ジュニア監督の思い出

                            平成11年〜13年
ジュニアチーム監督   関   佳 史

先日、私の恩師で、湘南高校陸上部の元顧問、山田勉先生とお話する機会がありました。先生いわく「サッカー部はいくつになっても試合ができていいよな。本当にうらやましい。中年が本気で記録に挑む陸上競技は不可能だ。陸上部のOB会はイコール飲み会にならざるを得ない。」まったく、自分では気が付いていませんでしたが、サッカーを年齢相応に楽しむことができるのは、とても幸福なことと改めて思います。この年齢になっても、グランドにたち、汗を流し、気持ちも体もリフレッシュでき、仲間と語りあえるスポーツができることは、大げさにいえば、会社や家庭とは別の大きな自分のテーマになっています。

40雀リーグの組織が20年、チームが25周年を迎えるにあたり、まず、先輩がたの熱意とご苦労に感謝と敬意を表します。私たち、ジュニアチームの活動が順調におこなえるのは、リーグ組織やチームを作り、運営してきた皆さんがあってのことです。                                     
さて、私は1999年、2000年、2001年の3年間、監督をやらせていただきました。世紀の変わり目であり、チームにとっても転機でありました。
1999年のシーズンは、初めて2部に降格した年でした。この年は、出足はよかったのですが途中でつまずき、立て直しがきかずに、5位という不本意な成績に終わりました。

2000年のシーズンでは出足こそ悪かったものの、その後6連勝し、2位を確保。1部復帰を決めました。年間の失点4に象徴されるように、守備が安定。とくに元読売クラブのGK野口さんは素晴らしいプレーをみせてくれました。

2001年は1部で結果11位と振るわず、再度降格ということになりました。若手、藤塚さんの前後の世代が集れば、かなりの力があるものの、忙しい中ベストメンバーがなかなか揃わず、歯がゆい試合が多い1年でした。

 監督を最も真剣にやったのは、1部のときでした。前のり偵察を行い、相手のフォーメーションと選手をチェックしました。(仕事で余裕があったのも幸いでした)成績は振るいませんでしたが、相手のフォーメーションを読んで、こちらの理想どおりに試合を運び、上位チームに勝った試合もあり、監督の面白さを感じました。

ただ、夏の暑い日など、プレーしながら交代を考えていると、どうしてもうまく頭が働かず、時間がたってしまい、後悔することも多々ありました。交代の難しさは、いつも頭を悩ませます。勝負には勝ちたいと思いながらも、来てくれたメンバー全員を出したい。考えても解決できないことが多々ありました。

40雀リーグ全体としては、チーム数が増加する中、社会人でずっと継続して30代もやっているチームが新加入してきます。また、関東リーグクラスで継続してやっている選手も見受けられます。一方、湘南OBは、10年くらいのブランクのある人が多く、勝負となると、非常に厳しいのが現実です。               
また、チーム内の事情も大きく変わっています。ペガサスは、湘南高校OB主体のチームであるはずです。現在、登録メンバーでは、約半分がOBになってはいます。しかし、常時リーグ戦に出場している比率でいうと、30%をきるぐらいになっているのが実態です。

今後、数年にわたっても、新規OBの加入見込みは1年に1人いればよい方とみています。従って、OB以外の参加者をどう受け入れていくかが大きな課題となるはずです。3〜4年前までは、湘南OBがかかわったアンテロープスから、かなりまとまった人数が加入してくれていました。現在は、幹事を中心に、個人的にやれそうな人に声をかけています。

チームのメンバーは皆さん、本当にサッカー好きです。そして、サッカーを継続していくことは大切なことです。真剣勝負も時には必要ですが、遊び心をもって、今後もサッカーを楽しみたいと思います。

(昭和48年 湘南高卒業)