現 場 呼 出 し 役

 平成6年度シニアチーム監督  篠 田   亮

 平成6年度(‘94)シニアチームの監督を仰せ付かりました。見識・技量共に相応しからざる者が務める事になりましたが、監督は気が向いたときだけ出て行きプレーを楽しんでいるわけには行かず、KO時には来ていなかった人をも含む当日参加者全員の出場のためプレー中もポジション別交代の時期を考えなければならない面倒な役割でもありますから、年回りから回ってきた呼出し稼業のお勤めとして仰せに従いました。

 9年も前の事で定かではない記憶を辿って見ます。ジュニアチームが出来、ロートルは2部リーグに移り4年目、40代中心のチームが殆どのうえ、此方は年々加齢し、苦戦が続いていた頃です。勝の期待が持てるのは事情同様の神奈川クラブぐらいと言う状況でした。今記録を見ると、2部参加の初年度から順に、11チーム中9位、12中12、13中11位と来て、この年は13中12に終わっています。

年の差は如何ともし難い、楽しめば良いとお思いかもしれませぬが、勝がなにより嬉しく楽しいものであることもおわかりでしょう。随分悩みクラブの先達にもご意見を求めたり、ペガサス通信に感想を記したり、留意したいこと(注参照)を呼びかけたりも致しましたが、先記の通り残念な結果に終わりました。ただこの頃から動き始めていた50雀のゲームで好成績を納めたのは、40雀での挑戦が体力の錬成になっていたおかげかも知れません。

 省み、今とこれからに思いを致しますと、変わらぬ難問はペガサスのようなクラブでの競技力維持乃至向上は如何すれば良いかと言うことです。クラブ内の人間関係は現状でも満足すべき水準にあると思います。しかしそこそこには凱歌をあげて共に慶び楽しむ機会を確保し、「できたら今以上」を望むのは決して贅沢ではなく、ある意味ではスポーツクラブの性であり求心力の柱ではないでしょうか。他方 まだサッカーがマイナーで競技人口が少ない頃ではあったにせよ上位に在ったころの湘南高校OB世代ではそれなり成績を収めてもこれからは難しくなる一方と思います。

では如何すれば良いか。少年のころとの違いに目をつけてみたい。まずゲーム機会に恵まれています。またレヴェルの高いゲームを見聞できます。これは今からでもチームプレー能力を向上させる可能性を示唆していませんか。少し希望が見えてくるでしょう。ただこれだけなら他チームも同条件です。問題はプレーヤー相互間の連係です。日本人や高年者が共通して不得意なディスカッションを通じての相互理解が必須になります。

プレー中でなければ状況を再現できず互いの意思疎通が難しいこともあります。Eメールによる掲示板やメーリングリストなどの利用も文章化による抑制された表現が期待できるという意味で一策かもしれません。この辺り成果の挙がる話合いが出来るようになったところが勝利の美酒を多く酌めるようになるのではないでしょうか。ジュニアも含め当クラブの課題ではないかと考えます。(勿論個人で持久力や筋力維持の努力は心がけたいものです。)

 回想には程遠い話になりましたが楽しいクラブを維持しつつプレーの喜びも極大にしませんか。
 末筆になりましたが長くアフターゲームを共に遊んで下さった大内さんのご冥福を祈って、合掌。

                           (昭和33年 湘南高卒業) 

(注)サッカーで自ゴールを向いたDFは殆ど無力化します。これは攻撃の要諦を示唆しています。ボールの動き、人の狙いはここにあるべし。などと考えた当時の想いは今も変わっておりません。最近は、ボールウォッチャーとなってしまい絶間ない位置修正のないサッカーが気になっています。昔話にかこつけた戯言をご容赦下さい。