シニアリーグとの関わり

(審判活動を通して見たシニアサッカー)          
シニアチーム  渡 嶋 九 洲 夫
 

だいぶ古い話からになるが、シニアリーグとの関わりの前に、私とサッカーとの出会いから紹介しましょう。
昭和24年(1949年)鎌倉第2小学校6年生のときのこと、鎌倉師範(現横浜国大)から教生としてこられた一人の実習生と出会いサッカーを教えて貰ったのが、私のサッカー人生の始まりである。以来54年間サッカーと付き合っている。

鎌倉学園中学校時代は、ペガサスシニアの伊藤貞夫氏と県大会等で一緒にプレーしてきました。その後、湘南高校を卒業した後、フェニックスというチーム(卒業同期の11人プラス何人かの湘南卒業生で編成したチーム)でプレーし、昭和37年(1962)(株)山武(当時は山武計器M)に入社、2年後にサッカー部を作って、プレーする傍ら、審判を同時にやってきました。山武における現役を卒業し、ペガサスに入団を申請したところ、故人の大内氏から、これまた故人の松浦大先輩から藤沢四十雀から指名があったということで藤沢四十雀に参加することになりました。ペガサスに移籍したのはそれほど昔ではない。

審判活動としては、鎌倉学園の先輩手塚健一氏(後の国際審判員)の指導を受け2級審判になることが出来、山武のチームが関東リーグに所属していた頃は専ら審判員として、関東大学リーグ・旧日本リーグ・関東社会人サッカーリーグの審判員に専念してきました。

審判で一番大切なことは競技規則を正しく適用することでありますが、1〜17条ある競技規則の他にもう一つ『18条』を適用することが重要、かつ大切と教えられ、自分でもそのとおり実行しています。
このことを念頭に、一般常識(コモンセンス)に属する部分を、そしてシニアリーグでは特に、選手の体力の衰え、反射神経の後退を考慮して、判定を前倒しにするように心がけています。

ある年度末の納会で、シニアリーグのある人から、この人(私のこと)は神奈川シニアリーグでもっとも厳しい審判だといういうことを酔った席で指摘されたことがあります。しかし選手皆さんの体力・身体能力を考えたとき私は間違っていないと確信しています。
会員諸氏のプレーにおいて、この辺りについての理解と自覚が深まる事を期待しています。
              

(長くシニアチーム渉外を担当 審判員としても奉仕 昭和30年 湘南高卒業)

【筆 者 注】
[18条について]
1〜17条を、試合の中で適用するにあたって、選手の年齢層に見合った適用の仕方をすることが大切です。小学生・中学生のチームに対しては教育的な立場での適用の仕方、高校生以上シニアになる前の一般チームの試合に対しては厳正(激しいプレーと汚いプレーを見極めて)速い展開のあるゲームに対応すること、シニア以上のチームのときはケガの直りが遅くなることと、体力の衰えと反射神経の後退を考慮してレイトタックルの防止やショルダーチャージなどの程度を考慮した対応が必要です。

[判定の前倒しについて]
シニアの試合では、18条の項でも触れたとおり、体力の衰えと反射神経の後退によって、その選手が意図していないであろう反則が目立つようになります。試合開始の早い段階で、そんなプレーをすると反則として『笛を吹くよ』ということを、選手に理解してもらう必要があります。

軽い反則であったとしても、若いときはアドバンテージを採用してプレーを続行させた方が良いケースでも、シニアの試合では、反則を受けた選手の体力を考慮して、他のカテゴリー以上に厳しく競技規則を適用することが大切と考えて実行しています。この目的は、少しでも長く選手生活を続けて欲しいからです。

                                              以上