ジュニアと呼ばれる四十雀

                      平成14年〜現在
ジュニアチーム監督   元 松  経 男

 過日、神奈川県郡市サッカー連盟主催のシニアリーグ創立20周年祝賀会が藤沢市民会館で盛大に執り行われました。平成14年度よりペガサスジュニアの監督を仰せつかった私も、チームの代表としてその祝賀会に参加しました。シニアリーグすなわち私たちの参加している郡市四十雀リーグは全国的にも初期の創立の歴史を持つとのこと。その参加チーム数も年々増え続け、今や45チーム3部制(3部はA・Bの2グループ)となり、来年度はいよいよ4部誕生かとの勢いであります。そのような壮年サッカーの盛んな神奈川県の中でも、いち早く四十雀サッカーが始められたのが我が湘南ペガサスであり、郡市リーグの創世期から湘南ペガサスはリーグを盛り上げていたと伺っていました。

このような歴史のある「湘南ペガサス」の名前を私が初めて耳にしたのは、湘南クラブでボールを蹴っていた学生時代のOB会だったと思います。その頃はまだ高校を出たてで体力もそこそこにあり、現役に胸を貸していたころでした。夏の合宿中のOB会や正月の蹴球祭などで、大階段の上から四十雀の皆さんのゲームを珍しく眺めていたものでした。スピードこそ遅いけれども、しっかりとした技術で予想以上のハイレベルの試合だったものと記憶しています。特に安保大先輩のプレーや服部大先輩の軽やかなGKぶりが今でも目に浮かびます。それと共に、岩淵先生の怒鳴り声も思い出すのは私だけではないのではないでしょうか。こうした昔を思い出すに、今の自分たちの姿が現役の皆さんにどのように見られているのかと思い比べるとき、少し気恥ずかしささえ覚えてしまいます。

そのような、湘南高校サッカー部とそのOB会と共に歩んでこられた、湘南ペガサスの諸先輩方の輪に初めて入れていただいたのは、平成8年でした。なんとその年のリーグ戦(もちろん郡市1部リーグでしたが)では5勝3敗1引き分けで、堂々の3位入賞。私のサッカー歴の中で唯一、あの八咫烏マーク入りの賞状をいただいた記念すべきペガサスデビューの年でした。なんと強いチームなのだろうと思いつつ、「体力とテクニックの再構築に挑戦しよう」と誓ってその年のOB会報にペガサス1年生の原稿を載せていただいたのがついこの間のような気がして仕方がありません。

そして、気がつくとペガサス入会後すでに7年がたち、その間リーグでは1部から2部へ転落し、すぐに返り咲いたものの、世代交代が思うようにいかず、リーグ戦での参加人数も不足がちとなり、再び2部に転落してしまいました。2部転落後の平成14年には、それまで引き受けていた会計係りから突然監督に指名され、気疲れの多いシーズンを過ごしてしまいました。少年サッカーのコーチをやっているため、先発メンバー決めや選手起用は慣れているだろうとの理由から、監督を仰せつかったわけですが、いきなり連戦連敗でリーグ戦の最後まではらはらのし通しでした。最終戦でかろうじて2部にとどまった次第ですが、その詳細はOB会報にも載せていただきました。

さて、こんなハラハラドキドキの郡市リーグではありますが、ペガサスジュニアにはたくさんの楽しみもありました。まずは、古河市マスターズサッカー大会。これは例年恒例の大会でしたが、ジュニアにとってはシニアや六十雀の諸先輩方と同宿し、サッカー談義の一晩が約束された、年に一度の緊張の大会でした。高校の現役時代にも、大学生の湘南クラブの時代にも、いつも先輩に鍛えられ、叱咤激励されていたのが湘南サッカー部の伝統でしたが、ここでもその伝統は生きていました。近年は参加人数が集まらずに、シニアチームからの応援をお願いしての参加が続き、遂におしかりを受けて、昨年からは参加を見合わせています。またいつか人数をそろえて同宿の参加に踏み切りたいものです。

最近は御殿場マスターズへの参加が恒例化しています。秋の清々しい富士山の麓で天然芝でのゲームと、試合後の温泉と地ビール。これは堪えられません。普段、様々な形でご支援いただいている若手シニアの皆さんにも、ゲスト参加していただき、評判も上々です。是非、続けていきたい年中行事です。
そして、筑波大附属高校の定期戦や蹴球祭、小田原高校OB会との交流戦等々、1年中サッカーを楽しませてくれる湘南ペガサスの歴史と世代を越えた暖かな交流がこれからも代々末永く続くことを期待して、次の監督まで引き継ぎたいと思います。

                                    (昭和49年 湘南高卒業)