監 督 の 記

平成11年シニアチーム五十雀リーグ監督
                                         山 本  豊

昨年のワールドカップは、私なりに大いに興奮もし、楽しませてもらいました。Jリーグ発足以降、日本でのサッカー熱も上方で固定、安定化したように思います。
今日のこのサッカーの興隆の基を築いたのは俺たちだという気持ちを、我々は一様に持っているのではないでしょうか。私なども、ささやかだけどサッカーの種まきもやった、という気持ちがいまだに抜けません。おまけに「この歳になって朝早くから、サッカー用具一式をかついで、いそいそと出かけているのです」という話をなかば得意になって、人様に吹聴したりして、まったく・・・・・・、というところです。

 私に言はせれば、ペガサスシニアーの仲間は全員私以上のサッカー狂で、サッカーに関する知識全般は言うに及ばず、ワールドカップクラスの試合分析から戦術解説まで、更には選手個人の特性、能力にまでおよび、まさにサッカーに関しては免許皆伝、脱帽という面々と言えましょう。ただし、この知識、戦術と自分たちの試合とを照合すると、多少のズレがあるのですが、点が入って勝ち試合にでもなれば、これは全部実践できた、と皆思っているところが、わがチームの気分のよいところでしょう。

 この流れが良い方向に出たのが、平成11年度の五十雀チームで、この年の県下リーグで優勝しました。その翌年から優勝チームは県代表として、全国大会への出場権をもらえる、という発表があり、一同くやしい思いもしましたが、納会では気分のよい酒を楽しみました。たまたま私が監督を仰せつかっていた年でしたので、私にとっても納得の行くいい年でもありました。ただし、最終戦の頃グランドに集まった全員に試合に参加してもらうべく、試合開始直前まで選手交代のプランを練っていたため、準備体操無しで動いたのがたたり、開始早々左足首骨折、という騒ぎのあった年でもありました。

 昨年あたりからは六十雀の試合が増え、嬉しいかぎりです。県内リーグ戦はもとより、全国規模の大会も充実しつつあり、六十雀の試合だけでスケジュール表が埋まるようになりました。歳を重ねても、同じ仲間とその歳なりのサッカーをいつまでも楽しめる、というのはすごい事ですね。いつまでも「日本のサッカーを支えているのは、俺たちだ、ペガサスシニアーを支えているのは、俺だ!」でいきましょう。

(昭和32年 湘南高卒)