議論しあってまとめたモノである。

 取りたててどうと言う内容では無いが、40年以上も前に取り組んで書き上げた物としては非常に立派だとも思うし、何よりも現代サッカーに十分通用する内容である事も褒めたいと思う。当時はサッカーの技術を目で見る物が何も無かった時代である。そこで議論して書き上げた若き指導者の姿勢と情熱がこの本を見る度に伝わってくる。「私の一冊の宝物である」

 2006年の抱負は、ドイツW杯に日本サッカーがどの程度通用するか、どんな結果が出るのかと言うトップの問題に絡んで底辺の問題に取り組む我々の姿勢がどうあるべきなのかを論じてゆきたい。JFAが10年後の2015年には世界のトップ10に入ろうと言う夢を発表したが、私は本当の夢としか思えてならない。一番の課題である中心線・CF・CB・GKの問題が解決されていない。

 指導者のレベルが低すぎると言うと叱られるかもしれないが。熱心に指導していることは認めるが、世界のトップ10になるレベルの指導者が少なすぎる。前述したコーチの資質がもっと高くならなければJFAの言う「DREAM」宣言は夢としか言えないのではないだろうか。その一翼を担う立場としてもっともっと若い指導者に苦言を呈しなければ日本のサッカーの向上は無いだろう。

 特に「点を取る・問題」私は今のやり方が駄目だと言っている訳では無い。指導者がお互いにもっともっと研究し議論し指導法を捜し求めて、自分のビジョンがあり選手に慕われ尊敬されなければならないと思う。その中の一つとしてB級・C級等の講習会のライセンスは必要だと思うが、その上に個人の持つ個性ある指導法が加味されチームを作ってゆくと言う指導者の出現を願っている。「そこに良いストライカーが生まれてくるのだろう」

「倉岡先生2006年度・年賀状」

「鈴木 中2006年度・年賀状2種類」

「続中メール・NO7」

「学校スポーツの行方」          2005 ・11 ・11

 11月11日は「イレブンデー」と言い古くから高等学校のサッカー部ではこの日にサッカーのイベントを行なってきた。私の育った都立豊多摩高校でも、この日をサッカーの日として、今でも前後の休日にOBが集まりボールを蹴っている。そんな習慣は当時の指導者の提案で生まれたモノなのだと想う。

 私の母校の恩師が「広島高等師範学校」卒業生・理科の教師でサッカーを教えてもらった。幸いに東京で優勝して昭和28年には都の代表で西宮の全国高校選手権大会に出場した。当時の高校は師範学校卒業生の指導者が多かった。埼玉師範、広島師範、御影師範(神戸)、の指導者がその地方を強くしてきた。

 そして東京高等師範学校(後の私の母校である東京教育大学・筑波大学)の指導者が広く全国に広がり、学校スポーツの発展に寄与してきた。明治100年・日本のサッカー、スポーツは師範学校卒業の指導者により学校が支えてきた。そしてJリーグの発展とともに、これからの100年は「Jリーグ構想」にもあるように,社会全体でスポーツを支える時代に変わってきた。

 しかし現実の日本社会は学校が施設を持っているので「学校スポーツ」は無くならないだろう。ただサッカーのようにお金が潤滑な種目は「Jリーグ」の力を借りながら共存して行くことは可能だと思っている。学校スポーツには限界があるが、これを全て否定する考えは正しくないと思う。私は長い歴史のある学校スポーツを見直して行くようにして欲しいと願っている。

 私事で恐縮だが 私も11月3日に満70歳になった。最初の教え子達も「還暦」を過ぎ、多くは60歳からのシニアチームで元気にボールを蹴っている。大変結構なことで、湘南高校のOBチームが5チームあると聞いている。60雀、50雀、40雀、トトカルチョ、湘南クラブ、それぞれが正規に登録して公式戦を消化している。すばらしい活動だと思っている。

 「湘南高校」在籍28年間・直接サッカーの教え子が約500人、私の記録に残っているが、皆さんそれぞれの立場でボールを蹴っているので、JFAの言う「サッカーファミリー」を増やすことに、かなり貢献していると言えるだろう。中には自分の子供を教えることから始まり、そのまま指導者として熱心にチームを教えているオヤジがいるようなので、その人達の参考になるようなことも書きたいと思っている。

湘南在籍中の名簿

 更に私事で恐縮だが先日(10月10日)に「文部科学大臣生涯スポーツ功労者表彰」と言う大層なものを頂いた。私個人より「神奈川県サッカー協会」が高く評価され代表の私に授与されたと思っている。その事と合わせて「古希のお祝いの会」をOB諸兄姉が開いて下さるので、この紙面を借りて皆様に深く感謝の意を表したいと思う。心から御礼申し上げます。

尚ここで報告したいことが一つある。前回書いた国体選抜神奈川県代表選手だった48回生のGK瀬戸康弘君が1昨年胃癌で亡くなられた訃報が最近届いた。「国体少年の部」36年間の歴史に残る県選抜選手は「湘南高校」からは数名だったが、その中の第一号選手の一人でGKとして活躍した記憶がつい先日のような思い出として残っている。ご冥福を祈りたい・・合掌

 次に特筆する事は湘南サッカー部OBの中に「ドクター」が非常に多い事だ。先日41回生・黒沢君(チュニジア大使館医師)が一時帰国した折、丁度インターハイ予選の2回戦の日グランドに顔を出したので生徒達に紹介し話をしてもらった。選手達もアフリカ帰りの先輩の話を真剣に聞いていたようだ。他にも沢山医者として活躍し色々の形でサッカー界に協力して貰っている。

 43回・加納君(茅ヶ崎・自営・外科)47回・加藤君(茅ヶ崎・自営・内科)47回・佐藤君(鶴見歯科大・医師)48回・青木君(辻堂・自営 ・歯科)49回・安保君(大船・自営・内科)51回・高橋君(横浜市大・医師)52回・永富君(防衛庁沖縄駐屯地・医師)55回・鈴木君(相模原共同病院)59回・大沼君(山形徳州会病院・医師)等々他にもまだ沢山居ると思う。

 私のサッカーの原点は昭和28年に高校の時、東京都代表で西宮の全国大会への出場であるが、冒頭に書いたその時の恩師・今は無き太田先生「タさん」の熱心な指導が忘れられない。そして大学時代の監督が先日亡くなられた「太田鉄男先生」学者肌の先生でサッカーの理論を学ぶ事が出来た。又教師として湘南に来た時の出逢いが やはり今は無きサッカー狂いの「岩ブチさん」である。

 古いOB達は今でこそ悪口は言わないが相当にいじめられた記憶があるようで、あまり良い話は聞かなかったが、最近では「岩さん」の話は古き良き時代の大先輩の話として親しまれ良き先輩として「美しい思い出話」の多い過去の人になってしまった。それは個性の強い昔堅気のすばらしい指導者だった。

エピソードを挙げるときりがないが「昭和41年関東大会で優勝」した時毎日差し入れしてくれたパチンコの景品にまつわる話は思い出に残る逸話である。

 前にも書いたが私が湘南に赴任した年に当時の名物校長「香川幹一・校長」がおられた。全国高校サッカー専門部長、でサッカー狂いの校長で何が何でも勝たねばならぬ、「名物校長」だった。私の仲人でもあり、人生の師でもあった。このような指導者の元に繰り広げられた高校サッカーの世界は、歴史に残る学校スポーツの過去の産物とも言えるだろう。

 しかしこの事は過去の美しい話として記録されるよりも、良き指導者の元に良きサッカーが育つと言う話でこれからも良いサッカーは良い指導者の元に育つと言う歴史は決して過去の話で終わらずに繰り返されて行くと思っている。このHPのねらいはあくまでもこれからの良き指導者の為に役に立てばと思いながら下手な文章を書いているのでご理解いただきたい。

「今年最後の作品です。笑ってご覧下さい。」

「倉岡先生・秋の味覚・竹ペンの淡彩」

「私の作品・開港記念会館」

「文部科学大臣表彰状・銀杯とW杯優勝ブラジル ・サイン入りユニフォーム」

                (神奈川県 サ ッ カ ー協会事務所にて写す)

「続中メール・NO6」

「国体について」               2005・9・9

  国体が夏季大会になり、今年も9月9日「重陽の節句」が開会式になる。国体の面白いところは少年の選抜チームにどんな選手が出てくるのかを楽しみにしている。学校単位でなく、クラブ単独でも無く、名も無き高校からの選手等、チームが強くなくても個人の力のある選手が発掘されてくる楽しみがある。

来年の61回兵庫大会から少年選抜のチーム数が少なくなる。関東地区代表が4チームになり、全体で24チームの大会となる。その上年齢が16歳以下とする年齢区分変更案がまとまったようだ。これに伴い中学3年生の参加が認められ、国体少年の部は高1と中3になり、高2高3は成年への出場を認めることになるようだ。(中・高の指導者はどう対応するのか見ものである)

 過去の国体の記録を見ると、少年選抜で活躍した選手がその後も色々な形で「地元神奈川」へ恩返しをしている。有難い事である。Jリーグの選手として、日本代表選手として、指導者として…名前をあげるとかなりの数になるので有名人だけにするが、古くは「植木」「早野」「小柴」「戸塚」「都並」「俊輔」…と名前が出てくるが最近の選手の名前は直ぐに思い浮かばない。

 昭和45年「1970年」に国体少年の部が「選抜形式」になり今年で36回目になる。記録を整理すると、優勝・2回・準優勝1回・ベスト4・1回、関東予選敗退・3回、が残っている。後は本大会で1・2・3・回戦敗退が例年の記録である。全国優勝2回は高く評価されて良いと思う。今年の大会は一つの区切りになる。どんな結果になるか楽しみである。(国体少年記録・S45年〜

 国体選抜から日本代表になった選手は数多くいるが最近の選手で超一流選手はやはり、W杯アジア予選を勝ちあがった選手の殆どがどこかの県代表として活躍してきた。特に中心選手の中田、中村、稲本、小笠原、小野、柳沢、等は高校年代で際立っていたと言えるだろう。

これからはもっと低年齢化が進み 中学年代で代表候補などと言われ外国並みに15,6歳で騒がれる選手が出てくるだろう。ただ色々な組織で急激に変化するとついて行けない者も出てくるので、あまり急いでは事を仕損じることがあるので、じっくり腰を落ち着かせて強化策は考えて行くべきだろう。只国体がU-16になると今まで以上にクラブの選手を使うケースが多くなるだろう。

神奈川県の選抜選手で大学に進み指導者として県に戻ってきた選手を先ほどの記録から拾い上げてみると10数名の先生方の名前が挙げられる。そして戻ってきてそれなりに、自分のチームを強くしているケースが多く、桐蔭・逗葉・大和南・武相・氷取沢・港南台・湘南台・市ヶ尾・港北・瀬谷・霧が丘・新栄等々顧問の先生の名前が思い起こされる。

 さて高校生年代ユース各県選抜最後の「国体」が「岡山県」で開催されるが、夏の関東ブロック予選で「東京」「埼玉」「神奈川」「千葉」「群馬」「茨城」の6代表が決まり「栃木」「山梨」が代表権を逸した。神奈川県代表は今年も「F・マリノス」中心のチームでJユース11名、高校5名、の編成でかなり力のあるチームが出来たので、結果が楽しみである。

2年生以下で行われているU-17のリーグ戦が合宿後直に行われた。湘南高校の結果は対隼人高校に2−0、対港南台高校に0−2で、対OSAに2−0の勝った試合と合わせ2勝1敗で夏の試合は終わった。対港南台高校との試合の敗因は幾つかあるがハッキリしているのでここには書かないが、残り試合を大事に戦い是非1部への昇格を実現して欲しいと願っている。

さて今回は広島の倉岡先生が2次元「絵画」の世界から3次元「彫刻」の世界で入選されたので、その作品と海外旅行のスケッチを紹介したい。私はまだまだ3次元どころでなく「絵」にならないところで苦労をしている。この夏は勉強のため「漁船」や「ヨット」に挑戦しているが細かいデッサンが難しく非常によい勉強になっている。

 ちなみに何が勉強になるか?描いて見ると新しく発見することが沢山ある。

例えば「遠洋・8人乗りのヨット」のマストは何処に立っているのか?ポストを支えているワイヤーはどんな仕組みになっているのか?等々ただ外から漠然と見ているのでは正確なものは描けない。絵を描くことは今まで見ていなかった世界をしっかりと見つめて再発見することが沢山あると言う事である。

 そして絵の難しいところは「遠景」の描き方で、遠くの景色・建物・人物は良く見えないのでついつい手を抜いてしまう。近景は見えるので見たままを描くのでそんなに難しくはない。近景・中景・遠景と欲張りすぎると素人は思うように行かない。絵を描くと言う事は大変な作業だと気がつき最近壁にぶつかっている。いや己の才能の無さに気がつき出したと言う事かもしれない。

1、「倉岡先生・ネンリンピック・群馬県知事賞受賞作品」

 長い間、サッカー競技の選手・指導者として過ごしてきましたが、試合に勝った時の感激、感動は何物にも代え難い至福の瞬間です。退職後に彫刻をはじめました。この歓喜の瞬間を何時かは彫刻で表現したいと思っていました。この度の作品は、若き高校生選手の勝利の表現です。(倉岡)

2、昨年ヨーロッパ旅行スケッチ

 

3、茅ヶ崎漁港〜江ノ島

 

4、江ノ島ヨットハーバー

「続中メール・NO5」

「現役の(菅平)夏合宿報告」          2005・8・8

 今回は特別号として現役の「菅平・夏合宿」の報告をしたい。例年湘南の夏合宿は校内合宿(清明会館)と決まっていたが、昨年から涼しい「菅平・合宿」に切り替えた。宿舎も冬のスキー教室で使っているホテルなので何かと便宜を図ってもらい、非常に良い環境で4泊5日の「涼しい高原で、全て良芝」での合宿生活は快適なものだった。

合宿報告の前に「冬の高校選手権一次予選」の報告をしておきたい。夏休みに入り大会は行われ、結果はすでにHPでご存知だと思うので簡単に述べたい。1回戦藤嶺藤沢、2回戦弥栄東、3回戦平塚学園、に勝ちブロック決勝で厚木北高に0−3で敗れて3年生の夏は終わった。残念な結果であったが3年は胸を張って卒業できる選手生活だったと評価している。只一人GKが大会前にして引退してしまったのは痛恨の極みであった。

 さて大会が終わった翌日から夏の合宿計画をしていた。当然選手権の2次予選に向けての合宿予定であったが、急遽新チームの次の準備の合宿に切り替えられた。OBの参加は79回生(鈴木・岡本・高橋)63回生(須藤)そして顧問の先生2名と私の7名のスタッフで、良い環境で良く食べ、良く眠り、内容の濃い合宿が出来た。私も久し振りに4泊5日「孫のような選手」と寝食をともにして若返ったような気がした。

合宿内容は7・31・朝7:00学校出発→11;30「菅平・ エ ー テ ゙ ル ホ テ ル」着、午後練習、夜トレーニング、8・1朝・午前・午後・夜練習、8・2朝・午前練習、午後大原学園練習試合(1−3負け)、8・3朝・午前練習・午後・対城北学園(東京ベスト16)(A戦、1−0勝ち)8・4朝・午前練習・午後2時宿舎発→学校着20時解散。4泊5日で「朝・昼・晩の練習」と練習ゲーム2試合の盛り沢山の合宿であった。

練習ゲーム1戦目対大原学園( ス ホ ゚ ー ツ専門学校)は年齢が20歳以上の大人のチームで結果は1−3で敗れたが、大人の相手と対等以上の試合展開で内容は非常に良かったと言えるだろう。2戦目の城北学園高校は東京の強豪高で3年生が入ったチームで、この戦いは得点差以上のゲーム内容で選手たちはかなり自信を持ったように見受けた。

この後夏休み中に行われるU-17の2部リーグ戦が次の大きな目標であり、1部昇格を目指した合宿の成果を期待したい。

練習環境が良くなりパス主体のボールコントロールの練習が中心だったが、特に新しいものではないが、1対1, 2対1、2対2、3対2、4対2を良芝の上で行う練習でボール扱いの上達は当然のことでブレイン・アイディア・想像力の向上のためにはかなり役立っていると思われる。練習を見ながら湘南の今の選手は本当に幸せだなと思った。

現役選手もこのHPを見ていると思うのでパス回しのアイディアについて少し私の考えを書いて見たい。何が良いパスかと言う質問に対して私の答えは「理にかなったパス」と言いたい。即ち「ショートショート・ロング」の組み合わせ「縦・横・斜め・バックパス」の組み合わせ「緩急・スロ−スロー・クイック」の組み合わせ「ダイレクト・ワンタッチ、ツータッチ」の組み合わせ、これらを瞬時に判断するアイディアが要求され、横で見ている指導者が「ウーンそれで良し」と言えるパスが良いパスなのだろう。

練習を見ながらこの文章を書いているが、4日目のパス回しの練習、昔のホーメーション練習、ポジションについてのパターン練習で2年生の選手達が考えようとする姿勢が見えてきて清水先生の要求する事が少しづつ理解されているようなので、このチームは楽しみであり、今の時期にこれだけの事が要求できるので、これからのU―17のリーグ戦、そして来年に期待できることを報告したい。

良い選手の条件で何か一つは出来るが他は全く駄目な場合は、出来る物が飛びぬけていれば合格だが、日本人には出てこないケースであろう。そこで選手達に言いたいのはミスの少ない選手の集まりならば組み合わせで良い仕事が出来ると言う発想を全員が理解して望めば凄いチームが出来る筈である。それがサッカーの面白い所でその味が解かると「サッカーの麻薬」に犯され70才を過ぎても止められないスポーツなのだ。

ここで新1年生の事も報告したい。今年から変わった全県1区の学区撤廃のあおりを受けて学区内75%が50%に変わり、生徒の質が大幅に変わってきている。即ち今までの学区内(鎌倉・藤沢・学区)の優秀なサッカー選手の入学が困難になり全県からサッカーもやる優秀な?選手が入学してきた。この合宿でいきなり中学生が高校サッカーの仲間入りをし、1年生全員が大人の扱いをされて、かなり戸惑っていた様だった。

今回は「お絵描き」の時間が少なく、グランドの景色一枚しか無いので、合宿中のスナップ写真を何枚か掲載して見た。集合写真、練習風景、最終日の焼肉パーティー、早朝練習、グランドの芝の整備、どれを見ても「爽やかな景色」と「良い芝生のグランド状況」は覗えると思われるので、OB諸兄姉も是非来年の夏の合宿に差し入れにでも来てくれる事をお願いしたい。

最後になるが現役の成績が、ぱっとしないので色々外野からのご批判があるが、現代の学校スポーツの危機が叫ばれ、すべて「社会体育」「Jクラブの世界」になってしまうだろうと言う考えはあるが、明治100年から続く「学校スポーツ」は日本のスポーツの源流であり、「湘南高校サッカー部」は不滅だと言う考えもしっかりと根付いている事もここに声を大にして申し上げて筆を置きたい。(別の機会に又書きます)

「添付写真・説明」

1、 集合写真 2年生23名 1年生16名 先生2名 OB 3名

2、 ホテルの所有するグランド風景・スケッチ(エーデル・ホテル)

3、 練習風景(朝のヘディング)

4、 練習風景(午前パス練習清水先生の説明)

5、 練習の最後に芝生の補修

6、 最終日夕食風景(野外バーベキュー)

「続中 メ ー ル・NO4」

「サッカーの解説者に想う」          2005・7・7

  今年もこれで4回目の原稿になるが、二ヶ月に1回「月日」の数字の重なる日即ち「・・節句」に出すようにしている。今回は「七夕」である。Jリーグが開幕して4ヶ月過ぎ長期リーグの約半分が終わった。年間34回行なわれるリーグ戦はどうなるのか心配していたが、地域密着と言われる「七夕で有名な平塚・湘南」がぱっとしないので。あまり興味が湧かない。

 テレビの解説者にこれは素晴らしいと思える「サッカー解説者」が欲しいといつも感じている。名前は出さないが、タレント化された解説者の放映は音を消して見ることが多い。結果論でものを言い、「ウーン・良し・素晴らしい ・残念・危なかった…」こんな言葉しか発しない解説者ばかりである。

 春の選抜高校野球の解説を聞いていたら「これは良い解説者だ」と感じた事があった。プロ野球の解説者の多くは「良い流れですね・良く鍛えられていますね・・」だけかと思っていたら、この解説者は局面局面で我々素人にも解かるような、また子供達にも理解できるような、適切な解説をしていた。

 「良く教えられていますね」をどのあたりが教えられているのか「ボールを正面で捕球する・・内野手は低いボールを投げなさい…選手同士の動きのカバーリングは・・」又「ボールの捕球は両手で捕るように・・バントの処理は正確に ・ ・このケースはこうすべきだと思う」と言うように観ている者にとっては噛み砕いて言ってくれるので、非常に解りやすい親切な解説であった。

 サッカー冬の高校選手権大会の解説者もタレント有名人はもう結構、高校の指導者が日頃苦労している立場で、子供達に解り易く解説する人が欲しいと思っている。「このくさびのパスは弱い ホ ゙ ー ルでは駄目です。受け手の体制が相手の体を抑え正確に味方に落とせなければ駄目ですね。その ホ ゙ ー ルを外にダイレクトに開いてセンターリングを入れる・・・・日本代表チームも同じですね」

 局面局面でこの場合はこうすべきだと思います。と言い切るような解説が出来る人が欲しいと何時も思っている。解説者に神奈川県出身者が最近特に多いので何時も不満ばかりで彼等に今更言っても直るわけでもないので、諦めてはいるが、会った時には苦言を呈している。是非解りやすい解説者の出現を実現したいと願っている。

さてJリーグの前半戦を見ると 鹿島・が予想どおりの成績で飛び出したが「浦和レッズ」が出だしで足踏みをした。昨年良かった「レッズ」が前年度と同じやり方では今年は通用しない、プロの世界では当然の話だろう。ましてトップの「エメルソン」に頼りすぎる単純なサッカーでは彼の調子が悪ければ駄目なのだろう。彼の状態が良くなり点を取るようになり成績も上がって来た。

どのチームも「カタカナ」の選手ばかりが活躍し日本人選手が汗かき役では人気が持続しないのでは無いかと心配しているが、今年もこの状態に変わりはなく日本人で金の取れる選手は僅かしか見当たらない。世界市場が目をつけて人買をしているが、海外で通用する選手があまりにも少なすぎると言う正しい評価をしないと、世界から取り残されてしまうのではないだろうか心配である。

 さて今年も4回目のこのメール通信に添付する「絵画」も進歩の後があまり見られないが、あきらめずに天気のよい日で時間のあるときは「海岸」に出て筆を動かしている。あるプロの画家に「あなたの絵を見ると元気が出てきます」と言われ、多分褒めようが無くて言われたのだと思うが、人のおだてには乗るものだと言う気持ちで、副題を「感謝・元気」と名付けている。

 私の絵から「元気の気」を感じてもらえば本望である。健康でないと絵を描く気力は湧いてこない。また描いた作品に「明るさ・健康・元気」は表現できない。多分歳のせいだろう、最近は古い話を思い出しながら筆を動かしている事が多くなった。今まで世話になった人達に「感謝」の気持ちを持ちながら描いたものが最近の作品である。(広島の倉岡先生の作品と比較して下さい)

 五月中旬に始まった「全国高校総体・県予選・湘南」の結果はすでにHPでご覧になっていると思うが1回戦・不戦勝、2回戦は「対麻生高校」に3対0の勝利,3回戦で「秦野南が丘」に0対3の完敗であった。やはり点を取れる選手がいないチームは勝ちあがれずに涙を飲んだ。ベスト16で行う2次予選が一つの目標だったが、紙一重の実力差をどう解決するか次の課題であろう。

 6月25日に県の代表「弥栄西」「桐蔭」の2校が決まったが夏の本大会での活躍を期待したい。やはり上位グループ(プリンスリーグ)での経験が物を言っているような結果になった。前回にも書いたが「湘南」は既に新チームで次の大会「冬の高校選手権神奈川県予選」に臨むことになっているが、7月23日から始まる一次予選を何としても勝ち上がってもらいたい。期待しよう…

「続中メール・NO3」

「現役の活動状況」               2005 ・5・5

 今年も筑波大学付属高校との定期戦が3月12日にアウェーで行われた。大会の記録を見ると今年が58回大会になる。57回の記録がすべて整理されていたが湘南の25勝20敗12引き分けで 、私の在籍28年間の記録は11勝9敗8分けになっていた。何時も楽勝だったと思っていたが、意外と拮抗した記録が残っていた。(大会記録別紙記載)

 色々な理由があるのだろうが「試合への取り組み方」が年によって違い、このような記録になっているのだろう。今年は湘南が2−0で勝利を収めたが内容は今ひとつ物足らなかった。第1回大会から全て整理された付属OBのご苦労に感謝したい。試合後の「交歓会」も例年どおり和やかに行われ卒業後社会に出てからも繋がりがあるようで結構なことだと感じた。

 さてもう一つの「浦和」との定期戦が途絶えて2年になる。何とかして再開したいと思っているが当然OBもある訳だからやる方向で検討したい。今後は公式の試合とは別に「定期戦」を大事にすべきだと思う。他の種目は中止してもサッカーだけは続けるべきだろう。このような素晴らしい事業が過去の苦労も知らない現役の職員会議で簡単に中止してしまったのは情けない話で、スタートもサッカーだけで出発したのだから、是非再開を進めて欲しい・・・

 彼岸の連休の時期に「時の栖」芝生グランドで、清水先生・大学の同窓仲間の学校が12校集まり「桜フェスティバル」が行なわれた。結果は5,6位だったが、試合内容は良かった。昨年の県代表「淵野辺」に0−1で敗れしまったが、かなり期待の持てる試合運びだった。勝負強さが今後の課題だろう。

 静岡県での練習試合に多くの保護者が応援にやってくる。勿論休日の湘南グランドでの試合にも沢山のお母さん・お父さんが応援に来るが他の学校の様に差し入れだ、接待だと出てこないので助かる。親は遠くから静かに子供の応援をするのが子供にとっても、指導者にとってもベターだと私は思っている。

長い冬のトレーニング期がやっと終わろうとしている。春休みの校内合宿は3月末に 快適な「清明会館」で総勢47人が内容の濃いキャンプをおこなった。練習試合も高校のチームと3試合、・対秦野高校・逗葉高校・逗子開成高校と対等の試合内容で非常に成果が上がったと思う。その後神奈川大学とも試合をしたが、イマイチ勝負強さが出てこなければ県の予選は勝てないだろう。

 新人の入試状況はまだ新入生は仮入部と言う立場ではっきりした事は発表出来ないが 4月中の練習への参加状況から想像すると あまり期待できる選手が入部して来ていない様だ。全県一区で学区が取り除かれた影響で湘南地区以外から良い選手が来ると思っていたが、今年は期待はずれかも知れない。

今年は指導者が「清水先生」一人なのでBチームまでなかなか手が回らない幸いに79回生(鈴木・慶応大学理工学部二年)がコーチを手伝って貰えるようなので、週二日程来て貰いサポートしてくれる事になった。僅かであるが交通費程度の謝礼はして欲しいと思う。会計担当宜しくお願いします…

 BチームもU‐17のリーグ戦があるので、2軍と言う考えでなく、こちらも学校代表のチームとしてリーグ戦を戦う貴重な試合をやっている訳で、この試合も大事にしなければならない。このリーグ戦は1部〜3部まであり湘南は現在2部に所属しているが是非1部に上がって欲しいと思っている。このリーグ戦が関東のプリンスリーグにつながっている大会である。

 JFAプリンスリーグも開幕した。関東地区は20チームでA・10・B・10チームの総当りリーグ戦で順位を決める(神奈川県は・横浜FM、桐光・桐蔭・弥栄西)の4チームが参加している。ここに参加した高校は関東高校大会には参加しないので、関東大会はBランクの大会になってしまった。歴史ある大会だがこれも時代の流れで致し方ないだろう。(協会HPを参照)

3年生全員の最終目標は「夏のインターハイ」であり、今年は5月中旬から始まり敗れてしまうと、多くの3年生がこの時期に引退になってしまう。勿論冬の選手権大会を目指す選手が数名はいるが多くの選手はここで下級生にバトンタッチする訳だが、余りにも早過ぎる なんとしても寂しき限りだ。

今年は関東大会予選に出られないという寂しい年になってしまったが、現役諸君は此の事を謙虚に受け止めて貰いたい。指導者の清水先生にとってはこの春(3月・4月)は非常につらい時期だったと思う。始めて味わうこの試練を次に生かして欲しいと切に願っている。夏の総体予選の組み合わせはサッカー協会のHPを見て下さい。OBの応援をお願いしたい。

「時の栖」で試合の合間に御殿場側のグランドから見た勇壮な「富士山」をスケッチしたが、葉書大の大きさで「富士の雄大さ」はなかなか表現できなかったが、生徒の遠征試合記録として見てもらいたい。最近は「ペン書きデッサン・淡彩絵の具」で描いているが、これも広島の倉岡先生の作品と比較すると私のお粗末な作品が直ぐ解かってしまい、悔しい思いをしている。

「続中メール NO2」

「W杯アジア地区最終予選」            2005・3・3

「日本対北朝鮮」この試合の前に「対カザフスタン」「対シリア」の2試合を快勝して本番に向ったジーコジャパンの大方の予想は3−0位で楽勝では?と言う希望的観測が多かったようだが、私は死ぬか生きるかの本ちゃんはどうなるか解からないと予想していた。“敢えて言うならこれは戦争だ“

 私の知人の「相川亮一君」が試合の前日 メ ー ルをくれた。彼の予想は多分勝つだろう「しかし勝負はやって見ないと解からない」…と大方私の意見と変わらなかった。即ちサッカーの勝負を経験した人間ならばグランドの技術論とは別に国際試合の戦い方「本質論」から勝負を見る楽しさがあるのだ。

 結果は2 ・1であったがこれは負けに等しい勝ち方だと思っている。多分相手方首脳陣もこの結果なら良くやったと、内心思っているのではないかと想像している。何故なら次のホーム・ピョンヤンでは勝ちに行くのは至難の技だと言っても良いだろう。戦争を知らない子供達に理屈を説明するのは難しい…

 日本での試合では相手を傷つけるようなハードタックルは出来ないが、ホームでは「俊輔君」「小野君」「中田英君」「高原君」かなり痛めつけられるだろう。生き残れるのは中田ぐらいで後は名誉の負傷で「残念ながら…」と言うのが試合前私の心配事である。それよりピョンヤンで試合が出来るかどうかを心配している。

 しかし第1戦は「中村・高原」しか呼ばなかったジーコの思惑は些か頷けない点もあったが、格の違う彼等二人の働きは素晴らしかった。勝てば官軍ジーコジャパンは順風満帆…上手く行く様に見えるが、やはり最終予選のプレッシャーは大変な道のりになって来た。

 前半3試合の予選結果で勝ち点を7点取れば、首位でのアジア地区B ク ゙ ル ー フ ゚の代表権獲得は濃厚だと言えるだろう。そうなれば立派だと書きたいが、アウェーイのイラン戦が先ずは大きな山場になるだろう。この試合は引き分けでも良い、ホームの「バーレーン」戦に勝てばと言う大方の評論家の希望的観測は果たしてあるのだろうか?

 バーレーン戦の81万倍と言うプラチナチケットは入手困難だが、今からドイツの本大会を冥土の土産にと密かに計画を練っている。美味しい話があったら是非教えて欲しい。皆で応援に行きたいものだ。

 ここで少し現役の状況を報告しておきたい。前回も書いたが暫く公式戦が無いので練習試合を中心にじっくりとチーム作りに専念する予定だ。春の合宿は「校内」で行い,大学や社会人チームの胸を借り、夏は涼しい「菅平」で成果を上げようと言う計画である。生徒達もその辺は理解して「総体予選」「選手権」へと目標を絞って練習に臨んでいるようだ。

 前回報告したが正月に亡くなられた「39回・鈴木俊邦(小学館編集長)」の「偲ぶ会」を2月末に同期「小杉・山宮・小泉・岡本・飯田・その他同級生(直林・石田)2名」が集まり旧交を暖める事が出来た。テレビでお馴染みの岡本行夫氏・セコムの飯田志農夫氏・元議員の小泉氏は多忙な中で時間を作り参加してもらい、40数年振りのご対面で久し振りに話が出来て大変懐かしかった。

 この代は私が湘南に赴任した時の新入生で、最初の3年間を教えた時の卒業生になり古き良き時代で「西宮の全国大会」「秋田国体・岡山国体」等昔の話に花が咲き、今年還暦を迎える彼等の記憶が蘇り 時間を忘れて高校時代に戻り、遺影だけで参加した「俊邦」も草葉の陰で喜んでくれただろう。

 次の日が49日になり駿河小山の菩提寺「十輪寺」で法要・納骨が行なわれたと山宮君から報告を受けた。奥様からも皆様に宜しくとのことだった。合掌

  さて最近燃えている「絵画の世界」は大分進歩の跡が見えると人様に煽てられ、その気になって数をこなしているが、やはり私の師匠格「広島の倉岡さん」の作品と比較すると大分見劣りするが、「自分流」を貫いて結構楽しんでいるので自己満足して「茅ヶ崎の海岸」で筆を動かしている。

今年のテーマは「湘南の海」(江ノ島・烏帽子岩・富士山・漁港・ヨットハーバー・波しぶき…)を沢山描こうと思っている。 生意気に少し絵に関する自己主張をさせて貰うと、確かに難しい世界だが「難しいから挑戦するのだ・・」聞いたような台詞だが描いていて楽しい。

只少し解かってくると「海の色・波の描き方・空・雲・山並み…」とだんだん難しい世界が広がってくる。そして壁にぶつかるのかも知れない…

 今は毎日が明るい 上手になりたいとは思うが、心豊かに楽しく描くことが出来ればと思っている。それが毎日の生活の活力になり グランドに出て大声で教える元気も出てくる ピンピンコロリ死ぬまで元気を心密かに願っている。そんなに甘い世界では無さそうだがその時には又人様の力をお借りするようになるかも知れない…皆さん宜しく頼みます…中爺

「続・中メール NO1」

「2005・年頭の挨拶」           2005・1・11

  寒中お見舞申し上げます。今年も宜しくお願いします。

中 メ ー ルを中断したら、何とかもっと続けろ言うOB諸氏のご要望に答えて、1年間に3〜4回死ぬまでに50回ぐらいは書けるだろうと思うようになりました。先ずは賀状を頂いて返事を書けなかった諸氏にこの紙面をお借りして年頭の挨拶とします。「別紙の寒中見舞」で勘弁して頂きたいと思います。

 私も今年は「古希」を迎えます。昔の70才は「古き稀だ」と言われましたが、現代は当たり前になってきました。我が「鈴木家」の家系は祖父も父もそして「ガンブチ」さんも70才で他界しているので、私も目標を70才に置いていましたが大台を越えられそうなので、次は「喜寿」を目標にしたいと思っています。そんな訳で後50回位は書けそうだと思って、続編を書くことにしました。

 さて新年を迎え「元旦」早々に何時もの年と同じように茅ヶ崎の海へ「初日の出」を見に行きました。下の写真がその時のモノです。今年はご来光は無理でしょうと言われていましたが、幸いに6時50分雲が晴れて素晴らしい湘南の海の「初日の出」を、見ることが出来ました。色々祈る事がありましたが…77才まで何とか元気に「湘南の海を描きます」と祈りました。

 自分の事はこの位にして「湘南の現役」はどうでしょう…清水先生は始めて新人戦で湘南地区の予選を突破できず相当のショックだった様です。しかし今は新人戦も関東大会もタイトルの価値が薄れ「高校総体」「選手権大会」「高円宮選手権大会」「U―17リーグ戦」がメインの大会になっているので、気持ちを切り替えて、5月まで腰を落ち着けてチーム作りをする事になりました。

 さて今の湘南高校の選手に足らない所は何か…一言で言えば「我慢すること」「考える事」「創造する事」そして「人の言う事を理解しようとする努力」だと思っています。だから訳の解からない「近所の爺」が言っているサッカーに関して、聞く耳を持たせることだと、グランドに出てわめいているわけです。

 暮れの30日「晦日会」44回生の集まりがありました。桑本卓,小泉治子、小杉勝実、橋本広和、本城勇介、溝口一朗、坂部治郎、そして他の運動部のメンバー数名、懐かしい仲間と再会しました。頭は薄くなっていましたが高校時代のそのままでした。サッカーの話に目を輝かして夜の更けるまで付き合いました。他の学年も是非集まりには誘ってください。飛んで行きます…

 年が明けて8日には「50回生合同大同窓会」卒業30周年を記念して、9クラス合計300人を超える盛大な会(東京會舘)に参加させていただきました。

素晴らしい記念品を頂き、この紙面を借りてお礼申し上げます。この代のサッカー部のメンバー12人中外国にいる永井君を除き全員に会う事が出来ました。

 次の日9日の「蹴球祭」は天気に恵まれ1日グランドで楽しくボールを蹴りその後は各年代に分かれ美味しくビールを飲みました。何と行ってもこの日の秀逸は81才の超OB戸沢さんが現役生徒の前で歌われた「湘南サッカー部歌」(岩淵先生作詞・鏑木先生作曲)はもの凄い声量と美声は素晴らしかった。

「39回・鈴木俊邦君・ご逝去」

 この日の朝胆嚢癌で無くなられたと訃報が届きました。数年前胃癌の手術をして一時回復し2002年の夏「小杉・山宮・俊邦・私」の4人で福島へ「快気祝」のゴルフをしたのが最後になってしまいました。仕事は小学館の編集長としてその道では第一人者だったと聞いています。ご冥福をお祈りします…(合掌)

 元旦に天皇杯の決勝戦の前、JFAの川渕キャップテンが「DREAM」と国立競技場で「書初め」をしました。私は太い筆で「夢」と日本語で書いて欲しかった。1月4日に湘南の現役が練習始め「初蹴り」をしました。.その時に目を輝かせて私の話を聞いてくれた選手たちに次の言葉を送りました。

 「志」サッカーは武士の心、即ちクラマーさんが言った「大和魂」です。もっと砕いて言うなら、十一人の心が一つになることです。そしてチームになる事です。それが「湘南魂」と言うのか知れない…そして超OB達が望んでいる「ガンサン」の作った歌を優勝して大声で歌いたいですね。

 今年三 ツ沢グランドに「広島観音高校」が初出場で頑張りました。名門の旧制広島二中です。彼らの横断幕が「二中魂」と書かれてありました。何時の日か「湘南魂」と書かれた横断幕を三 ツ沢のスタンドに掲げる日を期待しましょう。

 今年も昭和40年代に湘南におられ、広島国泰寺高校に転任された倉岡先生からの年賀状を載せさせてもらいました。私の「絵」の先生です。この位に描きたいですね・・私の物と比べるとやはりプロとアマチュアの差は歴然としていますね。私は「絵」を描くより未だ「恥」を描く事が多いようです。

「第83回全国高校選手権大会」    2004・12・30〜2005・1・10 

 やはり正月早々のこの大会が私のサッカーの原点です。予想はシードされた「国見」と「市船」と見るのが順当だと思いますが、日本の高等学校サッカーも時代の変化とともに変わってきました。留学生選手(ブラジル等・南米)の活躍、Jリーグ(ジュニアユース)卒業生の活躍等々の理由で…鵬翔(宮崎)・多々良(山口)鹿児島実業・星陵(石川)…がベスト8まで勝ちあがりました。

 レベル的にはかなり力の差を感じますが、今年は高円宮杯で決勝に行ったJユースの広島ユース・ジュビロユース・その他Fマリノスユース等と比較すると能力的にはJユースの選手のほうがかなり上だと言えるでしょう。それは当然の事でJのチームのある地域では子供の頃からサッカーのエリートで選抜されて育った選手は皆Jのユースを望み、そこに進んでしまいます。

 そんな訳で予想通りの準決勝は「国見-鹿児島実業」「星陵-市船橋」になりました。色々な批判はありますが、高校を制する為の戦いに臨んで「武器」を持っているチームが勝つのが世の常です。スペースに蹴る走る・個人技術で勝負する、そしてがっちりと守る。

 面白くないと言われていた「国見」を破り延長PK戦で「市船橋」を破った「鹿実」が、何枚かのエースの活躍で全国を制しました。おめでとう御座います。 技術の問題・戦術の問題・高校サッカーには多くの課題が残されました。又ゆっくりと書かせてもらいます。何とPK戦を戦った両チームのGKが神奈川県のマリノス・Jrユースの選手だったことを付け加えます。

 2005・元旦の初日の出「茅ヶ崎海岸」

「寒中見舞」

「倉岡誠親氏・年賀状」(先生の許可を貰ってあります)

「私の年賀状」(スペイン遠征合宿・生徒宿舎)